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【完治】新型コロナウイルスに罹患したその後

前回の更新から日が空いてしまいましたが、コロナは無事に治りました! 

7月5日の夕方にコロナ陽性が発覚し、7日にホテルへ移動、14日の午前中に家に戻り、15日が終わるまでは自宅療養で、16日から完全解放されました。今、再びコロナが猛威をふるっているため、まだ医療機関や保健所がパンクしていない、ある意味ちょうど良い時期にコロナになり、ホテル療養をすることができました。

ホテル療養は結果から言うと、大変でした。まず、窓が開かない。外の新鮮な空気が吸えず、さらにホテル自体も古かったため、換気設備は微妙で、日に日に「く、空気が……新鮮な空気が吸いたい……」と、違う意味で体調が悪くなっていきました。さらに、良いのか悪いのは、私が宿泊した部屋は目の前に「配膳コーナー」 (毎食分のお弁当が置かれる場所)があり、私はほとんど歩かずに毎時間、お弁当を取ることができたのです。廊下が長いため、一番遠い部屋なら、ちょっとしたお散歩、運動になり、気分転換できるはずでしたが、私はもうすぐに、忍者のごとく、ささっと素早く、ほぼ歩くことなくお弁当を取ることができてしまいました。

外の空気も吸えない、少しの距離を歩くこともできない、毎食お弁当……。これはかなりつらかったです。自宅にいたら、窓を開け、新鮮な空気を吸え、気分転換に庭をお散歩することもできたでしょう。もしホテル療養を考えている人がいたら、ホテルは閉鎖空間であることを覚えておいてください。

ドアののぞき穴からの景色

食事は、3食ずっとお弁当でした。朝は軽め、昼夜はがっつりです。揚げ物も普通に出ます。私は最初の頃は下痢だったので、あまりご飯を食べられず、それを電話で看護師に伝えたら、ウィダーゼリーや朝バナナゼリーなどを配給してくれました。さらに、りんごジュースやオレンジジュースまでもらえ、これにはテンションが上がりました。なぜなら、毎日配れられるペットボトルの飲料水がまずかったからです。水がまずいなんてあり得ない!と思うかもしれませんが、なぜかまずかったのです。日本産の水です。ジュースを含めた水分は、1日1リットルいくかいかないかくらいしか取らなかったと思います。

初日のお弁当(夕食)とその他支給品
朝食は軽め
お昼は麺類が出ることもたびたびありました
朝からおにぎり3つという重めのときもありました
たまにはちょっと豪華なお昼も

ホテルへ移動する7日は、熱は下がり平熱に近くなったため、自分で車を運転して集合場所へと向かいました。サイズ制限があり、ホテルの駐車場に車が入らないと事前に分かったため、河川敷の広い駐車場を案内されました。他にも車は何十台と止まっていて、かなりの人がホテル療養を選んだようです。車の中で待っていると、ホテルへと移動する大きめのバンがやってきて、それに乗り込みました。私の他に4人くらい同乗者がいましたが、みんな元気そうに見えました。私だけ、痰がものすごく絡み、喉が痛く、「ゔゔゔゔ」みたいな声で少し恥ずかしかったです。

車内では調子に乗ってGRでパシャパシャ撮っていたら、気持ち悪くなり、「すみません!気持ち悪いです!」と宣言し、車をストップさせてしまいました。防護服を着た運転手からは「もうちょっとだから、頑張って!」と言われ、吐いたとき用のビニール袋を渡されました。しばし、吐き気を堪え、無心になる私。それから10分くらいでホテルに着き、一安心。車から降りるとき、同年代くらいの女性が「大丈夫ですか?」と気遣ってくれたのがうれしかったです。ちなみに、療養を終えて帰るときもバンに揺られ、気持ち悪くなりました……。

