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こたえあわせ

3年付き合った恋人と別れて、1年とちょっとが過ぎた。
あれだけ毎日連絡を取り合ったり、色んなところに行ったりしていたのに、
別れてからはお互いスッパリと連絡を絶った。とても清々しい別れ方だったと思う。

元恋人と付き合っていた頃の私は、依存体質で、彼が友人(特に女性の)と連絡を取っていると、あからさまに不機嫌になったりするような幼稚な人間だった。そして、その不機嫌を察してもらいたがる、この上なく面倒くさいやつ。


そんな性質だったから、彼と付き合っていた三年間、精神的に調子を崩すことが多かった。わかりやすく言えば、メンヘラをこじらせていたのだ。
「死にたい」「消えたい」「どうせ私なんか」
マイナスな感情を自分の中で消化できず、それを彼に聞いてもらったりもした。ほぼ壁打ち状態だったけど。


病んだ状態でいる時に綴ったnoteの記事がいくつかある。
それらを、現在の私は見る。
可哀想な子だ、と思った。


その時の”私”にとっては、彼とともにいる世界が全てだったのだ。
詩を書いたり写真を撮ったりしても、彼に見てもらえなければ意味がないと思っていたのだ。
「こんな状態じゃだめだ」と分かっていても、依存してしまっていた。
不安がどんどん増幅して、”私”という存在までもが劣ったもののように感じられ始めたとき、卑しい感情は煮詰まり、溶出した。
一時期、暗いところが全く駄目になってしまった時があった。生活に支障が出始めた。
それまでも精神科に通ってはいたが、病院を変えて投薬治療を始め、それが今も続いている。


日常に支障を来した時から、私は彼以外の人にも頼るように心がけた。拠り所を分散させたのだ。
ちょうどその頃から卒業論文の執筆に時間を割かねばならなくなり、自然に彼と過ごす時間は削られていった。
勿論、寂しいという気持ちはあった。それよりも、今度は学問への気持ちが頭を占めるようになった。
それから、”私”は彼をあてにしなくなった。一人でも平気になった。


我ながらなんて身勝手な人間だろう、と思う。
良い論文が書きたい、教授に少しでも認められたいという思いが強くなり、
色事を気にしていられなくなった。
二人でよく行った喫茶店も一人で通うようになり、一緒に行こうといっていた美術館も一人で行った。
全部が、彼なしでも大丈夫になったのだ。


3年前の”私”が見たら、きっと驚くだろう。
そして悲しむだろう。その隣りに彼がいないことを。

だが今の私は、今の状態がとても生きやすい。
私の世界は確実に外に開かれた。
社会にこそ馴染めてはいないが、私は自然を、文学を愛している。それで充分なのだ。

また、元恋人にはすまない気がするが、気になる人もできた。
向こうは何とも思っていないかもしれないが、それでいい。
その気になる人を、私は尊敬しているし、よく知りたいと思っている。
話ができるだけで嬉しくなるような、プラトニックな恋愛感情だ。


3年前の”私”に、「いま幸せか?」と問われたら、迷わず答えよう。


「ああ、幸せだ」と。


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