21回目の手術
バンチ症候群。
現在では名前が変わって「特発性門脈圧亢進症」と呼ばれている。
『門脈圧亢進症』
門脈(腸から肝臓に向かう太い静脈)と、その分枝の血圧が異常に高くなる病気。
僕の場合は脱腸の手術を受けてから、症状として「貧血」「血が止まりにくい」「脾臓肥大」という、意味の分からない事が起き始めた。
これが6歳の時に起きた。
親から聞いた話では「医療ミス」だという。
そう簡単になる病気ではない。しかも当時(昭和後期)は、これといった治療法が見つかっていなかった。
原因が分からず、他の病院を探してやっと分かった病名。
そして医療ミス。
今だったら訴訟を起こしても、勝てるかもしれないが当時は違う。泣き寝入りするしかなかった。
様々な医師が、
「訴えますか?」
そう言ったらしい。
同じ医師として、憤りを感じたんだろう。
手を震わせて、怒りを我慢している医師もいたという。
だけど僕には何のこっちゃ分からず、結局勝てる見込みのない裁判を両親が起こさなかった。
ただ問題だったのは、
・血小板減少。
・白血球減少。
・脾臓肥大。
・免疫低下。
・合併症として食道静脈瘤。
これが6歳にして、僕に課せられた問題だった。
治療法もままならない、年齢的にも手術が出来ない。
唯一出来る事は「合併症の食道静脈瘤」を毎年2~3回に分けて、手術をするしかないという結果だった。
その手術は大体1時間程度で終わるが、勿論これは全身麻酔。
何故か?
胃カメラの先端に針の様なナイフで、食道静脈瘤を潰していかなければならない。
これを子供の僕が耐えられるか? っていう話。
はい、無理。全身麻酔決定。
更に運動制限まで付くオチ。
この理由は「脾臓肥大」に関わってくる。
例えば僕の腹部にサッカーボールが当たったらどうなるか。
考えなくても簡単だ。
内臓破裂で重症となる。
だから外で遊ぶ事も出来ない。
おまけに「特殊学級」にまで入れられそうになったぐらい。
ただ内臓器官の病気なのに、色目で見られてイジメも多かった。
今考えてみると、まともな大人になんかなれるはずがない。
それなりに友達が出来ても、すぐいなくなってしまう。
僕の病気を理解してもらえなくて、当時は「エイズ」がマスコミに取り上げられていた関係で、僕自身も疑われた事がある。
負のスパイラル。
イジメの標的になるのは当たり前だ。
だから僕の居場所は、変な言い方かもしれないけど「病院」が一番居心地が良かった。
でもね、病院で入院していると、見なくてもいい光景を目の当たりにしてしまう事がある。
それは小児病棟でよくある「子供の死」だ。
昨日まで元気だったのに、夜中に容体が急変して、気が付いたらベッドには誰もいないなんてざらだった。
幾度となく食道静脈瘤の手術をして、今では当たり前の市販薬「ガスター」を食道に塗布され、自分の呼吸が薬品臭かったのは今では懐かしい思い出だ。
しかし子供の成長は恐ろしい。
成長すればするほど、病気も物凄い早さで進行していく。
そして主治医から告げられた言葉。
「どうなるか分かりませんが、もう限界です。開腹手術を行います」
そう言われたのを覚えている。
当時は13歳。
本当なら12歳でも手術しても良かったのだが母親が渋り、結果的に13歳で開腹手術を行う事になる。
しかしこれには大きなリスクがあった。
その病院で僕と同じ症状で、手術を行った4人の患者がいたらしい。
3人は死亡、もう1人は植物人間になってしまった。
つまり成功する確率、0%。
これに親はサインした。
主治医の先生が出した手術法を、信じてみたかったからだという。
僕はこの話を、父親から聞いた。
聞いた感想は、
「あ、そう」
だった。
これで失敗でもすれば、未練なくあの世に行けると考えたからだ。
楽しい事なんてなかった。
だったら成功率の低い手術でも、何でも受けてこの世からサヨナラしたかった。
自分で自殺する事も考えた事もあったけど、そこまでの根性がなかった。
(恥ずかしながら)
そして数えて21回目の手術。
これで僕はこの、最悪な世界からサヨナラ出来ると思った。
手術室にて待っていた若い主治医が、
「よく来た。俺に全部任せとけ」
なんて面白い事を言っていたっけ。
点滴を打たれて、そこから麻酔が注入される。
僕のいつもの儀式なのだが、この注入麻酔でどれだけ我慢が(眠るまでの)出来るか、ゆっくりと秒読みして遊んだりしていた。
今回の手術もそれを行ってみたけど、2秒数えた先から覚えていない。
次に目覚めた時、僕はあの世にいるだろうと思った。
苦しみから解放されて、この不条理で理不尽な世界から解き放たれるとおもっていた。
目が覚めると天井がまず視界に入ってきた。
あれ?
腹部に痛みが走った。
頭がトロンッとする。
鼻にチューブが入っていて、やけに喉が渇く。
主治医が僕を見てこう言った。
「成功したぞ! この病院で初めての成功例だよ、君は!」
は?
生きているの?
腹部の痛みに耐えながら、自分の両手を見ようとした。
両手に管が繋がれている。
そこから点滴が流れ入っている。
おかしいな、21回目の手術でまさかの成功例になってしまった。
でもまぁ、いっか。
今は身体が熱いし、腹部がアホみたいに痛い。
だけどまだ麻酔のせいか瞼が重い。
ゆっくりと僕の瞼が塞がっていく。
21回も受けた最後の手術で、僕は命を取り留めただけではなく、そこの病院の唯一の成功例になってしまった。
僕は今でも思う。
人の命を医者がやり取りをする事は、おこがましい行為なのではないか、と。
僕は折に触れて考える事があるんだ。
今日もそんな事を思ってしまう。
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