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【第5章・腕試し】狩野岑信 元禄二刀流絵巻(歴史小説)

第五章  腕試し

 新見正友は、監視役の庄屋一家を斬殺して村を出た後、あぜ道や間道を伝って西に向かっていた。このまま山中に入って進めば、どこかで中山道に出るはずだ。

 彼は、九歳で「預け」の身となって以降、台ヶ原の村を出たことはなかった。従って、旅慣れていない。しかし、甲州武士の端くれとして、武田信玄ゆかりの史跡や古戦場くらいは頭に入っている。それを頼りに大体の見当をつけて歩いていた。

 背丈は、この時代としてはかなり高めの五尺八寸(約百七十五センチメートル)。長年の野良仕事と山野を駆け回っての自己鍛錬で、色は黒く、腕や足の筋肉は鋼のようだ。装束は、一張羅の紋付に野袴、頭には網代笠。至って普通の武士の旅装である。

 荷物は、父が遺した日記や書類を風呂敷に包んで背負っているだけ。路銀は、庄屋の手文庫から包み金(小判二十五両の包み)をひとつ、さらにバラで十三両と小銭を少々掴み取ってきた。長年ただ同然で農作業を手伝ってきたのだ。罪悪感はない。

 さて、中山道に出たらどうするか。京の都にでも行ってみるか。金はあるし、何とでもなる。それにしても邪魔だな、刀ってのは。歩きにくくて堪らん。

 先祖伝来の大刀を忘れずに持ってきた。しかし、村では脇差一本しか許されていなかった。二本差しに慣れるまで、しばらくかかりそうだ。

 三日目の昼前には信濃(長野県)に入り、中山道に出た。山中のこと、昼間でも薄暗いが、木漏れ日に照らされた新緑がキラキラと輝き、何とも清々しい。
 道端に標識が立っている。左が上松宿、右に行くと福島宿か。やはり西だな、などと考えていると、道を外れた森の中から人の喚き声が聞こえてきた。

 正友が忍び寄って様子を窺うと、侍風の男三人が、町人風の男二人と女一人を跪かせ、何やら凄んでいる。追い剥ぎのようだ。

 正友は、笠をその場において立ち上がると、侍風の男たちに背後から声をかけた。
「おい」
「なっ、何だ!」と、侍風の三人が驚いて振り向く。
「お前たち、侍か」
「見て分からんか」と、真ん中の男が腰の辺りに手をやった。

 正友も右手を刀の柄へ。彼が腰に差す大刀は、標準的な日本刀に比べて随分と反りが深い。新見家はかつて、戦国最強・武田騎馬軍団の中でも最精鋭と謳われた山県昌景の赤備え隊に属していた。故に刀は、騎乗で相手を片手斬りにし、そのまま斬り捨てに出来るよう、反りが深くなっている。

 正友は、物心つくと父親から騎兵刀術の基本を教えられた。甲斐に来てからは、人目を避けて一人剣を振り、さらに、騎兵の刀術を地に足を付けて戦う場合にも使えるように工夫を重ねてきた。
 ただし、彼はこれまで剣術道場に通ったことはなく、自分の剣技を対人で試したことがない。

「二本差せば侍、というわけでもないと思うが、お前たち、強いのか」

 それに対して左端の男が、「やめておけ。三対一で勝てるわけ」とまで言ったところで、その男の首が宙に飛んだ。抜き打ちに放った斬撃の返しで、右の男も斬り捨てる。
 さらに、下がった切っ先を返し、これを真っ直ぐ跳ね上げた。中央の男は、さすがにこれを受けたが、正友の剣勢は凄まじい。受けた刀は弾き飛ばされ、男は、臍から顎までを割かれて絶命した。一瞬のことである。

 おいおい、これで終わりか。

 庄屋一家は武士ではない。しかも丸腰を不意打ちだ。馬鹿でも殺れたろう。こ奴らは格好の腕試しと思ったが、呆気ない。これでは、俺が強いのか、こ奴らが弱過ぎるのか、さっぱり分からん。

「無駄なことをした」
 ぽつりと零し、手近に倒れている男の袖で刃に付いた血を拭う。その時、男の懐から平たい何かが転げ落ちた。手に取ると、道中手形であった。
 こ奴、追い剥ぎのくせに、律儀に手形なんぞ持ってやがる。まあ、どうせ盗んだか奪ったか。いずれにしても、これは助かる。

 新見正友がその手形を懐にねじ込み、そのまま歩き出すと、背後から声が掛かった。
「お武家様。しばらく、しばらくお待ちを!」
「何だ?」
「お名前を、せめて」
「聞いて何とする?」
「はい、お礼を。この者たちは、私と息子を殺し、嫁は手籠めにした後、女郎屋にでも売り払ってやるなどと申しておりました。あなた様は、命の恩人でございます」
「気にするな。お前たちのためにしたことではない」
「し、しかし」

 ちっ、うるさいな。こ奴らもいっそ。

 正友がそう思った刹那、息子と思われる若い方が口を開いた。
「おとっつぁん、お武家様は御用があってお急ぎなのでございましょう。お引止めしては却って迷惑。されど、このままお別れしては我らの気が済みません。十両と少し入っております。お武家様、どうかこれだけでもお受け取り下さい」

「そうか、では」
 正友は、若い男が差し出した長財布を受け取ると、彼の背に手を合わせて見送る三人を振り返りもせず、西に向かって去って行った。

次章に続く

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