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『聊斎志異』「画皮」~美女に化けた妖怪

清代の文人蒲松齢が著した怪異小説『聊斎志異』500篇は、妖しげな雰囲気の中で、神仙・幽鬼・妖精らが繰り広げる怪異の世界が展開されています。

その中から、美女に化けた妖怪の話「画皮」を読みます。

『聊斎志異』

太原(山西省)の王という書生が朝早く道を歩いていると、一人の若い女に出会った。

女は布の包みを抱え、纏足をした足でフラフラと小走りに歩いている。
王が急いで駆け寄ると、十五、六の見目麗しい少女だった。

一目惚れした王が声を掛けた、「こんなに朝早く、なんで一人ぼっちで歩いてるの?」

女は言った、「行きずりの方にお助けいただくことなどできません。どうぞお見捨ておきください」

王は言った、「お困りのことがあるならおっしゃってみてください。わたしにできることでしたら、喜んでお助けしますから」

女は暗い顔で話し出した、「両親がお金に目がくらんで、わたくしは富豪の家に売られました。本妻がひどく嫉妬深くて、朝に晩に怒鳴られたり殴られたりで、もうどうにも辛抱できなくなって、遠くへ逃げようと思っているのです」

王が、「どこへ行くおつもりですか?」と尋ねると、女は、「逃げている身ですから、行く当てなどありませんわ」と答えた。

王が、「拙宅はこの近くですので、寄っていきませんか?」と誘うと、女は喜んで頷いた。

王は女の包みを持ってやり、先に立って女を家に連れ帰った。

女は部屋に誰もいないのを見て、「ご家族はいらっしゃらないのですか?」と尋ねた。

王は、「ここは書斎ですから」と答えた。

女は言った、「ここはいい所ですね。もしお情けでお助けくださるのでしたら、どうかわたしのことは内密にしてくださいね」

王は、「わかった」と承知して、そのまま女と床に就いた。

その後、王は女を奥の部屋に匿ったので、数日経っても誰にも気づかれることがなかった。

王は、妻の陳氏にこっそりと女のことを打ち明けた。

すると妻は、「お偉い方の妾かもしれないから、すぐ追い出した方がいい」と勧めたが、王は聞き入れなかった。 

ある日、王がたまたま市場へ行き、一人の道士に出会った。

道士は王の姿を見て、ハッと驚いて言った、「そなた、いったい何に出くわしたのじゃ?」

王が「いえ、何も」と答えると、道士は言った、「そなたの身体には妖気がまとわりついておる。何もないはずはない」

王がむきになって否定すると、道士は、「すっかり惑わされておる。世の中には死が目の前に迫っても気付かない者がいるものだ」と言い残して去って行った。

王はその言葉が気に掛かり、「もしやあの女のことだろうか」と疑ったが、「あんな美しい女性が化け物だなんてあり得ない」と思い直し、「あの道士こそ邪気払いをしてやるとか人を騙して稼ごうとしているのだ」と思った。

