見出し画像

発達障害の娘と私と家族の物語  Vol.3

いつも読んで下さってありがとうございます。
今回は 産婦人科の退院後からバタバタだったあれこれのお話です。

退院の日

私の出産した病院は国内でも出産数が常に上位の病院でした。
出産後の母体は安静がとても大切なので
入院中は母親がゆっくり休んで体力を回復できるように
母子別室の方針で、
授乳の時に赤ちゃんにおっぱいを上げに
新生児室に集まるシステムでした。

毎日10人〜15人くらいの赤ちゃんが生まれるので 
授乳時間にはとてもたくさんの新米ママが集まります。
赤ちゃんはみんなお腹が空いているのか大きな声で鳴いています。
が、たくさんの赤ちゃんの泣き声の中で
わが娘はいつもスヤスヤと眠っていました。
泣いていることは一度もありませんでした。
赤ちゃんが寝ている台を遠くから見て
泣いていない赤ちゃんを探せば たいてい我が子でした。 
「うちの子は本当におとなしい子供なんだな・・・」と
いつも思っていました。


退院の日がやってきました。
これから新米ママとして本格的に「母親」の第一歩を踏み出します。
不安より嬉しさと期待でいっぱいで退院手続きを済ませました。

退院時に返却される母子手帳には 
出産から入院中に何か気になることがあれば記載してあると
事前に聞いていました。
「おとなしいとでも書いてあるのかな?」とページを開いた時
私の目に入ってきたのは 『号泣』の文字でした。
一瞬目を疑いました。
「なんで? 産声はいかにも女の子って感じで可愛らしかったし、
授乳時も泣いてた事無かったのに・・・
でも 多くの赤ちゃんを見ている中で敢えて書いてあるって事は
特別大きな声で泣いていたって事?  
他の赤ちゃんと間違えて記載してるのではないのかな?」
などと考えていました、。

退院の時に着せるために用意した 
真っ白なベビー服を着ておくるみに包まれた我が子を
看護師さんから受け取り いよいよ母として独り立ちです。
病院の玄関でお世話になった看護師さんと私と
「静かにスヤスヤ眠っている娘」と
記念の写真を撮りました。


いよいよ 新米ママと赤ちゃんの生活スタートです。

お世話になった看護師さんにお礼を言い
家(里帰り出産だったので私の実家)に向かうため
私の母が運転する車に乗り込んだその時
突然『おぎゃ~』と娘が泣き出しました。
とっても大きな声が車の中に響き渡りました。
初めて聞いた娘の大きな泣き声にびっくり。
「どうしたの? おながが空いてるのかな?
家に着いたらすぐにおっぱいあげるね」と話しかけたり
あやしてみたりしましたが 
家に着くまでの20分程、
全く泣き止む事はありませんでした。

家に着いて直ぐに
荷物を放り出しておっぱいをあげました。 
が、飲んだか飲まないうちに また『おぎゃ~』
「おむつが濡れて気持ち悪いのかな?」と
おむつを替えてみましたが 一向に泣き止みません。
「お尻になにかついていて痛いのかな?」と
おむつの中をよく見ても何も問題になりそうなものは無し。
「服の中に異物でもあっていたいのかな?」
服を一度脱がせて身体に赤くなっているところが無いか
服になにか違和感になるような物はないか調べましたが
何もありませんでした。
母に「あなたのおっぱいが出ていないんじゃない?」と言われ
急いでミルクを作ってあげてみましたが相変わらず『おぎゃ〜』
どれくらいの時間泣いていたでしょう。
病院の玄関を出た瞬間からの『号泣』はずっと続きました。

「お腹が痛いのかな?」
「熱でもあるのかな?」
「暑いのかな? 」
「寒いのかな?」

思いつく限りの事を試しても泣き止まない娘に
どうしてあげたらよいのか分からず 
私はだんだんパニックに陥っていました。
そして、母子手帳の「号泣」の文字は間違いでななかったと理解しました。

生後わずか一週間足らずの赤ちゃんがこんなに大きな声が出るのか

と小さな身体に秘めた赤ちゃんの力強さに感心するのと同時に
私は母親としてやっていけるのだろうかと少し自信を失い始めていました。

どれくらい時間が経ったでしょう。
何もしてあげられないまま しばらく抱っこしてたら
泣き止みました。
ようやくホッとし、新品のベビー布団に寝かせようとしたとたん
『おぎゃ〜』と家中に響き渡る号泣復活!
その後は 抱っこしていれば泣き止み、下ろそうとすると号泣の
繰り返しでした。

