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未経験転職、3ヵ月で売上ゼロ。それでも成果ゼロではないし、未来は可能性で満ちている。

3ヵ月、480時間以上費やして、売上0円。

これだけ見たら、試用期間中に戦力外通告を受けそうなものです。

ましてや、32歳・未経験・中途入社で採っていただいてこれなので「自分にはこの仕事向いてなかったのかも」とも思いそうです。

ですが、今の素直な気持ちに向き合うならば。

目の前の人にハッピーを感じていただけるとしたら、その時点で自分はだいぶハッピー寄りなのである。

という、なんだか仕事とはあんまりにつかわしくない言葉でした。(この言葉に出会うまでに、30分くらい内省してます。)

上記の言葉を分解・読み解きながら、今の自分に何が起きているのか、少しずつ解明していこうと思います。

目の前の人にハッピーを感じていただく。

私が所属する人材エージェント会社「ミライフ」のミッションは

働く、生きるを、HAPPYに

です。

つまり、仕事を通じて、働くことと生きることをHAPPYにしないといけないのです。

これ、思った以上に、ストイック。

なぜなら、シンプルに、事実と感情は異なるからです。

仮に、私が目の前のあなたと向き合い、何らかメリットを提供できたとしましょう。

でも、最終的な状態として、あなたがハッピーだと感じていないとすれば。

それは、お互いにとって、あまり望ましい在り方ではないですよね。

そしてこれは、スキルや誘導でコントロールできるものでもないです。

仮に私がマインドコントロールの達人で、話した瞬間やその直後は幸福感を高められたとしても、それがずっと続くわけではないでしょう。

あくまでも、ハッピーさを感じる主体はあなたであり、最終地点に立ったときにハッピーであると感じられるかどうかは、あなた自身にかかっています。

その地点には(近くにいることはできるかもしれないけれど)、私は存在できないのです。

だとすれば、今の私の仕事は、

・私の力の及ばない地点に存在する出来事に対して、
・なんとかできる範囲の手を尽くして、
・ハッピーな最終地点に立っていただくことを願う。

という、もはや仕事だかなんなんだか、よく分からないことになっているな、と思うのです。

ですが、こうした仕事って、本当はたくさんあるのではないでしょうか。

例えば農業は、完全な管理型でもなければ、自然という私の力の及ばないものとの関わりで成り立つものでしょう。

あるいは、日々マーケットや顧客と向き合うビジネスであっても、色々と読み取ったり予測したりするわけですが、本当のところは分からないし、最終的なところでは、自分の力は及ばないわけです。

だとしたら、別に特別なことをしているわけではなく、ただ人にフラットに向き合う以上、その力の及ばなさを感じやすい、ということなのかもしれません。

だからこそ、目の前の人にハッピーを感じていただくというのは、自分の問題と切っても切り離せないわけです。

その時点で自分がハッピー寄りである。

ここまで、目の前の人のハッピーさに対する、私の力の及ばなさを書いてきました。

とすると、究極的なところでは、あなたがハッピーであるかどうかには、私は関わってないわけです。

それはあなたがたどり着いた、あなたの力としてのハッピーさなわけです。

では、そのとき私はどこにいるのか。

まあ簡単に言って、そんな風な思考や行動ができる時点で、割とハッピー寄りな地点にいるわけですよ。

というか、そうでなければ、ナチュラルに誰かにハッピーを感じていただくのが良いよね、とは思えません。

例えば、社内ではよく「誰かの前に自分をハッピーにしよう」という言葉が出ます。

これ、従業員にやさしいステキな会社だな~こんなこと言ってくれるんだな~ぐらいに思ってたんですが、恐らくただのやさしさではない。

誰かにハッピーであることを願うなら、

結果がどうなるのであれ、それを引き受けても自分がハッピーである

ぐらいの地点に立っている必要があります。

ですので、因果としては、

誰かをハッピーにできるから、
自分がハッピーになるのではなく。

自分がハッピーな地点に立ち続けていることで、
誰かがハッピーな地点に立つことを純粋に願える

という方向なのだと思います。

「自分を愛せないと誰かを愛することも難しい」みたいな話ですね。

どうやら自分は、誰かにハッピーを感じていただけているらしい。

大変ありがたいことに、この3ヶ月間で、誰かがハッピーになる瞬間に何度か立ち会うことができました。

「菅野さんとの関わりがきっかけで良い意志決定ができた」
「見えてなかった道に気づけた」
「選べなかった選択肢を選ぶ勇気を持てた」

こうした言葉を成果と言えるのは、やはり環境の力が大きいと思います。

この会社に居て心理的安全性を感じるのがこうした場面ですが、それはたぶん、従業員を大事にすること以上に、ミッションの実現に必要な要素だからだと思います。

従業員をハッピーにしないと実現できないミッションやビジョンに基づいて組織が作られてるって、めちゃくちゃ面白くないですか。

ハッピーの連鎖をつなぎ、未来の可能性を創る。

だいぶ長くなってしまいましたので、そろそろまとめに入りましょう。

もともとこのnoteは、入社3ヶ月の振り返りをしようと思ったのに

目の前の人にハッピーを感じていただけるとしたら、その時点で自分はだいぶハッピー寄りなのである。

という言葉に出会ってしまい、なんだこの言葉?と思ったところからスタートしたのでした。(実はそうなんです。)

この3ヶ月間は、未経験である以上に、人と直接的に向き合う仕事であるところのエージェント業の難しさに、日々戸惑うことが多かったです。

そして、その結果が売上0である一方で「俺は何をやっていたんだ!何の成果も出てないじゃないか!」とするには、あまりにも何かをやっている気がして、そのギャップを紐解いてきたのが、ここまでのお話でした。

最後に少しだけ、今後の可能性の話をさせてください。

途中でも書いたように、誰かをハッピーにするというのは、自分の力の及ばないものです。

「ハッピーになっていただくことを願う」といった回りくどい日本語でないと、表現できないなと思っています。

そして、それができるのは、すでにハッピーな地点に立っている人でした。

だとすれば、もし私が誰かにハッピーを感じていただけたなら。

その人が、また別の誰かをハッピーにするかもしれませんし、しないかもしれません。

その連鎖がぐるぐる回れば、どこかで誰かがまた、ハッピーになるかもしれません。

これは「恩送り」のような考え方に近いかもしれませんが、巡りめぐってそれは次世代の、次の時代に生きる子どもたちの未来にもつながるかもしれません。

子供達のためにワクワクする未来を創る

これが「働く、生きるを、HAPPYに」と対になる、ミライフのビジョンです。

日々の仕事で直接的に感じることは少ないですが、自分がハッピーな地点に立ち、誰かにハッピーになっていただき、その連鎖が回るとしたら、それはきっと、誰かの未来にワクワクするイメージを与えられるかもしれません。

だって、シンプルに、ハッピーに生きてる人が多い世界に生きていたいじゃないですか。

個人的には、早くベーシックインカムの時代が来て、働かなくても生きていけるようになってほしいと全力で思います。

ただ、そのときでも、人間は今とは違う形で、何らかの仕事を見出だすでしょう。

だとすれば、働くことと生きることが切り離される未来は、まだ先になりそうです。

そして人間は、紀元前の頃から、幸福を目指して生きる存在です。

だからこそ、ハッピーの連鎖が続く生態系が生まれるために、そのきっかけの1つになれるなら。

自分の仕事の意味も小さくはないだろうし、決して成果もゼロではないと、胸を張って言えるかなと思うのです。

もちろん、会社の存続のためにも自分の生活のためにも、売上はあげたいけどね!!
それはまた別の気持ち!!!

ということで、最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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