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本と人生

よく、「ずっと本読んでるよね」と言われる。

電車の中では当たり前。
授業の合間の10分間だけでも、鞄から本を取り出し目一杯読む。
みんなが周りの席の子たちと楽しそうに談笑している中、私は一人本の世界に入り込む。いや、心情的には「逃げ込む」の方が近いかもしれない。

小学生の頃からそうだった。
20分休みやお昼休み、私は図書室に行って本を読んでいた。
休み時間に飽き足らず、毎週と言っていいくらい何かしら借りていた。好きなシリーズは「火の鳥文庫」。ご存じの方はおられるだろうか……?歴史上の人物を取り上げた小説、いわゆる伝記のシリーズである。表紙には黄色い縁取りがなされており、真ん中に人物のイラストが描かれていた。織田信長に豊臣秀吉はもちろんのこと、アインシュタインや植村直己もあった気がする。私のお気に入りの表紙は聖徳太子。なぜか記憶の中では青白い聖徳太子の顔しか出てこないのだけど、その静謐な感じが好きだったのだ。
今改めて調べてみると、表紙のデザイン含めめちゃくちゃリニューアルされていた。漫画チックになっていて、なんだかぱっと目を引くデザインになっているらしい。
リニューアルなんて当たり前か。なんと言ったって、私が手に取っていたのは10年以上前。とんでもなく昔だ。今対象年齢の子たちが、まだ生まれてもいなかった頃の話だ。そんなに昔なのか。そりゃあ、流行なんて変わっていくし、それに応じて絵柄やデザインも変化していくだろう。
それでも、当時の火の鳥文庫の面影がかなり変わってしまっていて、今ちょっと感傷に浸ってしまっている。

閑話休題。

胸張って「読書家です」と言えるほどではないが、本を手に取る人が少なくなってきた昨今、人並み以上には本を読んできたのではないかと自負している。
読むジャンルといったら、大きく言えば小説だ。新書を読んできた時期もあったが、結局のところ物語に落ち着いている。今はまだ、知らなかった事実やためになる方法論よりも、物語のスリルや感動を求めてしまう。小説に登場する人物の人生の一部分を一緒に体感させてもらう中で、現れた困難に驚いたり、衝撃の事実に思わずうなったりする。そして、新たな考え方や生き方を学ばせてもらう。

私が本を読む理由には、「たくさんの人の生き様を知りたい」というのが根底にあると思っている。

小学生の頃は伝記を通じて、実際に生きていた人の一生を追っていた。気になった人の生き様は何回も何回も読み返し、理解しようとしたのを覚えている。結局織田信長と卑弥呼だけは、(こんなことせんでも……)という思いが消えなかったところがあった。今読み返せば、また受け止め方も変わってくるのだろうか。
そして中学生になってからは、ずっと現代小説を読むようになった。宮部みゆきさんの作品は今でもお気に入りである。登場人物全員の過去を考えてきたのではないだろうかと考えてしまうくらい、人物の考え方を自然に明確に書かれている。私はよくキャラクターの誰かに入り込んで世界に溶け込むような読書をしているのだが、宮部みゆきさんの作品だと一瞬で同化してしまった気になれる。凶悪な殺人犯ですら視点を合わせてしまい、彼の行動を理解してしまう。めちゃくちゃ入り込んで、気づいたら降りる駅を乗り過ごしてしまっていて呆然とする、なんて何回もやらかした。

誰かの人生を知りたい。生き様を理解したい。
なぜか、そういう思いにとらわれている。

私のもっぱらの悩みは、「人付き合いの悪さ」である。
びっくりするくらい話が変わってしまい申し訳ない。
私は、人付き合いがとにかく悪い。
飲み会や遊びも誘われない限り極力行かないし、LINEで常におしゃべりするような相手もいない。Instagramも、部活動のなかであまりに話について行けなくなったため始めてみたものの、更新はおろかろくにアプリすら開かぬようになってしまった。
ここまで来ると、めんどくさがりで人に興味がない、かなり冷たい人間だと思われるかもしれない。いや、実際そうだと思う。人付き合いの悪さとかで収めてもいい話なのだろうか……?
いったんそこは置いといて、とにかく私は人と接する機会を大きく削って生きてきている。

なのに、人の人生というものを知りたい、という気持ちに駆られる。
どのように生きるべきなのか。
どのように生きるのが正解なのか。
みんな、どのように生きていくのか。
きっとそれを、多くの人は人付き合いを通して知るのだろう。おしゃべりだったりお出かけだったりデートだったり、とにかく人と実際に対面し、話し合うことで身につけていくのだろう。
だけど私は、それを最初から本で補おうとした……のだと思う。
本の中のキャラクターを大切に思い、彼らの姿を見続ける。物理的な距離はおろか実際に会うことすらできないのだけど、彼らの生きる姿を追い続ける中で、私は自分の知りたいことを学ぼうとしている気がする。
一方通行な思いでいい。
相手に伝わる伝わらないは興味がない。
ただ、人の生きていく姿を見るのはすごく興味がある。
こんなわがままな自分に、本は恰好の題材だった。
……いや、もしかしたら、本を読んでいくうちにそうなったのかもしれない。書いていくうちに今、そんな風にも思い始めた。ややこしいな。本を読んでいくうちに、自分から人付き合いを切り捨てていったのだろうか。だとしたら、小学生の頃に真っ当な道から外れてしまったような気がしてならない……。

どちらが先かなんて、まさにニワトリと卵の話だけど、
とりあえず自分の本を読む理由は、「誰かの生き様を味わいたいから」である、と思っている。
思いっきりコミュ障なだけに、読書は大切にしていきたい一つのツールなのである。

自分のことについて長々と語ってみたくてごちゃごちゃとまとまりのない文章を書いていたら、淹れたてだったコーヒーが冷めてしまっていた。残念。頑張って飲み干すことにしよう。

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