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体験からの教訓

私が高校を卒業してすぐぐらいの頃、お父(おとうと読んでた)の勤め先が倒産した。全然聞かされてなかったからめちゃくちゃビックリした。お母さんから、朝聞かされた。しかも、それは普通の朝ちゃうで、私の通ってた高校の仲良しメンバと温泉旅行に行く日の朝。

まず、なんでいま言う?!

でも、いってらっしゃいって感じではあったから、その暗い事実を背負いながら、みんなとの待ちあわせ場所に到着。

「Jコどうしたん?!めっちゃ暗ない?」

女子の勘って鋭くて、私は普通にしてたつもりやってんけど、すぐバレた。でもそんな楽しい日にそんな暗い話はもちろん打ち明けず。ていうか、今の今まで友達には打ち明けてない。だってさ、私の学校、私立の女子校やってんもん。お医者さんとかパイロット、教授の娘たちばかり。私は一般的には恵まれてたんやろうけど、学校では底辺。普通のサラリーマン家庭。お母さんが必死に内職までして、通わせてた。今思えば、なんで?って気するけどさ、お母さんは貧乏農家出身で夢も持てなかったから、子どもたちだけにはって思いが強かった。

でもさ、分相応じゃないと、結局その集まりの中で苦しむ。恵まれてるやんって思われるやろけど、こちらにはこちらなりの苦しみがある。

話は戻る。

なんとか、持ち直して旅館に到着。そこでくつろいでたとき、新聞の記事見つけて誰かがこう言った。

「●●会社、つぶれてんな〜」

中小企業ではあったけど、その業界では知ってる人もそれなりにいるっていうお父の勤め先。

その全く悪くない一言に、また現実に引き戻されて、不安で涙が溢れそうになった。姉や兄は自立してたけど、私だけが今から大学生。

布団で皆寝た後、涙がポロポロこぼれた。なんかわからんけど止まらんねんな。

私はなんとか旅行を楽しんだ、いや、というよりぎりぎりで乗り切った。

そっからがまためちゃめちゃやったな。清算に毎日出かけるお父。その前からもう冷戦状態だった両親。お母さんはようやく心を決めて、離婚することにした。離婚する日、家族全員が久々に集まった。そんときのご飯、カレーやったな。全員集まるとか久々やったのに最後になるなんて切ないよな。

話し合い後の解散の儀式。(離婚届に押印)

お父はめちゃめちゃ優しくて面白くてよく遊んでもらったし、いつでも迎えに来てくれたし、ほんまに子どもにとっては嫌な思い出ないねん。でも、親になった今やからわかる。子どもにとっていい親でも、やっぱりいい妻とかいい夫じゃないとあかんねん。親同士でどっちかがどっちかを傷つけたり嫌なことしたりしてたら、子どもにとってもあかんねん。

うちは、暴力なんかは全くないけどさ、とにかくお金にだらしなかった。私の生まれる前には借金もだいぶあってお母さんが肩代わりしたとかしてへんとか。それにいわゆる仕事人間で、朝7時から出発して、帰りはいつも0時前後やった。ブラック企業でがむしゃらに働いただけなんかもやけど。だから、お母さんの話とか聞いたことなかったんやろな。お母さんが何か相談してるとこなんて見たことない。

うちの家族はバランスを崩して、残念ながら解散しちゃったんやけど、これで良かったんかもな。

で、何が言いたかったんやろ。

そうそう、子ばかりを見るより、夫くんをしっかり見て、穏やかに過ごしてる両親の姿を子に見せるのが結局一番いいんかもな。

毎日ありがとう。

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