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文学部で学ぶということ

少し前にX(旧Twitter)で、「大学で文学部に入る意味」や「文学部を出て得すること」などの話題を目にした。私自身も文学部卒だし、4月からは大学院で文学研究をする身でもあるから、これらの話題にはとても敏感になった。


文学部は就職に不利だ。こういうことを言う人を学部生の時も卒業した今もたまに目にする。
就職で不利になるかなんて、それは当人の力量次第だし、大学は学びの場であって就職準備のためにあるわけじゃない。つまんねーこと言ってやがるな、と反感を抱く一方、経済学部や法学部、その他諸々の学部と比べてイマイチ何を学ぶためにあるのか判然としないと言われるのには一理ある。


そも、文学部は何も、小説などの”文学”だけを扱うわけではない。文/学部である。文字に関して、文化に関して、文章に関して…割となんでもありである。
文字で表現されていれば、小説も評論も、映画や演劇のシナリオも、歴史資料も地図も全部研究対象になる。
人間が積み上げてきた歴史や文化をひもといていくのも、文学部の領域だ。
観光事業についてだって、商業的、社会学的側面からだけではなく、文学・文化・歴史・民俗学…etc.から展開することだってできる。
文学部での学びの範囲はほぼ無限大である。


では文学部に入ったところで何の力が伸びるのか。それが社会にどう役に立つのか。プログラミングができたり、栄養分析ができたり、人の命が助けられたりするわけでもない。
だが、”人間”を知ることができるという点においては、他の学部を置いて文学部が頭一つ抜けているのではないか。
世の中には膨大な資料や情報が存在している。
わたしたち”人間”がこれまでどのように生きてきたのか、どんなまちがいを犯してきたのか、そして過去を踏まえて、どのように現在を生きていくか。

即物的でなく、迂遠でつかみ所のないテーゼかも知れないが、人文学を突き詰めれば、そういうことに帰着するだろう。
”人間”の営為を見つめるということは、単純そうに見えてとてつもなく難しい。そこをないがしろにしてしまうと、”人間”同士で理解の不足や軋轢が生じ、相互関係に破綻につながる。その究極形が戦争である。


話が大きくなりすぎてしまった。
就職において、専門的な分野はその筋の学部出身者に譲るとして、文学部を出て有利になる点といえば、問題解決の能力、目標や企画の立案・提案、情報の取捨選択ならびに他者との連携といったところになろうか。

基本的なことで、長所としてはパッとしないかもしれないが、以上に挙げた点を具体的に掘り下げて分析していけば、文学部で培ってきたことが全く無駄ではなかったことが自ずと知れるだろう。


自分自身が究めたい方に進んでいけばいいと思う。

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