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諸刃剣 高山


 そもそも武家の出でもない、近衛はあいも変わらず畑を耕しては、土の状態を観察しては肥料を使って土を己なりに肥やしていった。
 それが近衛の日常であり、陽が暮れれば直ぐ近くの庵に帰る、という生活を送っていた。

           ※※※

『おかえりなさい』
 静が出迎えて、湯の入った桶を用意してくれる。
 近衛は何も言わずに、手拭いを湯に浸けて、そのまま泥だらけの足を拭っていった。
『あなた、お客さんが来てますよ』
 もう陽が暮れ始めているというのに。
 近衛は急ぐこともなく、入念に足を拭って草鞋を脱いで、庵に入っていく。
 静との2人暮らしだから庵はそんなに広くはない。
 だから襖を開ければ、直ぐに客人がいた。
『近衛、久しぶりだな』
 客人は寺子屋で馴染みであった武士、中村仁之助。下級武士ではあるが、農民の近衛とは旧知の間柄。身分など関係はない。
『誰かと思えば仁之助か』
『あぁ、畑仕事終わりにすまない』
『何か用か、武士が農民の家に来ているだなんて知れたら、変な噂も立つだろう』
『そんなもの、俺には関係ない』
 仁之助は豪快に笑った。
 こういうところが『武士』ではない、仁之助と話す度に近衛は思う。
 しかし御武家が、わざわざ一介の農民の元にやってくるとなると、これまた話が変わってくる。
 何か面倒な事でもあったのか? 
 近衛は何も言わずに胡座をかいた。

『お主に頼みがある』
 仁之助は俺に向き直り急にかしこまる。
『近衛、お前の力を借りたい』
 仁之助の地声はただでさえ大きい。静に聞こえてしまった様で、外で薪を持ってきていた静が薪の1本を落とした。
『静』
 俺は名前を呼ぶ。静は俺の言わんとしていることを悟ったのか、慌てて薪を持ったまま外に出ていった。
『仁之助、静にだけは不安を掛けたくない。それは分かってくれるな?』
『あぁ、すまない。語気が強かったかもしれない。ご新造に心配をさせてしまったか』
『仕方がない、お前の立場も色々とあるだろう。それに妙に殺気立っているのも分かる』
 この庵に来てから、仁之助は妙にそわそわとして、落ち着きもない。普段の姿とは少々違う。地声が大きいのは当たり前だが、にしては何か背ている気もした。
『とにかく、俺の願いを聞き入れてもらいたい』
 仁之助は頭を下げる。
『仁之助、俺とお主の間柄だ。武士と百姓の身分もある。お主が百姓の俺に頭を下げるとは、一体何があった?』
『それは……』
『言えぬのか? ならば斬り捨てられても俺は文句は言えぬな』
 頭を下げていた仁之助は勢いよく頭を上げて、
『そんな事をするか!』
 と声を荒げた。
 やはり何かがおかしい。
『俺は百姓だ。頭を下げる相手を間違えているのではないか。俺は理由を聞けぬ限りは力を借りたいと言われても借せぬな』
 すると仁之助は前のめりになって、
『近衛、去年の暮れにお主の父上が流行病で亡くなったな?』
 急に妙な事を言い出した。
 今度は脅しか何かか?
『お主の父上、元々武家だったという話は本当か?』
 俺は仁之助を睨んだ。
 しかし語る事を止めようとしない。
『父上から聞いたぞ、お主の父上は代々おかしな剣術を使うとな。つまりお主もその使い手であると聞いておるぞ』
『………誰から聞いた?』
 仁之助は黙り込んだ。おおかた今は亡き父上が、口を滑らせて仁之助の親父に話したのだろう。
 しかし1つ間違っていることがある。
 俺の先祖は1度も『武士』になったという事実はない。父上が話を盛ったのか? だがそんなことはどうでも良い。
 とにかく面倒は御免だ。俺は仁之助の頼みを聞くしかなかった。

         ※※※

『よいか? 今からお主に授ける技は、相手を欺くところから始まる。そして自分は死んだものだと思え。でなければこの技は扱えぬ』
 俺は仁之助と庵から場所を変えて、畑まで足を運んだ。
 そして手頃の枯れた竹を拾い、仁之助を前に構えた。
『俺を殺す気で掛かってこい。さぁ、刀を抜け』
 仁之助の顔色が変わる。
『近衛、何を言っている? 刀を抜けだと? お主が持っている竹でも木棒でも良いではないか』
 そういう問題ではない。俺が仁之助に授ける技は本来であれば、門外不出である。
 我が一族の教えは『一子相伝』である。技など授けるなど以ての外だ。
 だが、旧知の友が危機に立たされているのなら、授ける他ない。
『いいから抜け。俺を殺す気で掛かってこないと仁之助、お主が死ぬぞ? それでも良いのか?』
 覚悟を決めた様に、仁之助は刀を抜いた。深く呼吸をする仁之助。剣先が震えている。俺は震える剣先に竹を当てる。
『さぁ、殺す気でこい!』
 そう嗾けると、仁之助は気合を入れて、刀を振りかぶってきた。俺は軽く足を引っ掛けて、豪快に仁之助は前のめりに転んだ。
『おいおいおい、人を殺すのは初めてか? だろうな、太平の世に人を叩き斬ることなどないからな』
 事実そうであろう、しかし俺は何度か人を殺している。それは自分を、家族を守る為に。
 百姓・農民など、いつ襲われてもおかしくはない。
『立て、でないとお主が死ぬことになるぞ?』
 仁之助に発破を掛けると、直ぐに身構えて整える。仁之助の目付きが変わった。
 気合とともに、袈裟斬りを仕掛ける仁之助。俺は逆に体勢を低くして前進して避ける。
 そしてそのまま持っている竹で仁之助の首に当てた。
『これで死に体だ』
『近衛………これがお主の技か?』
『勘違いするな。まだまだだ。準備運動の様なもんだ。話はそれからだ』
 俺は仁之助と距離を取り、また身構えた。

         ※※※

 あれから半月経った。
 俺は仁之助の墓の前にいる。
 その後仁之助の『お役目』というのが分かった。
 簡単な話ではあるが、所謂『御家騒動』に巻き込まれ、刃傷沙汰になる可能性があった為、俺に『技』を教えて欲しかった、という訳だ。
 俺が授けた技。

『兜割り 高山』

 片手で刀を振り上げたまま、動かさずに自身に隙を作る。相手がどの様な斬りかかり型をしてきても、避けるもしくは相討ちに持ち込み、そのまま一気に刀を両手で持ち、頭から一刀両断する。
 自身が『死に体』である覚悟でないと、この技は成立しない。
 付け焼き刃で授けた技ではあるが、仁之助は相討ちに持ち込んで、見事に『兜割り 高山』を成功させた。
 俺は風の噂でそう聞いている。
 妙な構えをして『自ら死ににいく構え』であったという。
『兜割り 高山』を成立させる為には、これしかなかったのだろう。
 これだから『武士』は嫌いだ。
 御家騒動に巻き込まれ、上士に仕えて命を捨てにいく。面倒な御身分だ。
 仁之助は独身であった為、家督はそのまま。まだ元服を迎えていない弟が、その後家督を継ぐであろう。
 仁之助の死に意味があったのだろうか?
 俺は『一子相伝』の技を授けなければ、あいつは死ぬこともなかったのかもしれない。
 今更ながら、後悔をしている。
 とにかく、仁之助がお役目を果たし、武士として死んだのなら、それでいいのだろう。
 俺はもう2度と、頼まれても技は教えない。
 たとえ友人や武家であっても。
 仁之助の死は、俺の責任だ。

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