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アリスという名の猫

一人暮らしアパートのポストに入ってたミニコミ紙を握りしめ、キャンパスの心理相談室へ駆け込んだ。

この教授に会ってみたい!話がしたい!
困った時は、そうだ!心理相談室に行けばいいんだ!

注意)それ、心の悩みを相談するとこで、探しびとの相談するとこじゃありません。

全く天然ボッケボケな私と向き合い、心理カウンセラーのお兄さんは真顔で言った。

「ここじゃなくて、教務課に行く方がいいんじゃないかな」

諭されシュンとした私は気を取り直し、再びミニコミ紙を掴んで相談室をあとにする。

「うまくいくといいね」

哀愁背負った背中へ温かい言葉で後押してくれたおかげで、もちろんアポなし、初めて踏み入れるキャンパス学部棟の中に探しあてたその先生はっ!

初対面の先生を見て、フリーズ。
教授のくせに、若い…かっこいい…
やっとのことでたどり着いたその人は、ヨージヤマモトを普段に着こなすイケテル教授でした。
まあ実年齢より10歳くらい楽勝で若く見えてただけなんだけど、研究室には女子学生が無駄にたむろってるよーにしか見えません。モテモテ。

うわーこんな先生マジでいるんだ

自分の指導教官がめっちゃ偏屈なドイツかぶれのおじいちゃん(ゴメンナサイ)だっただけに、ゼミから逃避してはここに居座るようになった。

んな感じで出会った教授からは、色んなことを学んだ。例えばセラピーの中にはクライアントに白昼夢を見せるというのがあります。

目覚めている状態で無意識を見せつける。
そのために、身体を弛緩させ意識を一点集中させていく。

この技法はちょっとオカルトっぽくてハマりました。
しかも私の知る限り、ルーツが70年代西海岸ときた。

で、その手段に使うツールは、70年代西海岸ヒッピーが愛したLSDとか強制的な過呼吸とかホワイトノイズとかありますが、クラシック音楽+催眠暗示はもっとマイルドで安全なやり方だと思う。

guided imagery and musicというんですけど、あるワークショップですっかり暗示がかかってしまい、川の流れを見てたら水面に映る自分の顔が流されていく白昼夢を見たのでした。

さすがにびびり、講師の先生に解釈してもらいに走った。

左から右に流れるのは、過去から未来という暗示。
今、君は新しい自分に変わろうとしている。
だから心配ないよ。

半分(うそくせー)とは思いつつ、でもホッとしたのはホント。

小説を書く時に、例えば流れ星が右から左に流れるのか左から右なのか、過去や未来の暗示で使うことありますが、まあ誰にも気づかれなくて全然構わないんです。

やがて先の教授から厚い信頼(たぶん)を受けた私は、教授一家が文科のお金(税金)でイギリスやらアメリカやらに行ってしまう間の半年間、アッコちゃんと2人交代でご自宅の留守番を仰せつかった。

要は、ネコの世話です。
アリスという名前のネコと暮らすことになりました。

アッコちゃんと1ヶ月ごとの当番制にしたから正味3ヶ月か。
アッコちゃんはネコ飼ってたけど、私はネコを飼ったこともイヌを飼ったこともありませんから、世話の仕方分かりません。

たいていのネコもそうかもしれないけど、アリスは全く自分勝手で、私が(せっかく)準備したエサを食べないとか、2日続けて同じエサは食べないとか、やきもきさせてくれました。自分のエサよりアリスのエサに悩む日々。
それにお出かけ大好きな彼女、エサも食わずどこぞであそび惚けていた。

でも、夜、気づいたら私のヒザの上にいたりする。

ひろーいリビングに1人。
夜更けのBGMはスティーブライヒのElectric Counterpointを選ぼう。ジャズギタリストのパットメセニーがクールに演奏する、現代NY的なミニマルミュージックだ。
それから我が物顔でウエッジウッドのワイルドストロベリーのティーカップに紅茶を注ぐ。
さっき本棚から見つけたドゥルーズガタリの「千のプラトー」を読むためにね。

座り心地のいいソファに腰を落とし、気分は完璧ハイソサエティ、準備万端ハードカバーを開いた私のヒザの上に飛び乗り、アリスは遊んで遊んでってこんな夜に限ってゴロゴロしてくる。

はいはい。どうせエセ読書家ですよーだ。こんな難しい本、教授のマネしてカッコつけたかっただけ。

「未琴じゃ上品な知識人にはなれニャいにゃー」
「うるさい! ばかアリス!」

くすぐってやると、もっともっとってゴロゴロ。
普段素っ気ないだけに、未琴の方がカマちょモード全開。アリス、おもしろすぎ。いいよ、はじめっから読むつもりなかったから。あれ?もうあっち行っちゃうの?

嫌がるのを無理やり抱き上げヒザに連れ戻す。そうしてオフタートルの真っ赤なざっくりセーター、爪で引っかかれて1日でダメになった。

あーもー

「ねえ、アリス?」

無視。
なんなのよ。

そんなアリス、寝る時だけは決まって布団に潜り込んで私のお腹の上。
秋冬だったので、暖かかった。

ホントのこと言うと、ちょっと重いんだけどね。

いいこ、いいこ、おやすみ

約束の半年が終わる頃、アリスが家に帰って来ないと留守当番のアッコちゃんから電話がかかってきた。

すぐ駆けつけた。

アッコちゃんは既に泣いていた。

私たちに飽き飽きしたんだろうか。
駆け落ちでもしたんだろうか。

2人で数日かけて高台の高級住宅地内を歩いては、アリスの姿を探した。後ろ姿だけでも、曲がり角あたりでニャーって声だけでも聞きたい。
けれど、気まぐれアリスは見つからなかった。

ある日、二軒隣りの向かい側のお宅のおばさまから、少し前にネコが車に轢かれて処分されていたと聞く。

アッコちゃんは号泣した。
私のせいだ、私の世話の仕方が悪かったんだと自分を責めて次の日も泣いて泣いて目が開かなくなるくらい腫れていた。

私は泣けなかった。

どうしてもアリスの死を実感できなかった。
それに誰のせいとかじゃない。彼女は好き勝手にあそびに出かける子だもん。

アリスと暮らした時期は短かったけど、私にだって特別な感情があった。
この文を書きながらアリスのことを思い出したってことは、今頃ツヤツヤの茶色い毛並みを整えてふらっと教授んちに帰ってきてんじゃないかなって、あの時アッコちゃんと一緒に泣けなかった言い訳をコッソリこぼしてみる。


(教授の家で我が物顔で聴いた曲が、これ)


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