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コードレス掃除機革命

コードレス掃除機をアマゾンで買って二週間程経った。
抜群に使いやすく、床が常に綺麗で最高である。

2014年に上京してからつい先月まで巻き取り式の紙パック掃除機をずっと使っていたが、もっと早くコードレスにすれば良かったと思っている。

アイリスオーヤマの最も安価なモデルにしたが、片手で軽くて手軽に掃除できて、朝と夜に二回ずつかけている。
床に物を置く癖もなくなり、狭いはずなのに広くなった感じすらする。


巻き取り式の頃は「掃除機かけなければヤバいですカウントダウン」のようなものが常に意識の水面下で行われていた。
あれは本体が重く、押入れにしまってあるので出すのが面倒で、休みの日の朝くらいしかやる気が起きない。それで一応回せていたが、やはり床に髪の毛やよく分からない小さなごみが落ちているのを見て見ぬフリをして過ごしていた。今になって思うとそれらは微妙にストレスだったのだと思う。
それに比べコードレスは本体自体がコンパクトで、充電器もないタイプなので壁にそっと立てかけてあるだけで、全然圧迫感がない。最高である。


とまぁ、革命が起きたのだが、それは加齢によるものが大きいと思う。
31歳になると20代と違う訳で、何かこう「分かりやすい清潔感」みたいなのがないとヤバいことになると、自分に対して感じている。
昨日の花粉症のエッセイでも書いたけれど、自分がアトピーであることで、時々顔が赤くなり社会的な信用のようなもの、まともさのようなものを失っていると感じるので、それを分かりやすく補填するグッズとして、コードレス掃除機でせめて自分の家の床だけでも常に綺麗にしようとしたくて浮上したように思う。

これらはルッキズムを発端にしている行動だと思う。世の中がある程度そういう風にして回っているのも事実だと思うし、世の中の基準を満たす事で自分が満たされていることも事実である。

さっきまたアマゾンで買ったヘアオイルというものが届いた。(表参道などのお洒落な販売店に行く勇気はない。)試しにつけたが、髪の毛がサラサラになって、ツヤが出てなんか知らんけど清潔「感」が増した気がする。

そういうことを大事だと思っている意識の表れでもあると考えれば、清潔感というのは考え方の現れともとれて信用に繋がるのかもしれない。
しかし、それらがあまりにも台頭してしまうと、清潔感を出したくても出せない人(顔にアトピーがある人など)がどうなってしまうのか気になる。
アトピーでなくても、食生活や睡眠に気を遣っていても肌荒れがしやすい体質の人はいる。金属アレルギーでネックレスや指輪をつけられない人もいる。
化粧品やアパレルの広告を見ると、それらを完全にクリアした完璧なモデルが必ず配置されているが、美しさの見つけ方はそれだけではない。
やはり、人間はまだ美しくない状態からそうなろうとする行動や意思が美しいのであって、それを観る側の人間が想像すべきはその過程だと思う。
結果、美しくなり、綺麗になったのを見て綺麗と思うのも良いけど、「私はこうなりたい」と思って行動しているすべての人が美しいと僕は思う。

であれば、コードレス掃除機でなくて巻き取り式で続ければいいじゃんとなるのだが、まぁそこは許して欲しい。軽くて使いやすいから。笑


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