【第62章・刃傷!松之大廊下】狩野岑信 元禄二刀流絵巻(歴史小説)
第六十二章 刃傷!松之大廊下
元禄十四年(一七〇一年)も弥生三月となり、一気に春めいてきた。そして十四日、遂にその日である。
朝、狩野吉之助は初めて江戸城に足を踏み入れる緊張からやたら喉が渇いた。
甲府藩では、藩主登城時の介添え役は用人・間部詮房か務めている。間部が多忙なときは渉外担当の中老が替わる。ところが今回、間部が前日に急な腹痛を起こしてダウン。中老もすでに他家の重役と会う約束をしてしまっていたので、吉之助にお鉢が回って来たのである。
裃を着付ける妻・志乃の手も震えている。おりんだけがいつも通り、のん気な顔で煎餅をかじっていた。
「お城の中って、食べ物あるの? 先生、これ、少し持って行く?」
「馬鹿を言わないの。お城には将軍様がいらっしゃるのです。お煎餅のカスでもこぼしてお城を汚したらどうします。切腹ですよ、切腹」
「そうなの? あたしらも連座ってことはないよね」
「いい加減にしろ。よし、行ってくるぞ」と言うと、吉之助は刀を腰に差して御長屋を出た。
この日、江戸城では京都の朝廷から年賀返礼の使者を迎える儀式が行われる。儀式自体は毎年のことで特に問題はない。しかし、それに先立ってひと悶着あった。
登城した大名には、家の格に従い、控えの間が割り当てられている。最も格の高い部屋は、本丸御殿のほぼ南半分を占める表区域の西寄り、松之大廊下に面した二間である。北の間に御三家、南の間に親藩の中でも特に上位の家の当主が入る。
将軍の甥である甲府藩主・松平綱豊は、これまで御三家に準じ、北側の部屋に入っていた。ところが三日前、月番老中・小笠原佐渡守から、今回は南側の部屋に入るようにとの指示が届いた。
事実上の格下げである。
佐渡守は柳沢出羽守の腹心の一人であり、綱豊嫌いの将軍周辺の意を受けた嫌がらせであることは明らかだ。間部は青くなって対策を練ったが、時間もなく決定を覆すことは出来なかった。
間部が倒れたのはその後である。彼は自宅に戻りもせず、執務室の横の部屋に布団を敷いて寝ている。吉之助は出発前にその枕頭を訪れ、細々と注意を受けた。
五つ半(ほぼ午前九時)、甲府藩主の行列は浜屋敷を出た。総勢三十名。吉之助は主君の乗る駕籠のすぐ後ろに位置した。春の陽光の下、行列は滞りなく進む。南側の桔梗門から入城。浜屋敷からの距離は一里(四キロメートル)弱、普通に歩くよりは倍ほどの一時(二時間)を要した。
桔梗門から本丸御殿に向かう。大玄関の式台で駕籠から降りた綱豊は、脇の小部屋で装束を直し、御殿の中へ。従うは吉之助一人。その他のお供は桔梗門の外まで戻って待機。
この日の綱豊は、風折烏帽子に直垂(大帷子と長袴)という最上位の礼装である。無地の直垂は品のよい海老茶色。
「吉之助、キョロキョロするな」
「こ、これは、失礼を」
「そなたの実家は旗本格ではなかったか。城は初めてなのか」
「はっ。私は次男ですので御目見えもせず、また、仕事でお城に上がる機会もないまま養子に出てしまったもので」
「そうか。まあ、一度来れば慣れる」
「はい。それで殿。本日の控えの間のことですが」
「ああ。詮房から聞いている。心配するな。御三家と一緒だと、いつも誰が上座に着くか無言の駆け引きがあってな。面倒なのだ。その点、親藩の間なら黙って上座に居ればよい。お照は怒っていたがな、予としては却って気楽だ」
「恐れ入ります」
江戸城本丸御殿の表区域は武家政権の中枢。そこは威厳に満ち、清潔この上ない空間。そして静寂。相当な人数が中にいるはずだが、とても静かだ。息が詰まる。
しかし、部屋と部屋を仕切る無数の襖を見ている内に落ち着いてきた。いずれも狩野派の画で飾られている。先達が心血を注ぎ、一枚一枚描き上げたに違いない。
綱豊に従って廊下を進む。前から来る大名や旗本は、皆、綱豊の姿を見ると自ら脇に退いて頭を下げる。そして、綱豊が通り過ぎるのを待ってまた歩き出す。吉之助は、主の身分を改めて思い知らされた。
虎之間、柳之間、さらに進む。すると、目の前に全長二十八間(約五十メートル)はある長大な廊下が見えてきた。
こ、これが、噂に聞く松之大廊下か。
廊下に沿って並ぶ襖には金雲を背景に三十本を超す松の木が描かれている。余白の取り方はまさに探幽様式。松の木一本一本の描画の完成度も高いが、それ以上に全体としてのバランスが完璧だ。金雲も派手過ぎない。実に上品で洗練された空間を演出している。
吉之助は、思わず感嘆のため息を吐いた。それに気づいた綱豊が振り返る。
