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恐怖についての考察 【Episode2】不安と知恵熱

私が見たのは恐らく蝶々の死骸…
というよりは『残骸』といったほうが相応しいものでした。
それはまるで肌色と灰色の中間のような色をした手垢の塊(かたまり)のようにも見え、虫籠の中には威風堂々としたカマキリ以外何も見当たらないわけですから、
その僅少な手垢の塊のような“ナニか”はきっと姿を消した紋白蝶に違いない、
と咄嗟に私は思って、胸の内が締め付けられる想いになりました。
虫籠の四隅のうちの一角だけに小さく、奥深くさながら汚れた脂粉をこすりつけたような見た目となって、それはまるで追い詰められてその場にこびりついた蝶の悲鳴の痕のように私には感じられました。

"これはきっとあの紋白蝶だ…。
ああカマキリと一緒に虫籠の中へ入れたりなんかしなければよかった!…"

そう思った私は知恵熱じみた意味不明の発熱にその後何日も苦しんだことを覚えています。

紋白蝶が可憐な蝶々でなくなってしまったことはそれほど衝撃ではなかったものの、羽根の破片すら無く、全く生前の蝶らしい原形を微塵もとどめない凄まじいまでの変容ぶりをあの小さな虫籠という空間の片隅で示していたことが私にはとても、考えられないほどのショックだったのです。

あの昨日まで確かに虫籠の中に居た紋白蝶が僅か一夜で、手垢か何かのような見るからに不潔そうで、不気味な『一体ナニか解らないモノ』と化してしまったことが、
私は蝶がカマキリに食べられてしまったこと以上に怖かったし、
今や独りで捕食者として虫籠の中でイキイキと君臨するかのように見えるカマキリ自体よりももっとずっと怖かったのです。

(あの紋白蝶が手垢かあるいは、水分が抜けてやや乾燥した魚のつみれのような色や見た目となってしまったこと、それは私にとって不思議であると同時に非常に怖ろしく、命が終えることにより蝶は蝶であって蝶ではなくなり、
ナニモノでもない無機質な『物体』へと驚くべき変容を遂げたのですから子供だった私にはその意味よりもただ闇雲に襲来してくる恐怖感との闘いのほうが、ずっと大変でもありました。)

逆に蝶を食べたカマキリは生き生きと緑色というよりもミドリイロに照り映えるようで、小さな虫籠の中に居ても私にはもしコイツが虫籠から飛び出してきて襲われたらとても敵わない恐ろしいアンドロイドかエイリアンのように見えたものです。

当然私はカマキリを近所のクローバーの原っぱへと及び腰で逃がすなり、虫籠はその草地の上へ遺棄したままその場を走って逃げました。
逃げている間もカマキリが臆病な私の後を物凄い勢いで追いすがってくるような幻想を抱き、私は怖くてならなかったのを覚えています。

もともと持病もあり幼少の頃、特に腺病質だった私は発達障害で過敏なとこがあった為によく熱を出すことがありました。がそのカマキリを逃がして以降、私は不思議な発熱に何日も悩まされ食事もろくに喉を通らぬ日々を送りました。不思議なことに今ではカマキリを見てもそれなりに美しい虫だな、と感じられるようになったのに、(同性からは皆、一様に驚かれますが今やカマキリを上手に掴んで持ち上げることも出来ます)然し
童女時代は蝶を食べた恐ろしい怪獣、あるいはモンスターのようにしか感じられませんでした。
小さな蝶だけでなく下手すれば自分も襲われるような気がしていた私は男の子達がミミズや蜥蜴(トカゲ)のシッポを石で切断したりして残酷な遊戯に耽るのを横目で通りすがりに嫌悪の眼差しを放ちながら、同時にまるで自分がミミズや蜥蜴になったかのような痛みや目眩や時に吐き気すら感じつつ、
人間の怖さを再確認せざるを得なかったのです。
そして無論、その『人間の残酷性』は同じ人間の私の中にも在るのだという認識は幼い私に痛くて辛い刻印として奥深く残り、今も尚、私の中で画然とした私なりの倫理(りんり)として生きているのです。
それは世間的には恐らく薄ぼんやりしたものでしかないので倫理などという言葉よりはもしかしたら、単に意識といったほうが正解かもしれません。

話は元に戻りますが、

蜘蛛がトイレに居るのがイヤでイヤでたまらない私はなんとか蜘蛛自ら窓から出ていってもらおうと苦心惨憺したのですが、蜘蛛というのはトイレットペーパー越しにもにゅるりっぞわぞわっとあの8本の長い脚で油差でも挿したのかしら?と思うほど滑るように逃げ回るので、
ティッシュで殺めないように捕まえる等ということはまさに至難の技でした。
それでも私は殺すこと事態が怖いので、
なんとか殺さずに捕まえてトイレットペーパーごと窓からそのままポイッしようと目論んでいたのです。