しばらくして家に帰り、書斎の戸を開けようとすると、内側からかんぬきが掛かっていて入ることができない。

不審に思いながら、土塀の崩れた所を乗り越えて中に入ったが、奥の部屋の戸も閉まっている。

抜き足差し足で窓に近づいて、そっと中を覗くと、なんとそこには醜く恐ろしい形相の化け物がいる。顔は青緑色で、歯はギザギザで鋸のようだ。

寝台の上に人の皮を敷いて、絵筆を手にして何かを描いている。

しばらくすると筆を置き、皮を持ち上げ、サッとひと振りして身体に羽織ると、美女の姿に変わっていた。

それを見て王はびっくり仰天、腰を抜かし、這いつくばってその場を逃げ出した。

急いで道士の後を追ったが、行方がわからない。あちころ捜し回って、ようやく町はずれの野原にいるのを見つけ、道士の前に跪いて助けを求めた。

道士は言った、「よし、退治して差し上げよう。だが、あやつも随分苦労してやっと身代わりを見つけたのだ。命まで奪ってしまうのは忍びない」

そこで道士は払子ほっすを王に与え、寝室の入口に懸けておくようにと言った。

別れ際に、「用があったら青帝廟
(東方の神を祀る道教の廟)に来なされ」と言い残して去った。

王は家に帰っても怖くて書斎に足を踏み入れることができず、奥の間で寝ることにして、払子を部屋の入口に懸けておいた。

その夜、一更(夜8時前後)の頃、部屋の外でギシギシと物音がした。

王は自分で覗き見る勇気がなく、妻に覗かせた。

見ると、女がやってきて、払子に気が付くとその場に足を止め、キリキリと歯ぎしりをしていた。

やがて立ち去ったが、暫くしてまたやって来た。

「道士の奴め、おれを脅しているつもりだろうが、そうはいくものか。
いったん口に入れた物を安々と吐き出してたまるか!」

そう罵ると、払子を取って粉々に砕き、寝室の戸を壊して入って来た。

いきなり王の寝台に跳び乗ると、王の腹をベリッと引き裂き、心臓をむんずと掴み取って立ち去った。

妻の陳氏が悲鳴を上げると、下女がやって来て辺りを灯で照らした。

見ると、王はすでに息絶えていて、腹に空いた大きな穴から血が溢れ出て、辺り一面真っ赤に染まっている。

陳氏は驚いて涙を流すばかりで、声も出せなかった。

翌日、陳氏は義弟の二郎を道士の所に走らせた。

道士は怒って言った、「せっかく情けをかけてやったのに、あの妖怪め!
とんでもないことをしおって」

道士が二郎に連れられてやって来た時には、女の姿はすでになかった。

道士は振り仰いで辺りを見渡し、「まだ遠くには行ってはいない」と言い、
「南側はどなたのお屋敷かな?」と聞いた。

二郎が、「わたしの家です」と答えると、道士は、「奴は今そなたの所におりますぞ」と言った。

二郎が愕然として、「そんなはずはない」と言うと、道士が、「見知らぬ者が来なかったか?」と言う。

二郎は、「朝早くから青帝廟に行っておりましたので、よくわかりません。
帰って聞いてみましょう」と言って出て行き、すぐ戻ってきた。

「仰る通り、いました。今朝一人の老婆がやって来て、うちで働かせてくれと言うので、女房が雇うことにして家に置いています。今もまだいます」

「そいつがそうだ」と言って、道士は二郎と共に南側の屋敷へ向かった。

屋敷に着くと、道士は木剣を手に持って、中庭の真ん中で仁王立ちになり、大声で叫んだ、「化け物め、わしの払子を返せ!」 

老婆は家の中にいたが、慌てふためいて門を出て外に逃げた。

道士が追いかけて木剣で一撃すると、老婆はバタリと倒れた。

その瞬間、人の皮がベリッと剝がれて、獰猛な悪鬼の姿に変わり、地面を這いずり回って豚のような鳴き声を上げた。

道士が木剣でその首をスパッと斬り落とすと、モクモクと濃い煙となって、地面に渦を巻いて山のように盛り上がった。

道士は瓢箪ひょうたんを取り出して栓を抜き、煙の真ん中にポンと置いた。

すると、シュルシュルと口で息を吸うような音を立てて、煙が一瞬のうちに瓢箪に吸い込まれた。道士は瓢箪に栓をして袋に入れた。

地面に残された人の皮を見てみると、眉も目も手足もすべて整っていた。

道士が皮を巻くと、クルクルと掛け軸を巻くような音がした。それも袋に入れて立ち去ろうとした。

陳氏が門に待ち構えて跪き、道術で夫を生き返らせてくださいと泣きながら懇願した。

道士が自分には無理だと断ると、陳氏はますます激しく泣いて、その場にひれ伏したまま動こうとしない。

道士はしばらく考え込んで、こう言った、「わしはまだ修行が浅い。蘇生の術はわしには無理じゃ。もしかしてあの御方ならできるかもしれぬ。訪ねて行って頼んでみたらよかろう」

