【第32章・飛び火】狩野岑信 元禄二刀流絵巻(歴史小説)
第三十二章 飛び火
勅額火事から十日後、浜屋敷の御成書院。
「詮房、此度も駄目か。戦ではないが、予の初陣と言ってよかろう」
「お気持ちは重々。されど、上野寛永寺は将軍家の聖地。その焼ける様を画に残すなど不謹慎極まりなく・・・」
「分かった、皆まで申すな。吉之助、だそうだ。せっかく描いた下絵がまた無駄になったな」
「残念です」
「せめてお照に見せてやろう。しばらく預かるぞ」
「はっ」
吉之助が間部と共に御前を下がり廊下を歩いていると、近習が一人追いかけてきた。
「狩野殿。奥の平松様がお呼びです。御対面所に行って下さい」
「何時?」
「直ちに」
御対面所は、菊慈童の下絵を描くよう命じられたとき以来だ。今回は吉之助が先着。御前様の側近・平松時子は、若い侍女を従えてやって来た。侍女は細長い桐箱を大事そうに抱えている。
「お忙しいところを済みません」
「滅相もない。それで、本日はどのような御用でしょうか」
「画を描いて下さいませ。初音、広げて」
侍女が桐箱を開け、吉之助の前に一幅の掛け軸を広げた。形状は普通の縦長。しかし、サイズは小振りである。しかも、本紙だけでなく、中回しから天地まで表具が全て紙製であった。
「もしかして、描き表具をお求めですか」
「ご明察。真ん中には後ほど姫様がお歌をお書きになります。狩野殿には、表具の部分に画を描いて下さい」
「何を描けばよろしいのですか」
「水墨で梅を。ただ、花には紅白で色を付けて下さいませ」
「この作品の用途は?」
「知る必要がございますか」
「差し支えなければ、お教えいただいた方が、それに合ったものを描けるかと存じます」
「それもそうですね。ではお話しましょう。二年前まで姫様に仕えていた侍女がおります。姫様はその者を大層可愛がっておられました。幼馴染の旗本に嫁ぐためにお側を離れたのですが、此度の火事でその嫁ぎ先が焼けてしまったのです。近々、新しい屋敷に移ると文が。何かと物入りでしょうから、多少の支援をと姫様が。されど、金子だけを贈るのも無粋でございましょう。それで」
九月も半ば。この時期に梅を描けという。
「旗本の奥様ですか。では、華やか過ぎず、かと言って寂し過ぎず、新居での新たな出発に相応しい清々しい雰囲気になるように描きたいと存じます。如何ですか」
「結構です。姫様も古今集の中から早春の歌をお選びになるおつもりのようです」
やはり、季節感より精神性か。いちいち試されているようで怖いが、嫌ではない。しかし、どうせなら歌を選んでから、いや、本紙に歌を書いた後、それに合うように描かせて欲しい。無論、そんな注文を付けられるわけがない。
「承知しました」
「ついでですから、出来上がった際には狩野殿が届けて下さいませんか」
「かしこまりました。新しいお屋敷はどちらですか」
「本所の、町名は失念しましたが、回向院の近くとのことです」
さらに日が経ち、月が替わった。江戸の町は、基本的に木と紙で出来ている。従って、火事となればすぐ焼ける。ただ、その分、建て直すのも早い。
町の再建が始まると甲府藩に出番はない。将軍の甥を藩主とするこの藩は、代表的な親藩大名であり、御三家同様、幕政に直接関与することは出来ないからだ。
その日、吉之助は出来上がった掛け軸と紫の帛紗に包まれた見舞金を持って本所へ。先方に負担をかけないよう事前の連絡はせず、渡すべき物を渡したらすぐに退散するように言われていたが、門前で来意を告げると大騒ぎになった。
家人総出で急ぎ門から玄関までを掃き清める。御前様の元侍女の奥様と夫の旗本は身を清めた上で正装に着替え、玄関で平伏して吉之助を、いや、吉之助が持参した御前様の見舞い品を迎えた。奥様は二十代半ばだろうか。熙子のお気に入りというだけあって賢そうな女性だ。ちょっと気の強そうなところも納得である。
屋敷を出た。本所のこの地域は町家も多いが、旗本や御家人の屋敷がひしめいている。火事の後の引っ越しは他にもあるようで、一帯がどこか忙しない。両国の御竹蔵(幕府の材木保管場所)のすぐ裏。亀沢町の一角に位置し、向かいは松坂町である。
ふと見上げて気付いた。この辺りの屋敷には珍しい。二階がある。隅田川まで見通せるか。いや、回向院の林が邪魔かな。
吉之助が浜屋敷に戻ったのは、昼の八つ(ほぼ午後二時)過ぎであった。
「けしからん! 高家を何と心得る。この無礼を捨て置けば、公方様のご威光にも・・・」
報告のために間部の御用部屋に向かうと、中から怒鳴り声がした。そして、勢いよく出てきた初老の武士は、会釈する吉之助を無視して足早に去った。
「間部様、よろしいですか。御前様の御用を済ませ、ただ今戻りました」
「ご苦労様でした」
「何事ですか」
「ああ。あれは、高家筆頭・吉良家の用人です」
間部は相変わらずの無表情だが、左の眉がほんの少し上がっている。吉之助は、最近ようやく、この鉄面皮のわずかな表情の変化を読み取れるようになってきた。絵師の観察眼あったればこそ。今は、かなり不機嫌と見た。
それはともかく、高家とは、幕府の儀式典礼を司る役職である。身分は旗本。名を連ねるのは室町以来の名家ばかり。吉良家はその代表格で、四千二百石の高禄を誇る。
