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中国怪異小説⑨「干将莫邪」~名剣の仇討ち(『捜神記』より)
魏晋南北朝時代、「六朝志怪」と呼ばれる怪異小説が盛行しました。
その中から、東晋・干宝撰『捜神記』に収められている「干将莫邪」の話を読みます。
「干将莫邪」~名剣の仇討ち
楚の干将莫邪、楚王の為に剣を作り、三年にして乃ち成る。王怒り、之を殺さんと欲す。剣に雌雄有り。其の妻、重身にして産に当る。夫、妻に語げて曰く、「吾、王の為に剣を作り、三年にして乃ち成る。王怒り、往かば必ず我を殺さん。汝、若し子を生みて是れ男ならば、大なるにして、之に告げて曰え、『戸を出でて南山を望めば、松、石上に生じ、剣、其の背に在り』と」。是に於いて即ち雌剣を将ち往きて楚王に見ゆ。王、大いに怒り、之を相せしむるに、剣は二有りて、一は雄、一は雌、雌来りて雄来らず。王怒り、即ち之を殺す。
楚の干将と莫邪の夫婦は、楚王から剣を作るよう命じられたが、鋳造に3年もかかってしまった。王は怒って彼らを殺そうとした。鋳造した剣は、雄剣と雌剣の2振りだった。干将の妻は身ごもっていて出産間近だった。干将は身重の妻にこう告げた。
「わたしは王様の剣を作るのに3年もかかってしまった。王様はお怒りで、出向けばきっと殺されるだろう。もし、お腹の子が産まれて男の子であれば、大きくなったらこう伝えよ。『戸を出でて南山を望めば、松、石上に生じ、剣、其の背に在り』と。 」
そして、雌剣を持って行き王に献上した。王は大いに怒り、剣を鑑定させると、剣は雌雄の2振りあるはずだが、雌剣だけ献上され、雄剣は献上されていないことがわかった。王は激しく怒り、即座に干将を処刑した。
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莫邪の子、名は赤、後壮なるに比び、乃ち其の母に問いて曰く、「吾が父は所こに在りや」と。母曰く、「汝が父は楚王の為に剣を作り、三年にして乃ち成る。王怒り、之を殺す。去る時我に嘱せり、『汝が子に語げよ、戸を出でて南山を望めば、松、石上に生じ、剣、其の背に在り』と」。是に於いて、子、出でて南望すれども、山有るを見ず、但だ堂前の松柱、石砥の上に下るを覩るのみ。即ち斧を以て其の背を破り、剣を得たり。日夜思いて、楚王に報いんと欲す。
莫邪の子は、名を赤と言い、のちに成長すると、母に尋ねた。
「僕の父さんは何処にいるのですか?」
母親は、こう答えた。
「お前の父さんは、楚王のために剣を作ったの。だけど、3年もかかってしまったので、怒った王様に殺されてしまったの。父さんは家を出る時、こう言い残したわ。『門を出て南の山を望むと、松が石の上に生えていて、剣はその背後にある』って」
そこで、赤は門を出て南を見てみたが、山はない。ただ南向きの部屋に松の柱があって土台石の上に立っているのが見えた。そこで、赤は斧で松の柱の裏側を斬り、雄剣を手に入れた。そして、楚王に復讐すると日夜心に思い続けた。
王、夢に一児を見る。眉間の広さ尺にして、「讎を報いんと欲す」と言う。王即ち之を千金に購う。児、之を聞き、亡げ去り、山に入りて行歌す。客に逢う者有りて謂う、「子は年少なるに何ぞ哭することの甚だ悲しきや」と。曰く、「吾は干将莫邪の子なり。楚王、吾が父を殺す。吾、之に報いんと欲す」と。客曰く、「王、子の頭を千金に購うと聞く。子の頭と剣とを将ちて来れ。子の為に之に報いん」と。児曰く、「幸甚なり」と。即ち自ら刎ね、両手に頭及び剣を捧げて之を奉じ、立ちながら僵す。客曰く、「子に負かざるなり」と。是に於て屍乃ち仆る。