車窓の眺め

その後、ホテルの受付で簡単な説明を受けて部屋へ向かいました。ホテルは県に一棟貸ししていて、完全にコロナ感染者の療養所になっていました。結構古いホテルで安定した収益が見込めなさそうな気がしたので、県に貸して安定した収益を得るのは良いことですね(もっときれいなホテルがよかったですが)。

毎日配られた支給品(ゴミ袋は初日だけ)

それからの日々はもうひたすら昼間は仕事をして、夜は早く寝て10時間後くらいに起きる、という流れを繰り返していました。お風呂は面倒くさくて&とある理由があり、数日に一回くらいしか入りませんでした。とある理由とは、毎日配られるタオルの質が悪かったからです。お風呂に入り、そのタオルで体を拭くと、全身に細かい繊維がつきます。こするとポロポロと垢のように落ちます。それが不快すぎて、タオルを使いたくなさすぎて、お風呂にあまり入りませんでした。あのタオルは本当に質が低すぎる……。まあおかげで、洗い物をすることなく、数少ない下着や着替えで間に合いました。どんなに不潔だろうが、誰にも会わないから、別に良いのです。そう割り切ってすごしていました。

ホテル入居1日後くらいには、熱はほぼ平熱に戻り、その反面、痰と咳はしぶとく居座りました。コロナ患者の症状を見ると「唾を飲むにも喉が痛い」とよく書かれていますが、私はMAXで痛いときでもそこまでは痛くありませんでした。喉風邪の少しひどいバージョンといった感じです。ただ、かなり長く痰と咳は私の体に居座りました。2週間ちょっとたった今になって、ようやく「もう平気かな」と言えるレベルです。数日前までは「まだちょっと痰があって、咳がでるな」でした。本当にしぶといです。

ホテルからの眺め(雨の日の夜)
「帰る日は荷物をゴミ袋に入れて二重にしてください」と言われ、その通りにしましたが、重すぎで持てなくて(しかも荷物入りきらない)、許可を取り、普通に裸のまま持っていきました。

体のだるさや、味覚障害、嗅覚障害などはコロナになってから一切なく、今残っている症状も一切ないです。ある意味長い、長い、風邪でした。個人的にはインフルよりはつらくなかったです。子供のときにかかったであろう、インフルはやはり人生経験が少ない分、大変だった記憶があります。今はもう、生きることのつらさに慣れ、この程度は屁でもない数々の困難を味わってきたため、「意外と大丈夫だったな」という感想です。もちろん、重症化する人も稀にいるため、コロナに気をつけるに越したことはないです。私は、明らかに自分から移してしまった人がいるので、本当に申し訳ない気持ちになり、またその人がさらに違う人に移していないか心配にもなりました(大丈夫でした)。コロナの何が怖いかといえば、「誰かに移してしまうこと」でしょう。無症状の場合はそれは防ぎきれないけれど、「あなたはコロナです」と言われたあとに、「え、人と会っちゃったよ……大丈夫かな」とかなり心配になります。

これからは自分が人と会うとき、自分の体調はばっちりか、コロナの疑いがありそうな人と接触していないか、しっかり考えてから、会うべきだと思わされました。私のようにほぼ家に引きこもっているリスクの少ない人間でも、ちょっとした外出で誰かからもらってしまう。それはもう防ぐことができません。一人ひとりが体調に気をつけて生活するしかありません。今回のコロナで保険金がもらえたのはラッキーでした。私は仕事はほぼ休まずできたので、保険金はちょっとしたボーナスです。悪いこともあれば、良いこともあるのですね。

そういえば、まだ自宅療養だったときに「2階は私のトイレ」「1階は他の家族のトイレ」と分けて使っていたのに、父親が気にせず2階のトイレを使い、何度言っても使い続けるので母親がこのような張り紙を掲げました。下痢であったのは事実ですが、なんだか恥ずかしいですね。しかも、私がホテル療養を終えて自宅に戻ってきても、まだ紙は張ってありました。コロナによって、皆の日常生活がストップし、家の中の時の流れが止まっていたのを感じた瞬間でした。


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