「話す」こと

人によって得手不得手があるとは思うが、
起きたまま完全に沈黙した24時間と、常に会話を強いられる24時間とで選ぶなら、後者の方がラクに過ごせると思う。

私は自分の不甲斐なさに対する怒りやストレスを発散するのが苦手で、
どんどん溜め込んでしまうし、発散のために集まった飲み会の帰り道にも反省会を頭のなかでしてしまうほどである。
そんな私は先週はけっこうデカいミスをした。単純な事がきっかけだっただけにかえって自分の不甲斐なさに腹が立つやら呆れるやら怒りがわくやら落ち込むやらで疲れる日々だった。

こんな時はやはり友達と話すに限る。
そのこと自体を話すも良し。「広瀬アリスと広瀬すずのどっちが好きか」みたいな不毛な話をするも良し。話して話して言葉に乗せて吐き出すのが私の解消法。

だが今日は何日だ。8月10日。山の日。つまり祝日。
もうお盆休みに世間は突入したのだ。
普段はそれこそ午前0時をまわってもメールくらいなら飛ばしたりするのだが、お盆はやはり特別な休みである。
先祖の霊を祀り家族とゆっくり時間を過ごすにしろ、
長期休暇を活かして家族と海外に行くにしろ、
普段よりも家族と密接な時間を共有するのがお盆なのだと思う。
そこに「仕事でこんなことがあって…」だとか「俺は広瀬すずの方が好きだな!」などの連絡をぶっこむほど空気が読めない私ではない。
しかしストレスというものは不思議なもので、貯めていると利息がついて、よりストレス過多に拍車が掛かる。

困ったなと思ったが、逆転の発想で、実家の両親に電話をした。
特別に精霊流しもなければ贈り物をしたわけでもない。
全く用件は無く、話し相手探しという自己本位な理由での電話であった。
特に変わりなく過ごしているようでなによりであった。
考えてみれば、自分が軽い熱中症になった時に「突然くるからとにかく水分とるように」と電話して以来だ。タイミングとしてはお盆に帰省できない事もあわせるとちょうどよかったのかもしれない。

人の行動には何かしらの原因や根拠が存在する。
意志や欲求があるから行動に移るのだ。
相手の事を考えて行動する事ももちろんあるのだが、
それは厳密に言えば自分のためでなく手助けしたい相手のためであって、
自己の意思決定ではなく他者視点を察した意思決定である。
つまり理由があるという部分は同じでも理由の発生する根拠が違うので、
似て非なる行動であると言える。

相手の気持ちなどを慮って行動することを美徳とする価値観はどうやら世界共通のようだ。
そこは否定しないし素晴らしい事だと思う。
ただ、人生の満足度を上げ楽しい時間の比率が上がり、
付随して周囲にも良い影響を与えるのは、
自己の考えで意思決定した場合の方が圧倒的に多い。
傍若無人な振る舞いは論外であるが、やりたいことをやるという事が、
いかに重要でポジティブな選択であるか
がわかる。

例えると、愛の告白をする時、特に思春期男子はフラれる事そのものに加え、そのせいで今までの仲の良いガールフレンドという関係が崩れる事に恐怖し一歩が踏み出せないのである。なぜなら当時の私がそうだったからな!

考えてみれば杞憂である。
まず気持ちを伝えなければどんなに仲がよくてもそれ以上の関係が見込めない。もしかしたら相手は待っているのかもしれないのに。
また、告白がきっかけで数日ならともかく、完全に縁が切れるような相手はさっさと縁を切った方が良い。むしろ長い目で見るとフラれて幸運だったとも言えよう。
女性に迷惑がかかる?好きと言われて迷惑だと心から思うような人はいないだろう。
人間関係の兼ね合いという意味で迷惑だったとしても、個人そのものを良いと評価されて悪い気持ちにはなるまい。むしろ勲章の一つとも言えるのではないだろうか。

言いたいこと、やりたいことは、社会通念上のルールに則っているならば、積極的に行動するに越したことはない。少なくとも自分の人生の満足度は上がる。行動を起こすと不思議なもので、最初の行動が失敗してもなぜか友人や先輩や上司などの思わぬ縁が飛び込んでくる。
不思議でならない現象だが、それこそ神様ってのはいて、行動に対する次のチャンスを提供してくれているのかもしれない。学生時代に主にアルバイトや遊びの時に言っていた言葉がある「迷ったらGOだ!」と(笑)
主に士気の鼓舞に使っていたが、今の自分や閉塞感のある今を生きる人に必要な言葉なのかもしれない。

#エッセイ #自分軸 #迷ったらGO #やりたい事 #とは

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