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「カタツムリになりたい」を考えてみる

カタツムリになりたい。カタツムリになりたい。

「いちばんすきな花」 深雪夜々

すき花の1話。夜々ちゃんのセリフ。

見る前は、どうして「カタツムリ」になりたいのかなって思ってた。

「カタツムリ」って性別がないんだよね。
オスにもメスにもなれる。

「顔が良い」ともてはやされたり、
「女の子らしさ」を求められたり。

夜々ちゃん自身が「女の子」を求められることにもやもやを抱いていなければ、生きづらさを感じることもなかったのかな。「女の子であること」がつらくなることはなかったのかな。

ある時セクシュアリティ分析ができる「anone,」というサイトに出会った。いくつか質問に答えると、自分の「こころの性」「恋愛指向」「性的指向」「表現したい性」を出してくれる。ふと思い立って、私も診断してみた。

結果私は、
「シスジェンダー」「アセクシャル」
「アロマンティック」「ノンバイナリー」 
だった。

つまり
「体の性とこころが一致」していて、
「愛に恋愛感情はない」と感じていて、
「愛に体のつながりはいらない」と思っている、「男性でも女性でもないアイデンティティ」
らしい。

一番驚いたのは、こころの性は「シスジェンダー」なのに表現したい性が「ノンバイナリー」だったこと。

確かに自分はボーイッシュな格好が好きだし、中性的な人に憧れる。美人さんな男性の方とか、ショートヘアで格好良い女性の方とか。
「女性(女の子)」でいることに嫌気がさしたことはないけど、「女性(女の子)」として見られたり、「女性(女の子)」としての振る舞いを求められたりすることに対する抵抗感はある。
特に身体的特徴への抵抗感。「女性らしさ」「男性らしさ」を強調するビジュアルに直面した時、魅力を感じないわけではないけどぞわぞわする。それに強く魅力を感じている人がいることにもぞわぞわ。分かるけど、自分は知らない未知の世界。

「男」とか「女」とかあるのとってもめんどくさいし、しょーもなって思うし、男女の友情は成立してほしい。カタツムリになりたい。


「当てはまらないもの」って不安なんだろうね。

「いちばんすきな花」 潮ゆくえ

当てはめないと間違って傷つけちゃうかもしれないから。
確認したかっただけなんだと思います。優しさだったと思います。

私は「女」だけど、「女の子でいること」がどうしようもなくつらくなる時があって。それだけなんです。

「いちばんすきな花」 深雪夜々

中学生の時、保健室の先生に「女の子でいることがつらい」って相談したら、いろんな定義の話をされて、恋愛対象の話をされて。「もう話しても無駄だ。もういいや。」って思ってしまった夜々ちゃん。

「LGBTQ+」って何のためにあるのかなって考えていたので、自分の中で少しうーんとなってしまったシーン。

「LGBTQ+」という定義があるからこそ、どうしてもそれに当てはめようとしてしまう人が出てきてしまうと思う。「自分はLGBTQ+の完全な理解者だ」と思い込んでいる人が、「LGBTQ+はこうだ」という自分の認識のもと、悩んでいる人を当てはめようとしてしまう。
でもこれは自己満足の押し付けでしかない。
分からないものって怖いし、自分の知らないもの(当てはまらないもの)と対峙すると不安になってしまう。
だから自分の知識で解決できる土俵に相手を連れ込んで、自分の正義を振りかざす。「自分は味方だよ」って言えるように、自分の知っているものに結び付けようとする。そして「優しさ」の皮を被った「刃」が無意識に相手を傷つけてしまう。この「無意識」がいちばん怖い

性的マイノリティを理解し支援する人たち、またはその考え方を指す「アライ」って言葉があるけど、それってわざわざ名前を付けて「立場を与える」必要あるのかな、、と。
「相手の立場に立って考えを理解しようとすること」「相手の考えを尊重し思いやること」って、みんな当たり前にやってることじゃないのかなぁ。

「アライ」っていう立場を作ってLGBTQ+の理解者であることを表明する、みたいなことが、余計に「LGBTQ+は特別である」と思わせてしまうのではないかな、と。こう思ってしまうのは私だけなのだろうか。

でも、当事者にとっては「LGBTQ+」という定義の存在が救いになることはあると思う。

アイデンティティに悩んだとき、自分という存在を的確に示すことができる表現に出会えた時の安心感たるや。「ひとりじゃない」と思える安心感を与えてくれることが、その言葉・定義の存在意義だと思う。

アセクシャルを自認している自分の立場から感じたこととしては、それぞれが自分の指向に疑問を抱いたときになんとなく共感できる指標のひとつとして「アセクシャル」という言葉があればいいと思う、ということ。

アセクの中でもいろんな考え方・感じ方の人がいて、人によって定義も違う。無理に当てはめる必要はないと思うけど、「自分は他の人と違うのかもしれない」と悩んだとき、自分を指し示すことができる、自分の拠り所となりうる言葉があればひとつの安心材料になると思う。その意味で「アセクシャル」って言葉が存在してくれればいいな。


おまけ

夜々ちゃんが働いてる美容院の名前「snail」なんだよなぁ。英語でカタツムリっていう意味。
ちらっと映る「紫色の紫陽花」と「カタツムリ」のスマホの待ち受けも、今思うと夜々ちゃんの「好き」や「願い」が詰まってる写真なんだなってぐっとくる。

初めて4人でお茶した時に椿さんがコップを渡すシーン。椿さんが一瞬止まって、色違いのコップをそれぞれ「椿さん&紅葉くん」「ゆくえ&夜々ちゃん」になるように配ってて。
その時「そうだよね、椿さんはそう配る人だよね。」って思えて嬉しかった。
多分ゆくえは何も気にせず配る人。
でも椿さんは「男と女だから」って考えちゃう人。

こういう細かい部分好き。
生活に溶け込むそれぞれの「当たり前」とか「好き」とかが、それぞれの日常にひっそりとちりばめられてる感じ。

まだまだ見つけきれてないと思うから、ちょこちょこ見返して探してみよう。

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