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【心に響く漢詩】王維「九月九日憶山東兄弟」~重陽の佳節、故郷の肉親を思う

    九月九日憶山東兄弟
     九月九日、山東の兄弟(けいてい)を憶(おも)う
                           唐・王維
   獨在異郷爲異客
   毎逢佳節倍思親
   遙知兄弟登高處
   遍挿茱萸少一人

独(ひと)り異郷(いきょう)に在(あ)りて異客(いかく)と為(な)り
佳節(かせつ)に逢(あ)う毎(ごと)に倍々(ますます)親(しん)を思(おも)う
遥(はる)かに知(し)る 兄弟(けいてい)高(たか)きに登(のぼ)る処(ところ)
遍(あまね)く茱萸(しゅゆ)を挿(さ)して一人(いちにん)を少(か)くを

 王維については、こちらをご参照ください。↓↓↓

 王維は、唐詩の最盛期である盛唐の時代を代表する詩人の一人です。
 字は、摩詰(まきつ)。太原(山西省)の名家の出身です。

 年少の時から、天才ぶりを発揮しました。十五歳の時、科挙受験のために都長安に上京し、その頃からすでに詩文や音楽の才能を認められ、上流階級の人々の間でもてはやされたと言われています。

 望郷の詩として有名な七言絶句「九月九日憶山東兄弟」は、王維十七歳の時の作です。

 旧暦九月九日は、重陽節です。陰陽思想では、奇数を陽、偶数を陰とし、陽の数字の最大である「九」が重なることからこう呼びます。

 ちなみに、一月一日(元旦)、三月三日(上巳)、五月五日(端午)、七月七日(七夕)、そして九月九日(重陽)というように、奇数の重なる日は全て節句になっています。

 「山東」は、函谷関の東のことをいいます。いま王維のいる長安から見ると、故郷の太原は、函谷関を越えた遥か東にあります。
 そこには、王維の四人の弟、縉(しん)・繟(せん)・紘(こう)・紞(たん)がいました。

独(ひと)り異郷(いきょう)に在(あ)りて異客(いかく)と為(な)り
佳節(かせつ)に逢(あ)う毎(ごと)に倍々(ますます)親(しん)を思(おも)う

――私はたった一人で異郷にあり、旅人の身となっている。めでたい節句を迎えるたびに、ますます肉親を思う気持ちが募る。

 この詩を詠んだ当時、王維は都長安にいました。重陽の佳節を迎え、遥か彼方にいる親兄弟を思慕しています。 

遥(はる)かに知(し)る 兄弟(けいてい)高(たか)きに登(のぼ)る処(ところ)
遍(あまね)く茱萸(しゅゆ)を挿(さ)して一人(いちにん)を少(か)くを

――遥か遠くにいてもよくわかる。いま兄弟たちは、丘に登っている頃だ。頭に茱萸を挿して、家族みなが集っているのに、一人が欠けていて、きっと寂しがっていることだろう。

 重陽節には、一族の者がみな揃って高い所(小高い丘)に登り、厄除けの茱萸(しゅゆ、カワハジカミ)の枝を冠や髪に挿し、菊酒を飲む風習がありました。

茱萸

 本来は、家族団欒で過ごすべきめでたい節句なのに、自分はたった一人、故郷を遠く離れている、という望郷の念を歌った詩です。

 「自分がその場にいられないのが寂しい」という平凡な表現ではなく、「自分がいないのを兄弟たちは寂しがっているだろう」と、遥か遠くから、郷里の情景と肉親の心情を想像する、という一ひねりを加えた歌い方をしています。

 ありきたりな表現を避け、洒落たセリフで詩を締めくくるというセンスの良さは、早熟の天才と謳われた王維の面目躍如たるところです。

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