「吉良様ですか。城中で何か」
「いえ、違います。先日の火事の件です。あの火事で、吉良様の鍛冶橋のお屋敷も焼けたのですが、消火活動に際し、地域を受け持つ大名火消に落ち度があったと訴えているのです」
「どのような落ち度ですか」
「何でも、吉良家よりも家格の低い家の消火を優先したため、吉良の屋敷を守れなかったと」
「馬鹿な。火事の現場で、家格がどうのと言っていられるわけがない。それで、その文句の相手というのは?」
「播州赤穂の浅野家ですよ」
「赤穂藩と言えば、藩主の内匠頭様が陣頭指揮をされ、目覚ましいご活躍であったと評判ではありませんか」
「そうです。それで余計に怒っているのです。吉良様は元々が公方様のお気に入り。出羽守様とも昵懇ですが、今回は出羽守様も相手にしていないようです」
「それでこちらに?」
「ええ」
「どうなさるのですか」
「別に。私のところで聞き流して終わりです」
そこに竜之進が来た。朝から道場に行っていたはずだ。通常、稽古の後は、清々しい顔か悔しそうな顔か。至って分かりやすい男なのだが、今日は何かわだかまりのある表情をしている。
「吉之助さんもいましたか。丁度いいや」
「何だい?」
「甲府の岩田屋を知っていますか」
「ああ、甲府柳町に店を構える材木問屋だろ。何かあったのか」
「ええ。道場の帰りに寄った飯屋で聞いたんですが、潰れたそうです」
「馬鹿な。岩田屋と言えば、甲府の材木商の元締めだぞ。山廻与力は山林の管理が仕事で材木の流通は管轄外だが、それでも岩田屋徳兵衛の名前くらいは知ってる。堅実な商いをしていたはずだ。人望も高い」
「それでも潰れんたんです。何でも、いくつもの不運が重なって、あっと言う間だったと。私が育った身延の村も随分世話になってたんだよなぁ」
そこで間部が口を開いた。
「火事の後、材木が通例に反して値崩れしました。それもあるでしょう」
しれっと言った間部だが、これは、彼自身がやったことだ。
勅額火事の際、両国橋は焼け落ちたが、その先の御竹蔵は無事だった。しかし、幕府が備蓄している材木は公共施設や武家屋敷の再建に優先的に回される。町の再建までとなると、とても足りない。
当然、利に敏い商人によって材木が買い占められる。本来、市場のコントロールは幕府の仕事だが、幕政を主導する柳沢出羽守は動かない。
それには理由がある。近年、幕府の財政も逼迫し始めていた。経済構造の転換期を迎えていたこともあるが、将軍綱吉と生母・桂昌院による私的な出費が痛い。度重なる寺院の造営や寺社への寄進、官位目当ての朝廷への献金など、年に数十万両が費やされていた。
また、生類憐れみの令の具体策として設けられた野犬の収容施設。その運営費は年に十万両を下らない。この費用は周辺の村々が負担し、幕府が直接支出したわけではない。しかし、その分税収減となれば、財政への悪影響は変わらない。
何も手を打たねば、早晩、幕府の金蔵は底を突く。それを避けるため、出羽守は商人を利用した。内藤新宿の開発に見られるように、事あるごとに商人たちに便宜を図って儲けさせ、その一部を上納させた。従って、幕府は構造的に商人寄りになっていたのである。
困るのは庶民ばかり。
古来から、民の声は天の声、と言われる。しかし、制度として選挙がない以上、漠然とした空気のようなもので、それを味方にするか敵に回すかは知恵次第。
甲府藩は、先に述べたように町の再建に直接関与することは出来ない。そこで間部は、甲府の藩庁に指示を出し、甲斐の材木を大量に江戸に運び込ませた。材木価格の高騰を防ぐことで庶民に恩恵を施し、主君の名を高めようとした。さらに、同じく領内に大きな山林を持つ尾張藩や紀州藩にも声を掛け、策の効果を倍増させた。
そのため、高騰しかけた材木の値は急激に下がり、平時よりむしろ安くなった。間部は宣伝工作にも抜かりない。今、甲府藩は、江戸の町衆から大いに感謝されているのだった。
「しかし、岩田屋が潰れたら材木の流通に支障が出るのではありませんか」と吉之助。
「すでに新しい元締めを選びました。甲府の材木奉行からは、特に問題はないとの報告を受けています」
吉之助にはひどく冷たい物言いに聞こえた。吉之助は山役人時代、領内の仕置きはすべて甲府の藩庁で決めているものと思っていた。しかし、江戸に来て、藩庁は単なる出先機関に過ぎないことを知った。藩庁は江戸からの指示がなければほとんど何も出来ない。そして、その指示を出しているのが藩主第一の側近である用人・間部詮房なのだ。
間部は江戸に居ながら、甲府領内の隅々にまで目を配り、適時に的確な指示を送っている。頭脳明晰、刻苦精励。さらに公正無私ときている。人臣の鑑と言っていい。それにしても・・・。
「もう少しやり様はなかったのでしょうか。妙な恨みを買っていないといいのですが」
吉之助は、ふと、上野の高台から見た火の海を思い出した。後日知ったことだが、あの大火事も最初は小さな商家から出た小火であったという。吉之助は勿論、間部ほどの知恵者にしても尚、明日のことは明日になってみなければ分からない。彼等は、彼等の今を生きているのだから。
次章に続く