王の夢に1人の子どもが現れた。眉間の広さが1尺あり、「仇を討つぞ 」と言っている。王は子どもの頭に千金の懸賞をかけた。それを知った赤は、逃げて山に身を隠し、悲しげに歌いながら歩いていた。すると、1人の侠客が現れ、赤に声を掛けた。
「お前さん、まだ幼いのに、どうしてそんなに嘆き悲しんでいるのじゃ?」
赤、「僕は干将莫邪の子です。僕の父さんが、楚の王様に殺されたんです。僕は仇を討ちたいのです」
侠客、「王がお前の頭に千金の懸賞をかけたと聞いたぞ。お前の頭と雄剣をわしに渡しなさい。わしが代わりに仇を討ってやろう」
赤は、「ありがたき幸せ!」と言うやいなや、スパッと自分の首を刎ねた。
両手に頭と剣を捧げ持って、身体は立ったまま硬直した。
侠客が「約束は必ず守る」と言うと、屍はようやくバタッと倒れた。
客、頭を持ち往きて楚王に見ゆ。王大いに喜ぶ。客曰く、「此れは乃ち勇士の頭なり。当に湯鑊に於て之を煮るべし」と。王其の言の如くし、頭を煮ること三日三夕なるも爛れず。頭、湯中より踔出し、目を瞋らせて大いに怒る。客曰く、「此の児の頭、爛れず。願わくは、王自ら往きて臨みて之を視よ。是れ必ず爛れん」と。王即ち之に臨む。客、剣を以て王に擬すに、王の頭随いて湯中に墮つ。客も亦た自ら己の頭に擬すに、頭復た湯中に墮つ。三首倶に爛れ、識別すべからず。乃ち其の湯肉を分ちて之を葬り、故に通じて三王墓と名づく。今、汝南の北宜春県の界に在り。
侠客は赤の頭を持って楚王に謁見した。王は大いに喜んだ。侠客は言った。「これは勇者の頭にございます。ぜひとも釜で煮崩さねばなりませぬ」
王は侠客の進言に従って頭を釜ゆでにしたが、三日三晩煮ても煮崩れない。頭が釜の湯から跳び上がり、カッと目をむいて王をにらみつける。
侠客、「この頭はどうにも煮崩れませぬ。王様、どうかじきじきに釜の中をご覧くだされ。さすれば、必ず煮崩れましょう」
王が釜をのぞき込むと、侠客は、ピタッと王様の首に剣を当てた。そのままスッと剣を振り下ろすと、頭がポロッと釜の中に落ちた。すると、侠客もまた自分の首に剣を当て、スッと振り下ろして、頭を釜の中に落とした。
赤と王と侠客、3つの頭がいっしょに煮崩れ、どれが誰のものか区別ができなくなった。そこで、煮崩れた肉汁を3つに分けて埋葬し、人々はまとめて「三王墓」と呼んだ。この墓は、今の汝南郡の北宜春県の境界内にある。
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干将莫邪の物語は、「名剣物語」であり、「復讐物語」であり、「義侠物語」でもあります。また、親の仇討ちは「孝」の実践と見なされるので、「孝子物語」という要素も持ち合わせています。
中国の皇帝や王侯は、死後も栄華が続くことを願い、とりわけ葬儀や埋葬を重んじました。始皇帝の兵馬俑や明の十三陵などは、その良い例です。
楚王にとって、自分の遺体が他人のものと混ざってしまう、しかも賞金を懸けた小僧のものと混ざってしまうのは、この上ない屈辱です。赤は、まさに最大級の復讐を遂げたことになります。
本記事は、『捜神記』から採録しましたが、干将莫邪の物語は、他にも『列士伝』『孝子伝』『越絶書』『呉越春秋』など多くの文献に見られ、それぞれ文字やプロットに異同があります。
また、この物語は日本にも渡り、所々改編を加えた形で、『今昔物語』や『太平記』などに残っています。
魯迅は、昔の説話を小説風にアレンジして『故事新編』を著していますが、その中に干将莫邪の話を敷衍した故事「眉間尺」(邦題「鋳剣」)が含まれています。
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