「どうだ。見事であろう。あれらの松は、狩野探幽の作であったかな?」
「はい。明暦の大火の後のお建て替えの際、家綱公の命により、探幽様が御用絵師を総動員して描いたものでございます。恐らく、あの中央辺りは探幽様ご自身の筆によるものかと」
「ほう。そう言えば、探幽はそちにとって何に当たるのだったか」
「大伯父でございます」
二人は大廊下に面した控えの間に入った。それまで談笑していた大名たちが俄かに黙る。見れば、上座はすでに一人の男によって占められていた。会津藩主・松平正容である。彼は、三代家光の異母弟・保科正之の六男で、この時三十四歳。
座に緊張が走った。しかし、それは一瞬で済んだ。正容が進んで立ち上がり、綱豊に上座を譲ったからである。
「中納言様、さ、こちらへ」
「いや、会津殿。わざわざお立ちになる必要はありません。そのままで」
「滅相もない。上様の甥御である中納言様の上座を占めるわけには参りません」
「では、お言葉に甘えて」
吉之助は胸をなでおろした。着座した綱豊の後ろに回り、長袴の裾を整える。そして、部屋の端に移動して控えた。
横を向けば、中庭越しに松之大廊下が一望できる。
長い廊下は全面畳敷き。真新しい畳は清々しい薄緑。そして、中庭は白砂が敷かれただけの枯山水。廊下と中庭のシンプルさと色のコントラストが、背後の松の並木を一層美しく見せている。
時に昼九つ(ほぼ正午)の少し前。雲が流れ日が出た。中庭の白砂が真上から照らされ、照り返しに金雲が煌めく。探幽の筆による松並木が浮き立って見えた。
ああ、いつまでも眺めていたい、と思った。
その時である。
廊下の南端から、風折烏帽子に爽やかな空色の直垂を着た若い大名が来た。大紋が散らしてあるところから見て、五位程度の大名であろう。家紋は、丸に鷹の羽。少し前にどこかで見たな、などと思っていると、逆側から、風折烏帽子に狩衣姿の老人が来た。高級旗本に多い格好だ。狩衣は絹地無紋で、落ち着いた唐茶色。
対照的な二人が大廊下の中央ですれ違う。
すれ違いざま、老人が何かを言ったように見えた。若い大名は無視して数歩進んだが、急に立ち止まると、そこで身を翻した。あろうことか、殿中差(城中用の短刀)を抜いている。
「よせ!」
吉之助は、思わず膝立ちになって叫んだ。
しかし、吉之助の声は届かず、若い大名は、殿中差しを大きく振り上げ、老人の背中に斬り付けた。老人が振り向く。驚愕のあまり声も出ないその額にもう一太刀。老人は右手で額から顔面に流れた血を拭い、そのまま松の描かれた襖の方に倒れて行く。
「あっ、駄目だ! 探幽様の松が血で汚れる!」
絵師の本能がそう言わせた。名も知らぬ老旗本の安否より探幽の松こそ大事だ。
「吉之助、どうした? 何事だ?」
主の声に吉之助は我に返った。綱豊の位置からは見えなかったようだ。さっと立ち上がり綱豊の傍に駆け寄る。
「申し上げます。大廊下の中程で、若い大名が旗本らしき老人に斬り付けました」
そこでもう一度大廊下に目を向けると、その若い大名が中年の武士に羽交い絞めにされ、引きずられて行く様子が見えた。傷を負った老人も二人の茶坊主に両脇から支えられ、逆の方に消えて行く。
「刃傷か。吉之助、行って見て参れ」
「はっ。されど、殿をお一人には出来ません」
そこで会津藩主・松平正容が自分の家臣を手招きし、さらに吉之助にも言った。
「そなた、行け。心配いたすな。中納言様は我らでお守りする。梶、お前はまず隣に行き、御三家の皆様の様子を見てこい」
城中では、大名と雖も基本的には単独行動である。従者を連れて歩けるのは、御三家と極限られた高位の大名だけ。この場には、綱豊と正容の二人しかいない。
吉之助は、綱豊が正容に同意する旨を無言の頷きで示したのを見て、脱兎の如く駆け出した。
判明した事態は、刃傷に及んだのは勅使饗応役・浅野内匠頭。斬られたのは指南役の吉良上野介。内匠頭は身柄を拘束され、上野介は重傷だが命に別状なし、ということだ。
よりにもよって儀式当日、儀式の担当者による不祥事。しかし、儀式そのものは強行された。将軍綱吉の面目を守るため、柳沢出羽守が押し切った形である。通常、こうした儀式の後は大名同士しばし歓談などするものだが、この日は、皆、そそくさと帰路に就いた。
「では、中納言様。これにて御免」と一礼し、会津藩主・松平正容も去って行く。その後ろ姿を見ながら、「会津侯はいい方ですな。殿のお味方に違いない」と吉之助が呟いた。それに対して綱豊が思わず苦笑。
