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ラベリング

今、視線を右に動かすと「しょうゆ」とラベルのあるボトルがある。
中身は正真正銘のしょうゆだ。それ以上でもそれ以下でもない。
何せ自分で購入してつい先程も使用したのだから。

しかしここまで読んだ人が「そんなの麺つゆに決まってるだろ!」と、
ダッシュでやってくる間にラベルが剥がれてしまえば、
しょうゆである事を証明するのが難しくなる。
お互いに引くに引けず「間を取ってポン酢という事にしよう」と、
なってしまうかもしれない。
それだけラベリングされる事は重要な事だ。
わかりやすさはもちろん、確たる証明の根拠にもなるからだ。

人にもラベリングはある。
ラベリング効果という言葉も最近は重要視されている。

例えば私「勘亭鯛丸」というふざけた名前の人間がいるわけだが、
早稲田大学中退で落語の修行をやっていると自己紹介したらどうだろう。
面白い文章が毎日リリースされるような気がしませんか?

そうでなくて、鳴門の渦潮に揉まれた鯛を獲る事20年の漁師。
毎日乗る漁船の名前が鯛丸だと言えばどうだろう。
魚の話題に強く日焼けしたゴツい男と信じてもらえるかもしれない。

信じるか信じないかはあなた次第。

だからこそ人と出会って話す事は面白い事でもある。
ここまで読んだ人がダッシュでやってきて扉をバーン!と、開いた先にいる「私」に接すると、また違うもっと正確なイメージを抱くだろう。

ラベリング効果は人間形成に大きく作用するらしい。
人間を育てるにあたって、「褒める・叱る(怒る)」事がある。
子供がテストで70点だった時、
普段35点あたりの子だった場合、きっと褒める人が多数だろう。
90点以上しか取った事が無い子の場合、努力が足りてないと叱ったり、
期待していた分、怒りの感情が爆発する事もあるだろう。

ここでは、それぞれのケースで二種のラベリングを行っている。
最初のケースでは、
・どうせお前は35点くらいしか取れないだろう
・70点という事はすごく頑張ったに違いない!
後者のケースでは、
・100点で当たり前。人間ミスもするけど末は博士か大臣か
・70点というひどい点数を取ったのは怠けたかバカになったか。
 いずれにしても信頼を裏切るダメ人間になろうとしている!など。

確実に言える事は70点という結果のみである。
もしかしたら2人ともエンピツを転がして70点になっただけかもしれない。
そうならば普段から点数が良い子は怒られ損である。
真面目に解かなかった事も問題だが、
急な腹痛でエンピツに頼るしかない状態だったのかもしれない。
物事の存在や発生には理由や根拠が必ずある
その過程を全く考慮せずに以前のイメージを根拠に判断しては、
評価を誤る事につながるわけだ。

誤った評価を元に「お前は勉強をサボるだらしない人間だ!」と、
頭ごなしに叱責する事で、本人に直接ラベリングすると、
「自分はサボりがちな人間だから努力は苦手だ」と、
ネガティブなラベルをおでこに貼り付けた人間になる可能性がある。
これを剥がすのは自力ではなかなか難しいものだ。
そして人ってのは真面目すぎてもよくないもので、
苦手な努力を克服するための努力に目標がズレてしまう。
これは非常にもったいない事である。

あのエジソンが学校では問題児としてダメ生徒とラベリングされていたが、家庭ではエジソンの好奇心からの質問に母親が全て答え、その好奇心を伸ばしたのは有名な話。
叱る事が絶対にダメという意味ではない叱るのも正しい愛情表現であり教育の一環だ。ただ、そこに至る過程を想像で決めつけて判断するのが良くない。人の本質を見誤るのも損だし、ネガティブイメージを植え付けられた側も損をする。それも人生に関わるくらいに。

誰しもがコンプレックスを抱えている。
その中で乗り越えたものもあるのではないだろうか。
もしかするとその克服したものの一つは、
ラベリング効果で自分の成長を自分で妨げざるをえなかった不幸のせいだったのかもしれない。

さすがに、卵に毎日挨拶したら長持ちしたなんてのはデマもいいとこだが、
人間は評価する側もされる側も、思い込みで損をしている事はある。
特に我々日本人の、謙虚さを美徳とする考え方はそういうデメリットと関連しやすいものだろう。

百聞は一見に如かずである。
いや、大好きな三国志由来の「呉下の阿蒙にあらず」の故事が適切か。
風評や過去の経験則に頼りすぎてはもったいないと自戒したい。

なぜこんな事を自戒せにゃならんと思ったのか。
先程、シャツを脱いだ。
それは去年帰省した時に実家で用意してくれていたシャツで、
引き出しの奥にしまいこんで新品のままだったのだ。
あまり着ない生地だったのでオシャレ着洗い洗剤で洗濯かなとタグで確認したら、



「しまむら」




と書いてあり、反射的に洗濯カゴに容赦なく放り込んでしまい、
色んな意味で反省したからである。
しまむらに人生訓を教わる男。
それが勘亭鯛丸の正体だったのだ。

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