陳氏が、「それはどなたですか?」と尋ねると、道士は言った、「市場に一人頭のおかしいのがいるじゃろ。よく糞まみれになって寝転がっている。行ってその人によくよく頼んでみるがよい。奥さんを侮辱するような酷いことを口走るかもしれんが、決して怒ってはいかんぞ」

その者のことは二郎もかねがね知っていたので、道士に別れを告げて、兄嫁と一緒に市場へ向かった。

市場に着いて辺りを見渡すと、一人の乞食が道端でわけのわからない歌を歌っている。

鼻水を三尺も垂らし、汚くて近寄るのも憚られたが、陳氏は膝で這って進み寄って行った。

乞食は、ハハハと笑いながら言った、「ようよう別嬪さん、おれに惚れたんかい?」

陳氏が事情を話すと、またゲラゲラと笑って言った、「亭主の代わりなんぞいくらでもいるじゃろが。わざわざ生き返らせてどうするんじゃ」

陳氏が必死で懇願すると、乞食は言った、「おかしな女じゃ。死んだ人間を生き返らせてくれだと?おれは閻魔さまかい」

乞食は怒り出し、杖を振り上げて陳氏をビシビシと叩いたが、陳氏は痛みをこらえて、されるがままにしていた。

市場の人々が見物に集まって来て、黒山の人だかりになった。

乞食は両手の手の平いっぱいにカッと痰を吐き出すと、 陳氏の口に突きつけて言った、「さあ、これを食え!」

陳氏は顔を真っ赤にして困惑したが、道士に言われたことを思い出 し、目をつむってゴクリと呑み込んだ。

痰は喉に入り、綿の塊のように硬くなってゴロゴロと食道を下り、胸の辺りで止まった。

乞食は、「ほう、別嬪さんがおれに惚れよったわい」とゲラゲラ笑って起き上がり、振り返りもせずに去って行った。

陳氏が後をつけると、乞食はある廟の中に入って行った。

もう一度頼んでみようと追って行ったが、どこにいるかわからない。いくら捜しても影も形もない。

陳氏は、恥ずかしさと悔しさを抱きながら家に帰った。

陳氏は、夫を亡くした悲しみの上に痰を喰わされた恥辱が重なり、髪を振り乱して慟哭し、もういっそのこと死んでしまおうとまで思った。

血の跡を清めて夫の屍を棺に納めようとすると、家の女中たちはみな立ちすくんで近づこうともしない。

陳氏は屍を抱きかかえ、はみ出した臓物を腹の中に収めながら泣き続けた。

あまりに激しく泣いたために声が涸れ、急に胸の辺りがムカムカして吐きそうになった。

すると、胸の奥につかえていた物が一気に突き上がってきて、顔をそむける間もなく、王の腹の穴にポトリと落ちた。

驚いて見てみると、それは人の心臓だった。腹の中でピクピクと動き、モウモウと湯気が煙のように立ち昇っている。

これは不思議と思いながら、急いで両手で腹の皮を引き合わせ、力いっぱい抱きしめた。

少しでも力を緩めると、湯気が隙間から洩れ出てしまう。

そこで、絹を裂いて、しっかりと王の身体に巻きつけた。

しばらく身体を撫でていると、次第に温かくなってきたので、上から蒲団をかぶせた。

夜中にその蒲団をはいで見てみると、かすかに息をしていた。そして、夜が明けると、とうとう生き返った。

王は陳氏に言った、「ぼんやりとして夢の中にいたみたいだ。ただ腹の辺りがちょっとチクチクするなあ」

腹の破られたところを見てみると、銅銭のような瘡蓋ができていたが、それもしばらくするうちにすっかり治ってしまった。

異史氏曰く、
世の男は何とも愚かなものだ。明らかに妖怪であるのに美人と思い込む。
愚者は惑わされるのだ。明らかに忠告であるのにまやかしだと思い込む。
夫が色好みで女漁りをしたために、妻は人の唾を呑まされる羽目になった。
お天道様は、善には善を以て、悪には悪を以てお返しをするのだ。なのに、愚かで迷える者はそれを悟らない。ああ、哀れなことだ。

