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「苦しい」ってちゃんと言える?

久しぶりに書くことは ここ数ヶ月の自分のこと


実を言うと ここ約4ヶ月ほどの間 精神的な疲労によりSNS離れをしていた

もちろん文章を書くこともしていないし 中国語も課題を最低限こなすだけで能動的な学習は一切していない

無理しない

これを徹底した


5月の半ばを過ぎた頃 台灣でも新型コロナウィルスの市中感染が拡大し 我々の生活も一変した

学校はオンラインに切り替わり 娘の幼稚園も休園 街は事実上のロックダウンとなった

その頃から精神状態が目に見えて悪化した

全てに対して否定的 悲観的になり自分を保つのが難しかった

自宅隔離のような生活の中 SNSは唯一外と繋がりを持つツールだった

しかしあえてそれを断つことにした

今までそうしたいと思ったことはあってもできなかったのに 今回は自分でも驚くほど簡単にできた


特に更新頻度の高かったインスタグラムの投稿が途絶えると 数人の友人からメッセージをもらった


うまく返す言葉を見つけられなくて そのままにした

こんなことも初めてだ 基本的にはメッセージの返信は早い方だと思うから

翌日も返事の内容を考えたりしたけど 

「元気にしてる」 と適当に返すのも

「実はしんどくて」 と打ち明けるのも

納得できなかった

心配して欲しいわけでも 励まして欲しいわけでもなかったし ましてや共感して欲しいわけでもなかった

だから一度返信した後の相手の反応を受け取るのが嫌だったんだと思う

定型文みたいに交わす 「落ち着いたら会おう」みたいな会話もしたくないし 相手にもさせたくなかった


私は昔から自分が辛いということを口に出そうとすると 喉がつまるタイプだった

言葉の山が崩れ落ちて バラバラの文字が散らばる 何も言えなくなって それと引き換えに涙が溢れ出てしまう

言いたいのに言えなくて 苦しくて 言ってしまえば楽になるはずなのに

学生時代の友人に言われたことがある

「本当に辛いなら 言わなきゃ誰も助けてくれないよ あなたは平気なんだって思っちゃうから」 と

当時なんとなくクラスのみんなが言葉を交わしてくれなくなったことがあった

でも幸か不幸か 私はそういう空気に慣れていた だから辛いと言っても助けてもらえないって 聞き入れてもらえないって 諦めていた 去る者は追わないと決めたのもこの頃だった

思春期と呼ばれる多感な時期

青春らしい思い出ももちろんたくさんあるが その裏には 苦い思い出もしっかり残っている

辛いって言って みんなそうだよ って言われるのも嫌だった

みんなそうだと言われれば自分の苦しみが軽くなるのか そんなわけないし なんだか自分が苦しんでいるのが嘘のことみたいにされる気がして

でもこの苦しみは嘘じゃない 他人や他の状況と比べてランク付けする必要もない 今苦しい 自分がそう感じていることが事実なのに


いつの間にか どうやって吐き出せばいいのかわからなくなっていたんだろう

大好きだった仕事を辞める時にも 自分が辛いと思うこと 何に苦しんで辞めようとしているのかを周りに言えなかった 「色々しんどいから」なんて笑いながら言ったりして 「本当しんどいよね」 なんて相手に言わせて 無意味な会話は何度もしたけど この時もまた 崩れ落ちて散らばった文字を言葉に仕上げられないまま 胸の内に確かにあったはずの苦しみは 意思のない涙に遮られた


そして今回のこともうまく処理できないでいた

一人で抱えておくにも限界があると感じ 自分と向き合うことをやめた 日々動画を見漁ったりして現実逃避 家事や娘のことは何も考えないルーティーンでこなした

あまり好きではなかった料理の時間も スマホから流れる音楽をお供にすると いつの間にか苦ではなくなって その時間さえも無心のルーティーン作業になった

感情のはたらきを最低限にした日々 人生でこんなに顔の筋肉を休めたことはないだろう


これが良かったのかどうか正直わからない


でもしばらくそんな日々を過ごして なんとなく今なら友人たちに返事ができるかも と思う日があった 少しずつ 言葉を選んで自分なりに心配をかけたことへの謝罪と感謝を素直に伝えた

プレッシャーをかけまいとして 待っていてくれたこと コロナ関連以外の共通の話題を見つけようと寄り添ってくれたこと SNSだけの繋がりじゃないと感じられたこと 

申し訳ないって気持ちでいっぱいだったけど ありがとうって気持ちの方が何倍も強くて こんなに素直にありがとうって言えることに戸惑うほど


結局 今後同じようなことがあったら 苦しいと言えるか ちゃんと言葉にして吐き出せるかはわからない

だけどもし誰かが苦しいって言ってくれたときは 全力で認める 他の誰かや何かと比べたりしない あなたが苦しんでいることをちゃんと事実として認めることはできる


この機会に知れた大切なこと シンプルなことだけど 感情を休めていたせいか シンプルなことがものすごく沁みる気がする


完全復活!!と言うにはまだ道半ばのようにも思うし もしかしたらこれを機に人との付き合い方やSNSの活用方法も変わっていくのかもしれない


確実に言えることは 今少しづつ前を見て進もうとしているということ




*余談*

この期間中 寄り添ってくれた友人が言ってくれたひと言

「あなたの書く文章が好き」

これが自分が思っている以上に嬉しかったらしい

嬉しかったのはその瞬間だけでない 目が覚めてもなお その瞬間の喜びを忘れていなかった

だからその日 ありがとうと言えて良かった

ごめん ではなく ありがとうと素直に言えた

心底嬉しかったんだろう 普段は恥ずかしくて言えないような あまりにもシンプルな言葉も隠しきれないほど


もう一度言いたい あの時はありがとう

 


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