魏晋南北朝時代、「六朝志怪」と呼ばれる怪異小説が盛行しました。
その中から、東晋・干宝撰『捜神記』に収められている「干将莫邪」の話を読みます。
「干将莫邪」~名剣の仇討ち
干将莫邪の物語は、「名剣物語」であり、「復讐物語」であり、「義侠物語」でもあります。また、親の仇討ちは「孝」の実践と見なされるので、「孝子物語」という要素も持ち合わせています。
中国の皇帝や王侯は、死後も栄華が続くことを願い、とりわけ葬儀や埋葬を重んじました。始皇帝の兵馬俑や明の十三陵などは、その良い例です。
楚王にとって、自分の遺体が他人のものと混ざってしまう、しかも賞金を懸けた小僧のものと混ざってしまうのは、この上ない屈辱です。赤は、まさに最大級の復讐を遂げたことになります。
本記事は、『捜神記』から採録しましたが、干将莫邪の物語は、他にも『列士伝』『孝子伝』『越絶書』『呉越春秋』など多くの文献に見られ、それぞれ文字やプロットに異同があります。
また、この物語は日本にも渡り、所々改編を加えた形で、『今昔物語』や『太平記』などに残っています。
魯迅は、昔の説話を小説風にアレンジして『故事新編』を著していますが、その中に干将莫邪の話を敷衍した故事「眉間尺」(邦題「鋳剣」)が含まれています。