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一箱のじゃがりこ🍟

秋の連休…珍しく家でのんびりしているので2作目のエッセイを書いてみました。時はさかのぼり息子が小学一年生の出来事です。

息子がピカピカの一年生となった春、校外学習が行われました。近くの山でのハイキングです。昼前でしょうか 一本の電話が。「息子さんが怪我をしました!」大きな丸太の遊具から滑り落ちた様です。
病院に行くと右肘を顆上骨折していて(3~8歳のまだ骨が柔らかい子供に起こる骨折)緊急手術する事になりました。ただし折れた骨を正しい位置に引っ張り戻して固定するので「人手がいるので先生全員の手が空き次第」との事。
一先ず病室に運ばれた息子は全身麻酔に備えて絶食に。付き添っている私と娘も横で何か食べる訳にもいかずに空腹での待機。
当時、夫は外国人専門の刑事をしていて多忙を極めており病院に来る気配はありません。両親も遠方、引っ越したばかりで近所に頼れる友人もおらず完全なワンオペ状態の私。
せめて娘には何か食べさせてあげたかったのですが怯えている息子を置いて売店に行くこともはばかられ…
娘は当時とてもクレバーな幼子だったので文句一つ言わず大人しくベッドの端に座っています。

「〇〇君お待たせしました!手術室行きますよ~」

夜の7時やっと先生達の手が空いたようです。看護師さんが車椅子を持って来ました。僕を何処に連れて行くつもりなの!?と言いたげに不信感で一杯の息子は頑として車椅子に座りません。
困った看護師さんは「折角、持ってきたから妹ちゃん乗ってく?」ここでもクレバーな娘は空気を読んでさっと座ってくれました。
先導の看護師さん、私と手を繋いだ息子、車椅子に乗った娘とそれを押す看護師さん…この可笑しな一行で手術室までの暗くて長~い廊下を歩きました。もう夜なので誰も居なくて電気も消えている病院内。

息子が怯えているので「麻酔が効くまで お母さん付き添ってね。」と言われ私も白い割烹着のようなものを着せられ手術室に。
「妹ちゃんはこっちで待ってようね!」ここでも娘は大人しく「お兄ちゃん頑張ってね。」と手を振りながら別室に入って行きました。もうONEチームです!私達母娘www
手術台に寝かされ口にマスクを付けられた息子。「カブト虫の匂いがするからネ」と執刀医。「えっ?先生フルーツの匂いですよ」と看護師さん。「カブト虫だよ〜」と先生。えっ?どっちなのさ…と思っていると3秒程で息子は寝落ち。「よろしくお願いします!」と手術室を出た私。
娘と2人病室に戻って待機する事に。取り敢えず、手術が始まった事にホッとした途端お腹が鳴りました。もう8時近いので売店もクローズ。手術が終わるまでは外にも出られないのでコンビニにも行けません。
私のカバンを漁ってみたらありました!じゃがりこが。一杯のかけ蕎麦ならぬ一箱のじゃがりこ💛
朝ご飯を食べたきりの私達「美味しいねェ…」とじゃがりこを分け合いました。この時の事を娘は覚えていないようですが今だに じゃがりこが好きなのは味の記憶が残っているからなのでは?と。
手術は先生8人がかりで正しい位置に骨を戻して固定したそう。コンコンと眠っている息子が病室に戻って来ました。目が覚めたら麻酔で錯乱してるから暴れるけど気にしないでねと言われました。
はいっ!滅茶苦茶 暴れましたね。3分程で落ち着きましたが。
小指の神経の近くに銅線(見た目はバーベキューの串っぽい)を2本刺して固定したので小指が動かなくなるかもと言われました。
右の小指が動かなくてもバイオリンは弾けるなと思った私。幸いにも小指は動きましたが。
一週間ほどで無事に退院しまして。右腕のギブスを三角巾で首から吊るした状態の生活に。
白い布だと味気ないのでカラフルな星条旗のハギレで三角巾を手作り。「カッコイイね!」と先生や看護師さんにも好評でした。
学校にはすぐ行けたのですがランドセルが背負えない…そこで活躍したのが私のマザーズリュック。大容量で軽いので片手でも背負えるのです。

ギブスが外れるまで2ヶ月間…

左手だけの生活が始まりました。1週間もすると息子は器用に左手で箸を操っている。ヘロヘロながらも左手で字も書いているではないですか!?子供の適応力たるやΣ(゚ロ゚;)
昼の薬は担任にお願いしてあったのですが本人が器用に口で開けて飲んでいると。骨折で両利きになった息子は裁縫など細かい作業は左手を使うようになりました。今でも手先がとても器用です。

怪我の功名とはこの事?!かもしれませんねwww

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