【教養としての故事成語】「臥薪嘗胆」~並々ならぬ努力と執念
臥薪嘗胆(がしんしょうたん)
【出典】
『十八史略』「春秋戦国・呉」
【意味】
【故事】
中国の春秋時代、長江下流域の二つの大国、呉(ご)と越(えつ)は、
たえず激しい戦いを繰り返していた。
呉王の闔呂(こうりょ)は、越王の勾践(こうせん)と戦って敗れ、
その戦いで傷を負って死んだ。
呉では、闔呂の息子の夫差(ふさ)が、王の座を継ぎ、父の仇を討とうと決心した。
夫差は、朝晩、堅い薪(たきぎ)の上に寝起きして、その苦痛に耐えた。そして、部屋を出入りする者に、その都度、こう言わせた。
――夫差よ、お前は、越の人間がお前の父親を殺したことを忘れたのか。
こうして、自分にわざと苦痛を与えて、復讐の志を忘れないようにした。
そして、三年後、夫差は、勾践を会稽山(かいけいざん)に追いつめて、降伏させた。
敗れた勾践は、のちに釈放されて国に帰ったが、大きな屈辱を味わった。この悔しさを決して忘れまいとして、勾践は、部屋に苦い獣の胆を吊して、自分にこう言い聞かせた。
――お前は、会稽で受けた恥を忘れたのか。
こうして、越王勾践は、苦い味を嘗(な)めて、自らを奮い立たせ、富国強兵に努めた。
そして二十年後、とうとう呉を攻め滅ぼして、「会稽の恥」をすすいだ。
【解説】
「臥薪嘗胆」は、もとは呉王夫差と越王勾践の間で繰り広げられた復讐の物語である。
現在では、復讐とは特に関係がなく、「将来の成功のために、長い間苦労を重ねること」「目的を達成するために、日々努力すること」というような意味で使われることが多い。
実は、『史記』には、越王勾践の「嘗胆」の話があるだけで、呉王夫差の「臥薪」の話は載っていない。
「臥薪」という言葉は、古くからあり、意味も同じであるが、呉越の歴史故事とは無関係であった。ところが、いつしか「臥薪」と「嘗胆」が一緒になり、どちらも越王勾践の行為として伝わるようになった。
「臥薪」は呉王夫差、「嘗胆」は越王勾践、というように話を二つに分けたのは、宋末元初の曾先之が著した『十八史略』である。おそらく著者が、この方が話が面白いだろうと考えて編集したのであろう。
『十八史略』は、日本では、江戸時代に大流行し、現在も歴史教材として広く知られている。したがって、「臥薪嘗胆」は、呉王夫差と越王勾践が、別々に行った二つの事を繋げて、一つの故事成語となっている。
ところが、中国では、『十八史略』は、ほとんど無名の書物である。
そこで、中国では、下の挿絵にあるように、「臥薪嘗胆」は、従来通り、越王勾践が一人で両方行ったものとして伝えられている。
【用例】
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