しかしそんな私の気持ちを知らぬ蜘蛛は濡れたような動きで、ツルリニュルニュルぞわぞわぞわっと押さえても押さえてもその下から小さな悪魔の如くまるで嘲笑うように容易にかいくぐって出てきてしまいまたすばしっこい。 

しまいに押さえた私の手の甲の上を痒くなるようななんとも云えない感触と共に素早く駆け抜けてゆき、怯え切った私はトイレで思わず絹を裂くような悲鳴をあげてしまいました。

心配した優しいキジトラの男の子の愛猫が急いで飛んできて、私は思わず愛猫の目の前でトイレのスライドドアを閉めるとトイレの中から叫びました。

『ダメッ!○ちゃん!
今こっち来ちゃダメ!!
危ないから向こう行ってなさい!すぐ終わるから、終わったらすぐそっちへ行くから向こうで待ってなさい!』
もし愛猫が蜘蛛に触れたり食べてしまったりして万が一蜘蛛に毒でもあったら大変です。
外来種で有毒の背赤後家蜘蛛(せあかごけぐも)も、うちから少し離れたところで発見されたという警告の貼り紙を見て以来、私は蜘蛛にはとても神経を尖らせていました。
うちの可愛い坊や達のヒゲ1本でも触れさせてなるものか!
と何も無いうちから私は蜘蛛を見て憤っていました。

『ママンは大丈夫だから心配しないで!テオ(弟ぶん)と一緒にリビングか寝室へ行ってなさいっ!
すぐ終わるからっ!』
そう叫ぶ声も努めて気丈を装うものの震えています。

にャオーにャオーと切なげに不安げに鳴く優しい坊や(かなり本当はオジサンですが私にとっては永遠の可愛い可愛い坊やなので)に蜘蛛なんかが飛び付いたり、また坊やにも蜘蛛なんぞに絶対触れて欲しくなかったのです。 

夜の蜘蛛は悪霊だとか魔の化身なので殺したほうがよいなどと聴きますが愛する猫達に蜘蛛という恐らくは迷信でしかないものの、
その不気味で訳の解らぬ忌諱に触れさせたくはありませんでした。

蜘蛛が天井に素膚(すはだ)を筆でなぞるようにゾゾゾースルスルスルッとかけ登り、(あくまでそれを見て感じた体感でしかないのですが) その隙に私はトイレを出て、扉の外で鳴いている坊やを抱き上げて、あやしながらベッドルームへ連れてゆこうとしたその瞬間、なんと蜘蛛がトイレから脱走し、私のスリッパから覗く素足の甲の上を再び赤ん坊の小さな爪でカシャカシャとやるようなゾッとする感触を鮮明に残しながら廊下へと滑り出してきたのです。 

愛猫は思わずすばしっこい蜘蛛の動きに目を奪われて、抱いている私の腕の中から飛び下りようと、もがきました。

しかし世にも恐ろしいことが次の瞬間起きました。 

蜘蛛が何故だか私のパジャマの脚を膝から太股までを光の速度で駆け上がってきたのです。 

もうすぐ愛猫に到達するという寸前で、私はとっさに片手で切るような鋭利な手つきで激しく蜘蛛を払い落とし、足元にクチャクチャッとまるで一瞬黒い糸屑の塊のように小さく丸まって脱落した蜘蛛を我ながら驚愕だったのですが、私はスリッパを履いた足で思いっきりダンッという大きな音と共に踏みつけていました。 

私はスリッパをその場で脱ぐと、愛猫をなだめつつ寝室へ鍵をかけて入れてしまい、その後、恐る恐る脱衣場の廊下へ戻りそのスリッパを床からそっと持ち上げて見ました。 

8本の不気味な脚はバラバラに飛び散り黄色い体液まで滲(にじ)む小さな小さな惨状と化したその場を、私は深夜何時間もかかり水拭きと消毒液と粗塩とで拭きに拭きまくり、拭いた雑巾も蜘蛛を踏んづけたお気に入りだったスリッパも棄ててしまいました。

その後即、入浴し震える身体を洗いまくり湯舟の中で膝を抱えて声を殺して泣いた後、何事も無かったかのように笑顔を取り繕って寝室の戸を開けた私は猫達に迎えられ『もう大丈夫ごめんね、ごめんね、びっくりしたね、
でももう終わったから大丈夫!』
と何度も繰り返し、その
『大丈夫』のリフレインは猫達にというよりはむしろ自分に向かって言っていたことは間違いがないのですが、猫達と共に横たわり、無理矢理の笑顔の隅でまだ涙ぐみながらも、その日の夜は猫達と我が身に向かって幽かに唄う子守唄と共に白河夜舟となったのでした。

 

2016年note  2021年再

(To be continued...)

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