『聊齋志異圖詠』

「画皮」の話は妖怪譚ですが、幽霊に関する民間説話のモチーフを使っています。

民間説話では、死者がもう一度人間に生まれ変わるには、身代わりが必要とされています。つまり、生きている人間が一人死なないと自分が生まれ変われないのです。これは、あの世とこの世の人数調整のようなもので、どちらの世にも定員があるという発想です。同じく『聊斎志異』の「王六郎」と題する話は、次のようなものです。

「王六郎は、呑兵衛で溺死した亡者である。川辺の橋の下で誰かが溺れ死ぬのを待っていた。ある時、女が溺れて死ぬはずだったが、なぜか女は命拾いした。実は、女が赤ん坊を抱いていたので、王六郎が可哀想に思って生まれ変わりを辞退したのであった」

「画皮」の中で、道士が妖怪を退治する前に、「あやつも随分苦労してやっと身代わりを見つけたのだ」云々と語っている場面がちょうどこのモチーフを使ったところです。

さらに、虎に関する民間説話と似通ったところも見られます。物語の舞台になっている山西省は、虎が多く生息する地域です。作中で妖怪が、「王の腹をベリッと引き裂き、心臓をむんずと掴み取る」云々という描写は、虎が人や他の動物を襲って喰う時のさまと似ています。また、唐代の『集異記』という志怪小説集には、次のような話があります。

「蒲州(山西省)崔韜さいとうが旅先で凶宅と噂される館に泊まる。夜半、門から虎が入って来たので崔が隠れて見ていると、虎は中庭で皮を脱いで美女に変身した。その夜、崔は女と同衾した。女は貧しい猟師の家に生まれ、身を託せる伴侶を捜していたのだと言う。崔は女を気に入り、皮を枯れ井戸に捨てると、妻として伴って帰郷する。その後、崔は役人となり、妻子を連れて赴任する途次、かつての館を訪れた。妻は井戸の底に残っていた虎の皮を着ると、虎に変身し、崔と息子を喰って去って行った」

この話は、虎の皮を脱いで美人になるというもので、「画皮」が人の皮を着て美人になるのとは逆ですが、化けの皮で変身するというモチーフは共通しています。
なお、人間が動物に、動物が人間に変身するという話は、志怪の中に数多くありますが、虎はそうした変身譚の代表格です。中島敦「山月記」の原作である唐代小説「人虎伝」もそうです。

さて、『聊斎志異』の多くの作品には、末尾に「異史氏曰く」として作者自身の論評が付されています。ちょうど『史記』の「太史公曰く」のようなものです。「画皮」の「異史氏曰く」を一読すると、とてもお説教っぽい文章であることがわかります。他の作品の「異史氏曰く」も同じような口調で書かれています。これは、教訓を含んだ文学作品が優秀な文学作品である、という中国古来の認識によるものです。「画皮」の「異史氏曰く」に沿って言えば、この作品は「女色の戒め」をテーマにしたものということになりますが、作者蒲松齢が本当にそのように考えて書いたわけではなく、これはあくまで建前です。

「画皮」蒲松齢手稿本

蛇足ですが、王と女の出会いを見てみると、十代の小娘を出会ったその日に自分の家に連れ込んで、いきなり同衾しています。しかも王には妻がいるのですが、妻は王を咎めることなく嫉妬もしません。このような唐突で露骨な男女関係は『聊斎志異』では珍しくありません。と言うか、こうした調子の馴れ初めの方がむしろ普通です。これがどれだけ当時の中国社会の現実を反映しているのかわかりませんが、『聊斎志異』の中の男女の物語は、つねに男目線で描かれ、男の欲望に沿った展開になっています。

「画皮」は、中華圏ではとても有名な話です。後世、粤劇(広東オペラ)や映画として改編されています。

粵劇「画皮」

映画「画皮」


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