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歳を重ねるということ

私は40歳を超えた、世間でいうおじさんの部類に入る。

誰しもそうかもしれないが、自らおじさんですと宣言した場合、ほんの少しダメージを受ける。普段は意識外にある『老い』を改めて認識することになるからだろうと思う。

他人から(特に若い世代から)「おじさん」或いは「おばさん」と不意打ち的に呼ばれると、ダメージはさらに大きなものとなる。
自ら宣言した場合だと、他人から(仮にお世辞や忖度の類であったとしても)否定される可能性がまだ残っているが、

『いやいや、〇〇さんはまだ若いですよ~。』

『〇〇さん、もっと若いかと思ってました!全然おじさん(おばさん)に見えないですよ~。』

(お世辞や忖度だと判っていながらもほんの少し気分が良くなる。)

他人から(特に若い世代から)「おじさん」もしくは「おばさん」と認定されてしまうと、僅かな希望すら粉々に砕かれて、現実を突きつけられた感がある。

こういう風に書くと、若い世代から見ると非常に見苦しく思えるのではないだろうか。


おっさん必死だな(笑) と。


若い世代の嘲笑はおじさん(おばさん)側からすると『いずれお前らもそうなるんだぞ!』と反論したくなる気持ちも少しある。

しかしよくよく考えてみると、これが不思議と同年代からみても十分見苦しい。いやむしろ同年代から見た時の方が嫌悪感が凄いかもしれない。

日本でもずいぶん前から少子高齢化がすすんで、最近ではおしゃれな40代とか50代とかテレビなどで特集が組まれたりする。

そういった特集を何となく見てしまうこともあるが、特に同性の場合だと必死で若作りしているように見えてしまう。
(まさに『おっさんが若い子にモテようとして必死だなぁ(笑)』といった感じで見てしまう。)

基本的におっさんはおっさんが好きではない。
特に赤の他人のおっさんは嫌悪感すらもつ。

若い世代が嫌悪する加齢臭は、(自ら出しているくせに)おじさんも大嫌いである。特に赤の他人の加齢臭はちょっとした兵器と言っても過言ではない。

したがって都内の出勤時の満員電車などはおっさんにとっては、不快感(ダメージ)が尋常ではない。(若い人もそうかもしれないが。)
実際私自身は現在車通勤のため、不快感を感じなくて済んでいるのはとても幸せな事だと思う。
ただでさえ、不快なおじさんと強制的に肌を密着させられる苦行は(しかも毎日のことである)並大抵のものではなく徐々に蓄積される精神的ダメージは空恐ろしいものがある。

なぜ赤の他人のおっさんと書いたかと言うと良く知っている(知り合いになった)おじさんは別だからである。不思議なのだが、相手を知れば知るほど嫌悪感が減っていく傾向が強い。
(ある程度歳を重ねるとそもそも嫌悪感を抱く相手とはなかなか知り合わなくなってくる。)

自分自身が多くの事をポジティブに捉えられるようになったという要素も強いのかもしれない。相手を知る事を楽しみと考えられるようになってくる。(だが人による。私の知り合いのおっさんは年を重ねても未だ他人に興味が無いと宣言している。)

また仕事を長く続けるうえで、人と知り合う事の重要性に気付くというのも大きい。結局はビジネスは人で成り立っていることに気付いてくる。

話しは変わるが同世代の人に会うとしばし尋ねることがある。

40歳を超えて(または歳を重ねていくにつれて)ある時期急に死を意識するようにならなかったか。

若い人たちはあまりピンとこないかもしれない。私も若い頃は死を意識する事など皆無であった。

私自身に何か死を意識するような出来事があったかと言うとそうではない。(実は最近あったのだが死を意識しだしたのはその前からなのでその出来事については今は書かない。)

40代はマラソンで言うところの人生の折り返し地点に差し掛かる。

そうすると何となく、今までの人生を振り返ったりしてしまう。

私の半生はどうだったのか。

運良く結婚は出来た。でも子宝には恵まれなかった。

仕事は現在それなりの地位にいるのでもしかすると順調だったかもしれない。

じゃあ、もし仮に今死んで後悔は無いだろうか。

いやいや、後悔あるね。

TVで見たり、本で読んだ場所にも行ってない。
ドラマチックな大恋愛もしてない。(もう結婚してるから無理だが。)
知りたい事も山ほどある。(宇宙ってどうなってんの?とか。)

でももう人生半分終わってますがな。

一日一日を大切に。

どっかで聞いた言葉。

今になって、こういう事だったのかと。

むしろ一分一秒を大切に。

と若い人たちに言いたい。

色々な先輩や上司や教師などから色々な事を言われると思う。

でも人生は一度しかない。(過ぎた時間は絶対に戻らない。)

40年以上生きてきて時間が戻った事が一度も無いので多分戻らない。
(ドラマや漫画のような事は無いと思った方が良い。)

こんな当たり前で世界で何万人も同じような事言ってるのに気付くのに40年かかった。

だからこそ、好きな事ややりたい事があるならすぐにやれば良い。

死ぬ時に『良い人生だった~(^^♪』って言って死ねれば

貴方の勝ちです。

ゴール(死ぬとき)から逆算していったら寄り道してる暇など無かった事に今頃になって気付くという愚かさ。

勝ちとか書きましたが本当は人生に勝ち負けは無いんですが、それでもやっぱり『勝った~!』って思える人生を送りたいし、みなさんにも送って欲しいと思う。

コロナ禍の状況で生き辛い世の中になりつつある。

それでも人生は一度きりである。

だからやってみればいいと思う。

ここまで読んだ方、やっと判ったと思いますが、歳を重ねるということは

説教臭くなる

ということです。

おしまい。



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