見出し画像

挨拶をしないという発想の浅はかさについて〜挨拶って有史以来、人類必須の慣習なんだけど・・・【雑記】


挨拶は必要か不必要か?

昨今ネット上で、挨拶はいらないと発言する方の番組での発言切り抜きが飛び交っていますが、まあまあわりとソレに対して否定的な意見が飛び交っていますよね。

いろいろな方が「いや挨拶はいるでしょ」と、小言をつぶやいてますが、じゃあなんで挨拶というものがあるのか、ということについては、あんまり言及がないのでそこを掘り下げてみたいと思います。

これね、めちゃくちゃシンプルな話なんですよ。

挨拶はあらゆる民族がやっている行為

そもそもの挨拶っていうのは、人類のあらゆる民族が行っている行為ですよね。それは声に出すだけのものもあれば、行為や仕草を伴うものもある。有史以来、いやそれよりももっと前からあらゆる人類がやっている行為です。そして今の今まで失われることがなかった行為です。

これ──なんのためにやっているのかというと「私はあなたに敵対していませんよ」の表明なんですよ。そこには深度があって、信頼や情愛を表すものから、ライトなものまで色々ありますけど、挨拶の一番の機能は「敵対意思が無い」ことの表明なんですよね。

だから、あらゆる民族がやっている行為なんです。

あの方の発言は、そういう人類の文明や社会の有り様を全く理解していないもので、凄まじく浅はかで愚かな発想なんですよね。

まあまあ、日本的なコミニュケーションでいったら、すれ違いざまの「お疲れ様」とか、出退社時の「おはよう」「お先に失礼します」はいらんくね? というのあると思うんですけど、それだって毎日無言でやったら「アイツ何?」「具合わるい?」「喧嘩でもしたかな?」「あいつ辞めんじゃね?」と勘ぐる訳ですよね。その説明の手間を省くために発信していると考えたら、これほど便利でライトなコミュニケーションはないんですよね。

欧米人も動物もする挨拶

外国人だって目があえば、すれ違い様に「ハロー」「ハーイ」もするじゃない?あれも明らかに「敵対する気はないよー」表明だよね。

さらにいうと、挨拶って人間だけじゃなくて動物もするんですよね。

猫は、敵対的じゃないことを表す仕草として、目をパチパチしつつゆっくりと近づく。親愛の印にケツをむける。犬も鼻先を近づけ、尻の匂いを嗅がせる。

敵じゃないよ、の表明=挨拶というのはある程度の知性のある動物がコミュニケーションの一貫として何らかの手法を用意しているものもあるのです。

これらを踏まえると「挨拶をしなくていい」と、考えることはそういうコミュニケーションをしないことであり、急に噛みつかれたり殴られたりする危険性を高めるってことです。それは極めて生存競争にとってマイナスになる行動であることがよく分かると思います。

挨拶は修羅の世界を回避するための手軽な慣習

で、もう一つ気になるのはなぜ彼が挨拶いらんくね?となったかって話なんですけど──思うに「挨拶をしないという発想に至る」ということは、誰が敵か味方かわからない環境に身を置いたことがない、極めてぬるま湯的な環境にしかいなかったってことですよね。

これ「電話を取りたくない」にも通じるんですけど、彼がいう「挨拶をしたくない」というのは、突き詰めると「むき出しの弱肉強食下に身を晒さずに、ぬくぬくと生きていたい」という、甘い願いの表明なんですよね。

でも残念ながら、生きるってことは戦わなければい行けない瞬間があって、周りは仲良くならなければ敵だらけです。あるいは関係を維持しなければすぐに排除されます。そして、だれが敵か味方がわからない状況において、まずはじめに/あるいは常にしなければいけないのは挨拶=敵意の無いことの表明なのです。

それは日本人なら日本人なりのルールだし、国外なら違うやりかたになったりします。そして、挨拶をしないという選択は、多くの人から勘ぐられ敵意を向けられるということで、その状況がもうアウトという。

人間は文明をもっていますが突き詰めると弱肉強食であり、修羅の世界にならないために編み出したいくつもの慣習というものがあります。挨拶はその一つで、余裕があるかぎりしておいてソンはない。

挨拶が返って来なければ、極論そいつは敵だからコミュニティから当然排斥されることになってしまう。

彼はネットでそれを表明したことで、敵とみなされてしまった。まさに挨拶の必要性を見事に体現している。

そして人類史における挨拶というのは、まだ半世紀も生きていない個体が浅はかに覆せるような慣習じゃねえのよね。


挨拶:かのえの絵

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?