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やむに已まれぬが故に―『悪魔はいつもそこに』“THE DEVIL ALL THE TIME”

*扉絵:コグニティブ・フォートトーク、ビジョンクリエーター生成
*以下の論考は映画『悪魔はいつもそこに』“THE DEVIL ALL THE TIME”のネタバレが含まれる。

人生は数奇なものであり、人の結びつきもまた、数奇なものだ。この映画は、ラッセル家の息子・アーヴィンを主軸に、人々の数奇な繋がりが描かれる。

アーヴィンは数奇な関係性を背負っている。父・ウィラードと母・シャーロットの出会いそれ自体が偶然の巡り合わせであり、その偶然に関わったカールはサンディと出会い、最終的にアーヴィンに葬られる。彼の義妹であるレノーラは、祖母・エマがウィラードに引き合わせようとした女性・ヘレンと狂信者・ロイの娘であるが、ヘレンがレノーラをエマに預けた直後にロイがヘレンを殺害し、それ以来ラッセル家に引き取られる。ヘレンを殺したロイは逃げ、奇遇にも彼を拾ったカールとサンディの餌食となる。サンディの兄で保安官のリーは、シャーロットの病死に耐えられないウィラードが自殺した件を扱った際に幼少のアーヴィンと出会い、最後は彼を葬ろうと試みて返り討ちに遭う。父母を亡くしたアーヴィンは祖母の元へと送られ、そこでレノーラと出会う。

アーヴィンはレノーラを実の妹のように護る。彼女をいじめる三人組を叩きのめすアーヴィンは、ウィラードが与えた教訓に従う。その教訓を与えた父は、かつて第2次大戦に従軍し、ソロモン諸島でトラウマを負う。彼は自宅の裏手の林に十字架を立て、息子のアーヴィンと共に祈りを捧げることを習慣とするが、妻が不治の病に冒され、愛犬を生け贄として捧げるほど偏執的なまでに神にすがる。そして奇跡など起こらず、シャーロットは死に、その事実を受け入れることが出来ないウィラードは葬儀の晩に命を絶つ。

ただ神にすがっても仕方が無いのである。狂信者のロイが妻のヘレンを殺すのも、彼が「神のお告げ」を願い続け、神託を得たという錯覚が引き起こすのだ。神にすがるよりも、現実と向き合うことの方がよほど実用的である。かつてウィラードは、アーヴィンに名誉の文化に則る実力行使の仕方を示しているのだが、トラウマを秘めて妻の死に向き合えない父は、神にすがりつくことの愚かしさをも示すのだ。

この物語は、殆どがアーヴィンを取り巻く背景を描き出すことに費やされ、事態はレノーラの自殺を機に動き始める。

新米の欲深き牧師・プレストンは言葉巧みにレノーラを誑かし、彼女を犯す。そうして身籠もるレノーラは、自己保身に走るプレストンに「妄想」として退けられる。「妄想」は 権力を持つ男にとって都合が良い。絶望する彼女は首に縄を巻き、思い直して縄を首から外そうと試みるも、バランスを崩して乗っていたバケツから足を踏み外す。結局レノーラは死に、自殺として処理される。

しかし、捜査官がアーヴィンにレノーラが身籠もっていたことを告げる。飲んだくれだが嘘はつかない男の情報だと告げる捜査官を信用出来ない彼は、プレストンを監視し始め、そこで牧師の欲深さを目の当たりにする。プレストンはレノーラと同じ年頃の娘を誑かし、妻と淫蕩に浸っている。

殊ここに及んで、これから事を成す上でのあらゆる要素がアーヴィンに準備されているのだ。彼は祈っても無駄であることを知っている。神にすがってもどうしようもない。事態を知るのは彼一人であり、宗教権力を持つ牧師を告発する証拠もない。あるのは父が復員の土産として持ち帰り、譲られた大伯父が誕生日プレゼントとしてアーヴィンに贈ったドイツ製の拳銃と、牧師がどうしようもなく腐った人間だという事実である。

アーヴィンはプレストンを奇襲しようとするが、思い直して「告白」を始める。彼の「告白」が自身に対する「告発」であると気付く牧師は、説教で用いた「妄想」を楯に己が成したことを認めない。銃を突きつけられても現実を拒み続ける哀れな牧師は射殺され、アーヴィンは引き寄せられるようにして、かつて住んだノッケムスティフの父が立てた十字架を目指す。そしてヒッチハイクをする彼を拾うのがカールとサンディである。

シリアルキラーと化したカールと、彼に協力して当初は楽しむが今やウンザリしているサンディは、アーヴィンを拾ってしまったが為に命運が尽きる。正当防衛でカールを撃ち殺し、サンディと向き合って同時に撃ち合うもののサンディの空砲に救われるアーヴィンは、所持品から写真とネガを見つけ、彼らが偏執的殺人者であることを悟る。

妹のサンディが殺された報せを受ける保安官のリーは、薄々カールとサンディの危うさに気付いており、自身が保安官として選出される為の社会的体面に執着するが故に、揉み消しに動き出す。二人の住居にあるネガや記録を焼き払い、関わったアーヴィンを葬りにかかるリーは、しかし返り討ちに遭う。リーもまた、地域の裏社会を仕切るリロイから賄賂をもらいつつ、リロイと側近のボーボーを暗殺する、どうしようもない下衆である。

アーヴィンは誠実であるが故に、放蕩の牧師を殺す。祖母に宛てた手紙に書き記し、リーとの対峙で述べるように、彼は相手を殺さざるを得ない。他に手立てがなく、やむに止まれぬ状況下で、図らずも準備の整っている彼は事を成す。カールとサンディ、そしてリーはアーヴィンが身を守るが故の巻き添えであるが、彼ら自身が先に仕掛けているのであって、自業自得である。

斯様に数奇な巡り合わせの中で展開する人生において、アーヴィンは確固たる意志を貫徹したと言えるだろうか。意志に纏わる選択とは珍妙なものである。あらゆる物事が関わり合い組み合わさる関係性の中で、彼はどこまでを知っているのか。知らずとも、時空を越えて様々なものがアーヴィンに影響を及ぼす。そして彼は、自身の人生を生きる真っ只中で、選択とはかけ離れた認識を示すのだ。物語の最後に彼は未来を夢想し、抗い難い微睡みへと落ちてゆく。

この映画が描く偶然の関係性は非常に興味深い。もしカールがウィラードに席を譲らなかったとしたら、どうなっていたか。恐らく既定のプロットで描かれる内容の全てが変わる。そうであればアーヴィンは生まれない。人生は因果なものであり、縁起なものである。この映画は、そう思わせるに十分である。

最後に一つだけ。ナレーションは必要だろうか。

5/27  意志に関する記述を修正。意志[に纏わる選択]
        意志[→選択]とはかけ離れた
7/4    誤記修正。妻の死に向き合えない彼[→父]
8/7    表題訂正[止→已]。

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