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劇場版ヴァイオレットエバーガーデンの感想

先週の木曜日に、渋谷の映画館まで観に行ってきた。
たまたまテレビをつけると、天気のニュースキャスターがこの映画を大好きだと言っていて気になっていた。SNSなどで観てきた人の感想を読むと、非常に興味そそられるものがあったので、僕は珍しく映画館まで足を運んだ。

観てから数日が経ち、感想がまとまってきたので、ここに書きたいと思う。

観終わった時の感想

エンドロールが終わり、周りが明るくなってまず思ったのは、
「エネルギーの量がすごい、なんて言ったらいいのか分からん。とりあえず、ヴァイオレットちゃん可愛い……」だった。
普通の映画の3倍くらいのエネルギーが凝縮されているとは思った。
でも、そのエネルギーの内容が何なのか、観終わった時は分からなかった。

数日経った今、エネルギーの内容について考えてみた。


感動ポイントの多い大胆なシナリオ構成


中盤から後半にかけて、感動的なシーンが非常に多い構成になっていた。
普通の映画の3~4倍くらい、泣かせる場面があったと思う。
僕の席の周りだけでも泣いている人がたくさんいた。涙をすする音がはっきりと聞こえてきて、椅子も揺れた。

僕も不覚にも泣いてしまった。
僕はこういう時(周りの人が泣いている時)程、泣くまいと我慢してしまうのだが、それでもやられてしまった。
声優の演技と絵の美しさと、音楽の迫力にノックアウトされた。

と、今書きながら思ったけれど、ちょっと力技感があると思った。
感動的な場面にはダイナミックなカメラワークと壮大な音楽と、声優さんの渾身の演技が必ずといっていいほどセットになっていた……。
が、そういうことを言うのは野暮に思えるくらい、全てのクオリティが素晴らしかった。
それくらい伝えたい思いがあったからこそ、常識的にはちょっと考えられない量のメッセージを詰め込むことだ出来たのだと思う。

当然、感動シーンが多いと作り手の負担は大きくなると思うし、作画も大変だろうし、予算と合わなくなったりしてしまうだろう。でも、この映画に関しては製作者全員が一丸になって作っているまとまりを感じた。きっと、この映画に携わった人たちはこの作品を誇りに思っていると思う。

(僕もアニメーションとか全然やったことないけど、こういう熱い作品の現場で仕事をしてみたいなぁと思ったりした。)

寡黙だった主人公の変わり方

この映画の主人公であるヴァイオレットは序盤は非常に無機質で仕事の話しかせず、近寄りがたい雰囲気を持っていた。
が、心の中では戦争で会えなくなってしまったある人のことを思っており、その人と再会したいと願っている。その思いは次第に強くなり、状況も変化していくのだが、その変わり方が非常に丁寧だった。
感情が高まっていく全てのステップを描写しつつ、説明的になっておらず、非常に高度な演出だったと思う。

それ故に、観る側としてはいつの間にか主人公は変化、成長しており、最後に人間的に大きく成長した主人公を見せつけられた僕は漠然と「エネルギーすごい」と感じたのだと思う。

特に、ヴァイオレットの職場の「社長」がいい味を出していたと思う。
彼は若くて孤独なヴァイオレットを心配しており、(心配の域を超えてちょっと好きかもしれないというアンニュイな感情……)度々言葉をかけるのだが、ヴァイオレットはいつも仕事のことか、会えない人のことの話しかしない。つまり、社長自身には全く興味がないことを明らかにしている。

社長と会話をするほど、ヴァイオレットは社長を男として見ていないことが明らかになる=会えない人のことが心から好き。を上手く表していると感じた。

社長がいることで、会えない人にどうしても会いたいという執念を持つヴァイオレットの感情の特異さが際立っているし、社長は視聴者的な目線でヴァイオレットを見ているので、見やすくなっている。
また、社長自身もそんなヴァイオレットを見ている内に、序盤から大人の象徴として描かれていた社長がさらなる大人へと成長する。という構造にもなっている。


空と海をダイナミックに行き来するカメラワークと音楽

空と海が本当に綺麗だった。
宮崎駿でも新海誠でも押井守でもない、クセのない空と海だと思った。
なんというか、非常に匿名的な海と空というか、京都アニメーションの風景。という感じがした。

宮崎駿が描く空を見ていると、空も演技をしているというか、この飛行機にはこの形の雲が必要!みたいな感じで描いていると思う。新海誠なんかはもはや空が中心というか、シナリオの暗示であったり、寡黙な主人公の感情を空に代弁させたりしている。今作の空と海はそういう仕事がなく、なんというか、女の子がプリクラを撮る時にたまたま空や海のフレームを選んだ。みたいな感じがした。
これはどういうことかというと、飽くまでヴァイオレットのお話である。ということを意味していると思う。

人物と世界観が対等なようで対等ではない構造の映画。
飽くまでヴァイオレットが孤独で、悲しみ、そして成長する。
その周囲に綺麗な海や空があれば最高だよね。という感じの描き方で、僕にとっては非常に新鮮だった。

空や海はただの空と海で、ヴァイオレットという人物がいて、ヴァイオレットの物語があるからこそ、空も海もカメラワークがダイナミックになり、観ている側に大きなエネルギーを感じさせるのだと思う。そのエネルギーは全部大元はヴァイオレットなのかもしれない。


女神的な主人公の美しさ

ヴァイオレットが一番初めに登場した時のカットがとても美しかった。
これを見た瞬間に僕は「あ、これはこの子ための映画だ。と思った。この子を中心にこの映画の全ては回っている」と。

いわゆる美少女と言ってもいい若い女の子なのだけど、露出は少なく無表情だが、どこか遠い目をしていて、こちらに何も生き生きした印象を与えないことが却って興味を沸かせる……という感じがした。

正直、他のキャラクターに対して、作画のクオリティがヴァイオレットだけ異常に高く、他のキャラクターが可愛そうな気もした。
初めに登場した場面だけが特に綺麗なのかと思っていたら、その後もずっと高いクオリティを維持していた。
長い髪を後ろで二つにまとめているのだが、そのまとめられた髪の作画も綺麗だった。

ここまで美しいと(気合の入った作画を見ていると)、これが一つの宗教なのではないかという気すらした。
現実には存在しないデフォルメされた美しい人間の姿をした生物を描き、それを鑑賞したい。
その生物が生み出す物語に浸りたい。
それによって日常から抜け出したい。
これは宗教に近いのかもしれない。

アイドルや歌手の笑顔に癒されて「明日も頑張ろう」と思えるように、美しいヴァイオレットから現実を生きようと思う力を得ようとする人も多いのではないかと思う。

ここで大事なのは、中心にあるのはヴァイオレットではなく、それを作り、鑑賞しているのが結局は人間同士である。という点だと思う。
そういう意味では絶対的な神はいないし、架空の人物であるヴァイオレットがいくら現実にいる、心の中にいるように感じられたとしても、それを作った人はエンドロールに出てくる「絵を描くのを仕事にしている人」でしかない。
でも、アニメーションという概念そのものが宗教になるというか、ヴァイオレットエバーガーデンという作品そのものが生きがいみたいになることはあると思う。


さいごに

やっぱり「ヴァイオレット、すごかったなぁ」と思う。
女は強し。というか、ヴァイオレットによって主だった男性の登場人物3人は大きく成長したし、単純に可愛いと美しいだけでなく、他者の人生を揺るがす力を持つ主人公だなぁと思う。
とても良い映画でした。

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