【心に響く漢詩】白居易「對酒」~儚い人生、笑わない奴は大馬鹿
對酒 酒(さけ)に対(たい)す
唐・白居易
蝸牛角上爭何事
石火光中寄此身
隨富隨貧且歡樂
不開口笑是癡人
蝸牛(かぎゅう)角上(かくじょう) 何事(なにごと)をか争(あらそ)う
石火(せっか)光中(こうちゅう) 此(こ)の身(み)を寄(よ)す
富(とみ)に随(したが)い貧(ひん)に随い 且(しばら)く歓楽(かんらく)せん
口(くち)を開(ひら)いて笑(わら)わざるは是(こ)れ痴人(ちじん)
唐代の詩人白居易(はくきょい)の詩です。
白居易については、こちらをご参照ください。↓↓↓
日本では「長恨歌(ちょうごんか)」の作者として知られる詩人・白居易は、字を楽天(らくてん)といいます。
名前の「居易」は、「易(やす)きに居(お)る」(安楽に生きる)という意味、字の「楽天」は、「天を楽しむ」(天から与えられた境遇に安んじる)という意味です。
白居易は、文字通り、天命に従い、無理をしない自然な生き方をモットーとした詩人です。
さて、この白居易の晩年の詩に、「對酒」と題する五首連作があります。その第二首は、次のように歌っています。
――カタツムリの角の上のような狭い世界で、いったい何を争っているのか。火打ち石がチカッと光る一瞬の間、そんな刹那(せつな)の中、人はこの世に身を寄せているというのに。
第一句は、「蝸牛角上の争い」という故事成語に基づいています。「カタツムリの角の上の世界」というのは、人間社会の狭小さを喩えたものです。
第二句の「火打ち石が光る一瞬の間」というのは、人間がこの世に寄寓(仮住まい)する時間、つまり人間がこの世に生を受けて死ぬまでの時間の短さを喩えています。
それぞれ、空間的、時間的に、人間の存在の微小さを象徴的に表したものです。永遠無限の宇宙から見てみれば、人間の営みなんぞ、なんとちっぽけなことか。そんなちっぽけな世界で互いに争い合ったところで、いったい何の意味があるのか、と問いかけています。
――富める者は富める者なりに、貧しい者は貧しい者なりに、まあともかく酒でも飲んで楽しくやろうじゃないか。口を開けて腹の底から笑わない者、そんな奴は大馬鹿だ。
第三句以下では、作者自身の人生観を披露しています。金持ちも貧乏人も、それぞれ分に応じて、それなりに歓楽を尽くせばそれでよい。あくせくしたり、カリカリしたりせずに、楽しみながら、笑いながら、愉快に人生を過ごそうではないか、と歌っています。
この詩は、『荘子(そうじ)』に見える故事を典拠としています。
第一句の「蝸牛角上」の出典は、『荘子』「則陽(そくよう)」篇に見える次のような寓話です。
無窮の宇宙空間に心を解き放ち、そこから振り返って、この地上の世界を眺めたならば、人間社会のありとあらゆることが、取るに足りない卑小なものとなる。ましてや、領土をめぐるいさかいなど、なんとつまらぬことではないか、と説いています。
さらに、第四句にある「口を開いて笑う」という表現も、『荘子』から借りたものです。
『荘子』「盗跖(とうせき)」篇に、次のような一節があります。
――人は病気で痩せこけたり、親族が亡くなって喪に服したり、心配事で思い悩んだりという時間を除くと、そうした合間に、口を開けて笑えるような楽しい時間は、一カ月のうちにほんの四、五日ほどしかない。
人間の日々の生活は、まさに荘子の言う通りかもしれません。いつも絶好調、一年中おめでたいなどという人はなかなかいません。
年を重ねるにつれて、社会における役割が増え、人間関係も複雑になり、多かれ少なかれ、悩み事や心配事を抱えているのが、人の世の常です。
人間に与えられている時間は、宇宙の永遠の時間からみれば、ほんの一瞬にしかすぎない短い時間。そのわずかな時間の中でさえ、嫌なことが多いのが人生です。「痴人」と呼ばれないように、しっかり笑って過ごしたいものです。