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少女の孤独に気付く少年は、幼さと拙さ故に度が過ぎて―『聲の形』

*扉絵:コグニティブ・フォートトーク、ビジョンクリエーター生成
*以下の論考には映画『聲の形』のネタバレが含まれる。

 善悪二元論は、一見すると複雑な事象を割り切って見せたようで、しかし物事を単純にするからこそ、逆説や逸脱、期待と行為の相違を都合よく塗り潰してしまう。

 石田将也は好奇心旺盛な道化である。その旺盛な好奇心にとって、聾者の西宮硝子は関心を引きつける存在である。彼は思春期以前の男児が無邪気に放つ悪ふざけを書き記し、ちょっかいを出す。

 しかし、時間の経過と共に奇妙さが浮かび上がってくる。担任は硝子に対する配慮を見せず、女子の間における彼女の関係性がずれ始める。硝子は「声をかける」ことが出来ず、相手からの働きかけを受ける以外に、関係性を繋ぐ方法を知らない。そして彼女が避けられていることに気付く将也の忠告に反応して、笑いながら「ともだち」と言う硝子の、その拙い言動を理解出来ない彼は苛立ちをぶつける。

 かくして将也は道化となる。彼の行動は、硝子を取り囲む教室内の関係性が何かおかしいと示す告発である。道化は秩序や作法から逸脱してそのおかしさを顕在化し、誰にも正面から受け取られないまま増長してゆく。逸脱は補聴器の紛失・故障にまで至り、悪ふざけとちょっかいが逸脱の文脈において露見する。告発を受け取らない領主は、管理責任を問われるが故に道化を公開処刑に付し、道化は烙印を押される。この処刑が持つ見せしめ効果は絶大であり、道化の振る舞いはその場に居る全ての者に対する告発でもあることから、道化と少女とのそれぞれに対する距離に従って、当事者に呪いが降りかかる。そして少女の退場という結末を以て烙印はスティグマと化す。道化は一線を遙かに越えて、己が成したことの咎を受ける。

 硝子は去り、自らが関わっていることを正視出来ない周囲の者たちは、将也を拒む。特に、彼の最も近くに居るという重大さに耐えられない島田一旗は、彼を拒絶する。そして将也は咎を享受する。悪びれるでもなく淡々と、友人関係を絶ち、補聴器弁済で母が支払った金額をバイトで貯め、母に見透かされて目論見は失敗するが、スティグマを精算しようと試みる。将也の性根は腐ってはいない。彼は自身が成したことの重大さと向き合い続け、困っている永束友宏を助ける。将也は友宏と関わることで、自身の過去とは無関係の人間と繋がる。

 この物語の救いは、将也が腐れ外道ではないことと、硝子がスティグマを持つ者であり、周囲の凡人とは違う認識を持つことである。

 硝子は異質な世界を生きている。彼女は教室内で形成される階級を認識せず、将也の自作自演を額面通り受け取り、感謝を伝える。硝子は彼の行動を拒絶しない。更に、彼女は将也に対して好意をすら抱く。彼が筆談ノートを返しに行って鉢合わせるときに見せる硝子の取り乱し様は、母親同士が対面する夜、偶然に両者が顔を合わせるときの反応からみて、恥じらいだろう。彼女には将也に対する拒絶がない。それどころか、将也を貶めた妹の結弦に激怒し、彼に告白までする。

 硝子は、自身と将也を取り巻くかつての人間関係を理解しないが故に、かつての当事者を再び繋ぎ始める。そして、植野直花によって彼女は自身が認識している世界の外側を知る。自身の無知が介在して将也が背負い込むスティグマを突きつけられる硝子は、自身に絶望し、道化に救われる。彼女はスティグマを持つ聖女から単なる少女となり、少女は道化を解放へと導く。

 過去の人間関係のみに閉じていない彼らの関係性は、過去に規定される延長線を越える未来と繋がっていく。異質な存在と、その異質さに触れて境を跨ぐ者が、その代償として刻まれる徴を引き受け、両者が背負う聖や咎を浄化をする通過儀礼の中で、その徴を生み出す場に居合わせる者たちに刻まれる呪いもまた、浄化されてゆく。この構図が、この映画の根幹である。

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