とにかく、温かいお茶を飲みましょうよ。

自分のコンディションが悪いとき、これをすると「大丈夫」に戻ることができるなということが、誰でも一つや二つ、あるのではないかと思う。物事が解決するわけでなくとも、少しだけ心が穏やかになったり呼吸がしやすくなったりして、そんな風に試行錯誤を重ねながら、我々は日々を生きていく。

温かいほうじ茶を飲む、ということ

わたしにとってのそれが、温かいお茶を飲むこと。家にいたら決まってお気に入りのほうじ茶を飲む。そうして湯のみやマグカップから伝わってくる熱を手に感じながら、少しずつ、飲んでいく。喉を通って、胃に届くまで、ああ、体は繋がってるのだ、この部分を通ってお腹に届くのだ、ということがわかるひととき。そしてほっと一息をついて、先ほどよりも少しだけ、状態がよくなる気がするのだ。

わたしが感じた味と校長先生

わたしはこの考えをどうやら小学生の頃から持っていたらしい。

何の機会だったか、校長先生にお茶を持っていく機会(家庭科の延長みたいなものだったのかな、今でははっきり覚えていないのだけれど)があり、たまたま先生がお部屋にいなかったので、
「冷めてしまったかもしれませんが、ぜひのんでください。心があたたまる味がします」
というメモを残したことがある。校長先生はこの時のお茶とわたしのメモを気に入ってくださって、その年の終業式には全校生徒の前でお話してくださり、更に学校だよりみたいなものにも書いてくださったことを、今でも強く記憶している。学校の先生たちになんとなく距離感を感じていたわたしが、唯一と言っていいほどに心が通じた感覚がした出来事であった。今でもあの校長先生の、素敵な笑顔を思い出す。お元気かなぁ。

「大丈夫」になる方法

わたしの場合はほうじ茶であるが、それぞれにしっくりくるものは異なるはずだ。でもきっと温かいものが、「大丈夫になる」、という目的のためにはよい気がしている。
だからわたしは友人から「こんなことがあったの、どうしよう」とか、「今行き詰まっているんだ」という連絡を貰うと、迷うことなくこう伝えてしまう。「温かいお茶を飲むといいですよ」。これに対して「?」という反応を貰うこともあったけど、わたしは至って真剣だ。
本当に、ちょっとだけよくなるんだよ。ごちゃっとしていた頭の中が整うんだよ。
これをわたしは、心底信じている。おまじないみたいなもの? と聞かれたこともあるけれど、おまじないとも祈りともジンクスとも異なるような、今までの日々で培ってきた「実感」である。

しかし1つだけ、困ったことがある。
自分があんまりよくない状態にあるとき、自分を救うはずの方法を、忘れてしまうことだ。勇気をくれたあの映画や、思わず体が踊り出すあの音楽や、わたしの一番近い場所で寄り添ってくれる本たち。元気の出るごちそうや、いつも的確な言葉をくれるあの人。なぜそんな肝心なとき、わたしたちはそれらを忘れてしまうんだろう。

そうしてなんだか孤独に感じて、どうしようもなくなって、しんどい、しんどい、となってしまう。自分にもそういうときがあるし、そうなっている友人たちを見たこともある。物事というものは受け取り方次第で、今まで響いていたものが全く効果をなさない、ということもある。むずかしい。

でもそんなときにこそ、わたしの「温かいお茶を飲む」を試してみてほしい。お家にある、緑茶でも、紅茶でも、ハーブティーでもよい。お外にいるなら、自動販売機のペットボトルでいい。そうしてその手を、体を、暖めてみて欲しい。カフェインで覚醒させなきゃ、というときの新しい選択肢として、迎え入れてみて欲しい。

そうしたらどうだろう、何か少しだけ変わるかもしれない。やりきれないことの渦の中で、自分を少しだけ、律することができるかもしれない。あくまでもしかしたら、なのだけれど、世界中日本中なんとなく(ほんとは理由は明確にあるけれど)「あ〜あ」なこの梅雨の日に、誰かに届けばいいな、とひっそり思っている。

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