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執筆日記⑳ ドキンちゃん

昔からアンパンマンに登場するドキンちゃんの奔放さがすごいなと思っていた。バイキンマンに対してとんでもなくわがままで「あれ買って、これ買って」といつも甘えていたように思う。

子供ながらにどうしてそんなに堂々とわがままでいられるのだろう、と思っていた。ドキンちゃんはバイキンマンにおねだりし、何かを買ってもらい、バイキンマンのようにそれで世界をどうこうする気はなさそうだ。自分が楽しいことをしたい。という一点が行動の源泉になっていたように思う。


今思うと、ドキンちゃんのわがままは他者(バイキンマン/男性)に甘えつつ、振り回しつつ、且つ、その甘えに行く相手に存在意義(仕事)を与える存在でもあるように思う。
ドキンちゃんに甘えられることでバイキンマンは仕事を得ている。と思うのだ。バイキンマンはいつも困った様子で、しょうがないなぁという表情でその甘えに対応しているが、心の底から嫌々やっているようには見えない。

男は結局そういう生き物である気がするというか、自分一人が得をする為だけに何かをむきになってまで獲得したい気持ちは、内側に存在しないような気がする。常に他者の為、という構図がなければ動けない存在。それが男ではないかと思う。何故か知らないけど、ドキンちゃんみたいに自分の為に甘える。ということができない気がする。それは腕の関節が反対側には絶対に曲がらないのと同じように、男が持っている構造として決まっているような気さえ僕は最近している。

奔放な女性の、奔放な声、自由な笑顔、わがままな涙、に振り回され、振り回されない限り、動けない存在。それは言い換えると、自分ができないことを代わりにやってくれている存在。でもあると思う。男にも甘えたい気持ちが一切ない訳ではない。が、堂々とはできない。ので、せめて女性が自分に甘えてくることを許容することによって間接的に「甘え」の世界に片足を入れることはできる。それだけかなり癒されるのかもしれない。

言い換えると、男には自分が直接体験していないことであっても、「自分がその人の為に何かをした」という関係性があれば、自分が体験したことのように想像し、共感することができる存在なのかもしれない。

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