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わたしが当選した暁には

別に選挙に出るわけではないです。

中学生のとき、生徒会選挙に出た。
中学一年生の冬頃、各クラスで三名ずつが代表として『選挙に出馬』し、当選した人が生徒会になるという仕組みだった。わたしは投票でクラスの代表に選ばれた。多分選ばれるだろうなと思ってはいたが、本当に選ばれたときは表情の作り方に苦労した。意外そうにするのも不本意そうにするのも違う気がして、結局ヘラヘラしていたような気がする。

会長、副会長、書記、会計、それともう一つうちの学校独特の役職があった気がするが忘れた。わたしは副会長候補として出馬することになった。対抗馬は隣のクラスの川口さん(仮名)。くせのない髪の毛を耳の下にツインテールに結んだ、きれいな顔をした物静かな子だった。喋ったことはないが、美術部だと後から知った。もしかしたら仲良くなれたかもしれないのに、『ライバル』のような立ち位置になってしまって一気に気まずくなった。学校側に謀られた不和だ。

選挙は単純で、公約演説のようなものを中学の全校生徒の前で行い、それに対して投票が行われるというシステムだった。演説の文章は、当時大学生だった姉の力を借りて考えた。内容は全く覚えていない。しかし、今でも覚えていることが二つある。

生徒会副会長候補の◯◯です、と名乗るところまでは、他の人と変わらなかった。しかし、わたしが次に発した言葉が問題だった。

「わたしが当選した暁には」

そう言った途端、講堂の中が一気にざわついた。いま思えば、何でもない言葉だ。しかし、中一が口にするにしては、「暁」という言葉はやや大人びすぎていたのかもしれない。それとも、大仰すぎたのだろうか。いずれにせよ、あかつきってなに!? そういうどよめきが確かに起こった。予想外の反応にわたしはビビったが(姉の力を借りて書いた原稿だったが、わたしは「暁」という言葉を自分の言葉として扱えるこましゃくれたガキだった)、言ってしまった言葉を取り消すことはできない。内心動揺したまま、演説を続けた。

それともう一つ。うちの学校は女子校なのだが、在校生のことを「◯◯女生」と呼ぶ文化があった。大体の学校にあるだろう。慶應女子なら慶女生だし、東京女子なら東女生だ。どんな文脈だったかは忘れたが、演説の中で、わたしはその「◯◯女生」を「◯◯じゅちぇっ!」と言ってしまった。甚だしく噛んだ。誤魔化しようのない噛み方だった。
会場は一気に笑いに包まれた。期せずして、「暁」という硬い言葉とのバランスを取ってしまったのだ。照れながら訂正して演説を続けながら、わたしはこの選挙に勝ったことを確信してしまった。ひどくざらついた気分だった。

案の定、わたしは選挙で川口さんに勝った。多分、圧勝だったのだと思う。そんな雰囲気だった。川口さんは一度も噛まず、真っ直ぐな言葉で演説をしたのに。それでも、より多くの票数を集めたのはわたしだった。わたしは、生徒会副会長になった。

当選が分かったあとのホームルームで、担任の先生に「よかったね! ”あかつき”って格好よかったし、そのあと噛んで可愛らしかったわァ!」と言われた。今のわたしよりも随分と年若い、女の先生だった。その言葉でわたしは、自分が選挙に当選したのはやはり「暁」と「じゅちぇっ!」のおかげだったのだな、と思った。ひどいズルをしてしまった気分だった。

川口さんとは、その後ほとんど口を利かなかった。高校一年生の頃(うちの学校は中高一貫だった)、一度だけ同じクラスになったが、それでもあまり仲良くはならなかった。残念だったが、仕方ないなと思った。

川口さんは、美術部を高校三年の引退まで続けて、現役で京都大学に合格した。我が校史上はじめての京大合格だったと聞いた。すげー!と思った。実際めちゃくちゃすごいのである。彼女は今でも研究室だか何だかに残って、何か難しい研究を続けているようだ。もういい年齢の女性だ、きっとそんなわけはないのに、川口さんは今でもきれいな黒髪をツインテールにしているのではないかと思ってしまう。


#日記 #コラム #エッセイ #雑記

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