*新生児はほとんど眠っている。
 赤ちゃんは眠っている時に脳が発達するので眠りは大切。
 
*おっぱいの目安は3時間おき

育児本や産科で教えてもらった事とは全く違う。

「眠らないと脳が発達しないから、抱っこしてでも
しっかり眠らせてあげなくちゃ」と 
その日から一日中 抱っこの生活が始まりました。
何度かぐっすりと寝た様子を見ては ベビーベッドに
寝かせることに挑戦しましたが全て失敗に終わり
また『号泣』を宥めるところから再スタートになりました。

授乳の時間がバラバラな事も悩みの種でした。
入院中も看護師さんから教えて頂いたのですが、
小さい赤ちゃんは少し飲むだけでも
疲れて眠ってしまうので 
足をくすぐったり
頬をツンツンとしてながら 
何とか飲ませている感じでした。
自分の母乳は十分では無いにしろ、そこそこ出ている感じはしてました。
赤ちゃんの飲む力と一緒にママの母乳も出る様になると
聞いていたので焦る事はありませんでした。
足りない分はミルクで補う様に入院中に押してもらってたので
母乳をあげる時に20〜30ccくらいの少量のミルクも
準備しておきました。
しかし、おっぱいも飲んだり飲まなかったり、
哺乳瓶を口にしてもべ〜と出してしまうことも度々。
作ったミルクも飲むより捨てる量の方がずっと多かったです。
時間的にはお腹が空いているはずなのに 
ちゃんと飲んでいるのか全く見当がつかず。

退院する時には明るい未来しか見えていなかったのが
だんだん不安の方が大きくなってきていまた。

産後うつ?

退院3日後、
授乳の量が気になっていたので
母乳が思っているより出てるからミルクはいらないのかな?と
考え、搾乳してみました。
その時、その様子を見ていた母に言われました。
「それだけしか出てないの? 私はもっと溢れるほど出たわよ」
咄嗟に
「最初はあまり出ないけど 母乳は赤ちゃんが飲む量だけ
出る様にるって。母子共同でちゃんと機能する仕組みになってるものだって
教えてもらったよ」と必死に弁解してました。
ショックでした。 母は子供たち3人を母乳だけで育てた事を
折に触れ話してくれていました。 
「私(母)は出来てたのにあなたは出来ない」と言われているように
感じました。

また、ある日の夕食の時、
私が食事をとる間、母に娘を抱っこしていてもらっていました。
その時に母は笑顔で私に言いました。
「ほら、私が抱っこしてるとこんなに良く寝るわよ」
決して悪気があった訳では無いとは分かっています。
しかし、精神的に不安定になる産後、
ましてや 毎日泣き止まず、ちゃんと寝ているのかどうか、
おっぱいは足りているのかどうか・・・・と不安になっている時に
この言葉は
「あなたはお母さん失格 」と言われているようしか
受け止められませんでした。 
私の中には「余裕」というものは無くなっていました。
「それならお母さんが育ててよ。
私には子供を育てる資格も能力もなんだから」
と必死に言う私の頬には涙が溢れていました。
 更に母は続けます。
「なにを言ってるの? あなたの子供でしょ」

新米ママは分からない事だらけ、
その時まで先輩ママの母に「こういう時どうしたらいい?」と聞いても
「もう昔の事だから忘れちゃったわ。お友達でもきてみたら?」の
返事をそれまでは気になっていなかったのが
突き放されていた様な感覚に変わり、
母乳をあげるのも、寝かせることも
「私にはできるのにあなたにはできない」
と宣告されたようで 
逃げ場のない大きな穴に落ちていくような感覚でした。


その日から それまで少しずつでも
出ていた母乳が
ほとんど出なくなってしまいました。



今、考えれば 娘はとても敏感な子供で
病院を出て初めて感じる太陽の光、
道路を走る車の音や
それまで常に一定に管理されていた温度との違いや
空気間・・・
全て 病院のドアを出て初めての物を感じ取って
不安だったのかもしれません。
その時はまだ、娘が
色んなものを過敏なほどに感じる子供だとは
分かっていませんでした。
そして 「発達障害」と言う言葉もまだ
耳にすることは少ない時代でした。
母親業も すべてが初めての事ばかり
全くの初心者なのですから何でも上手くできるなくても
ダメなんて事はないのですが
産後のママは平常時以上にナイーブ
今の私があの頃の私に寄り添ってあげられたら
もう少し肩の力が抜けていたかもしれませんね。
あの時に私に 
「大丈夫 何とかなるよ。」と伝えてあげたいです。


今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。
もう25年前の事ですが つい昨日の事の様に
思い出されます。
次回は実家から主人の待つ私たちの家での
生活が始まります。
是非、のぞきに来てくださいね。


この記事が参加している募集

#子どもの成長記録

31,581件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?