「吉之助、そなたこそいい奴だな。会津殿は善人でもなければ、味方でもない。あの方は、何かと思わせぶりなことを言っては、相手の反応を見て面白がっているのだ。話す相手によって真逆のことを平気で言う。本心がどこにあるのか、さっぱり分からん。あの方の扱いについては、さすがの出羽守も手を焼いていると聞くぞ」
「そうなのですか」
「ああ。至誠の君と呼ばれた父親とは全くの別人だ。さあ、我らも帰ろう。そう言えば、お照は浅野の奥方と懇意にしていたな。あれは本家の方だったかな?」
「いえ、内匠頭様の奥方様でございます」
「そうか。では、お照が悲しもう。内匠頭め、馬鹿なことを」
「斬り掛かる直前、動きが妙でした。ご乱心かもしれません。そうであれば、森様のときと同様に罪一等を減じられるでしょうか」
「さあな。いずれにせよ、しっかり詮議をしてからのことだ」
甲府藩の行列が浜屋敷に戻ったとき、刃傷発生から二時半(五時間)が過ぎていた。綱豊が駕籠から出ると、間部が転がるように駆け寄って来た。
「殿、ご無事で?!」
「ああ。それより詮房、体調はもうよいのか」
「はっ、問題ございません。私のことより、殿。刃傷の件、伺いました」
さすがの早耳である。間部は日頃から幕府の各方面と繋がりを持っている。どこからか連絡が来たのだろう。しかし彼は、それ以上に驚くべきことを言った。
「刃傷に及びました浅野内匠頭様は、先程ご切腹に・・・」
「ま、待て。切腹だと? そんなことがあるか。なあ、吉之助」
「はっ。我らがお城を出たときには、まだ何も」
「ではございましょうが、公方様直々のご裁断により、内匠頭様は切腹、赤穂藩は断絶と決しました。そして先程、内匠頭様は田村右京大夫様お屋敷のお庭先にて」
「何だと、庭先? 大名を庭先で切腹させたと申すのか」
「はっ」
「いくら何でも乱暴な。それでは浅野が黙っていまい」
主従とも事態の急展開に驚くしかない。吉之助の初登城は、一生忘れられない散々なものとなった。
綱豊が奥に姿を消すと、勅額火事のとき同様、吉之助は間部の部屋に連行された。そして、城内の様子を詳しく報告。するとそこに、他家に使いしていた竜之進が戻って来た。市中でもすでに噂になっているらしい。
その後、吉竜両名が御長屋に帰るべく肩を並べて歩いていると、竜之進が柄にもなく難しい顔をして言ってきた。
「しかし、公方様って、やっぱり凄いんだなぁ」
「何だい、藪から棒に」
「だってそうでしょ。公方様が一声、切腹、と叫んだら、詮議もなしに大名が腹を切らされてしまうんだ。五万石の藩が一瞬で消滅ですよ。いくら幕府の実権を握っていると言っても、柳沢様ではこうは出来ない。やはり、天下の主は将軍なんだなぁ」
「確かにな。そうか。間部様が恐れているのは、これだったのか。初めて実感として分かった気がする」
「ですね。近年、公方様は体調が優れず、精神的にも不安定になっているという話でしょ」
「その上、一人娘の鶴姫様がご不調。頼りの桂昌院様まで弱ってきていると聞く。益々怖い」
そこで竜之進が、自身の刀の柄をとんと叩いた。
「さて、赤穂の連中はどうしますかね」
「どう、とは?」
「こうなると、公方様に拙速なご判断を悔いていただくためにも、ひと暴れしてもらった方がいいんじゃないですか。連中はすでに浪人でしょ。やりたい放題できますよ」
「また無責任なことを」
「ははは。まあ、ないか。そうなったら面白いんだけどなぁ」
「そうだ。そんな事より、竜太郎殿の初節句はどうするんだ?」
「えっ?! ああ。美咲が考えていると思いますけど・・・」
竜之進の妻・美咲が長男の竜太郎を産んでじきに一年。出産直後、美咲が少し体調を崩したが、今は母子ともに健康だ。
「頼りない親父だなぁ。とにかく、志乃が世話を焼きたがっている。産着の件で懲りたと思うが、またやりかねん。すまんが、美咲殿に一度話をするように言っておいてくれ」
「ははは、承知しました」
この日、松之大廊下で起きた刃傷事件は、幕府創立以来、三度目の殿中での凶行である。江戸時代全体で見れば、七、八回あった内の一回に過ぎない。しかし、この事件は特に有名となり、三百年後の現代までも語り継がれている。
元禄の刃傷の特徴は、刃傷が事の終着点ではなく、発端に過ぎないことであろう。当然ながら、元禄の世にリアルタイムで生きている人々は、そのことについてまだ知らない。
次章に続く
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