見出し画像

場面緘黙とZOOM・ビデオ通話

場面緘黙だと、Zoomなどでのビデオ通話・テレワークmtgがしんどい人も多いように思う。たとえ自宅など安心できる場所に身を置いていても、画面越しでも、対面+会話だ。homeにいて、オンラインでawayとつながるとき、私は私の場面緘黙ともつながってしまう。

私は、もともと電話もビデオ通話もできれば避けたい程苦手だ(電話やテレ通話だと、自分の声を聞かれる・姿や表情を見られるしんどさが強くなる感じがする)。

場面緘黙でも、人によっては電話やビデオ通話の方が対面よりも話しやすいという人もいる。ビデオ通話では、アバターなどで顔を隠せば話せる人もいるかもしれない。遠隔であること=リアルにその場にいないこと(身体はhomeにある)は、たとえ画面越しに症状が出ていたとしても、少し気を楽にしてくれているはずだ。

あとは、用件を言う、プレゼンをする、ブレストする、面接する、インタビューを受ける、自分の気持ちや意見を伝える、雑談する、オンライン当事者会、飲み会など話の相手や目的、形式、人数、慣れなどで、話せる度合いは変わってくると思う。ビデオ通話だから話しにくいのか?仕事のmtgだから話しにくいのか?雑談だから話しにくいのか?初めてのやり方、あるいは慣れないメンバーだから話しにくいのか?など意識してみると、リアルの場合とあまり変わらない要素(=話せなくなる要素)も大きい。

ビデオ通話特有の話しにくさがあるとしたら、自分の表情や声が、相手にどのように見え聞こえているのか分かりにくい不安があるように思う。また、お互い対面よりも細かな表情が読み取りにくく、話すタイミングが測りにくいなどの理由で緊張するというのもありそうだ。ほんの小さくうなずいている仕草が、画面越しには見えていないのではないかと心配になるし、そうなると毎回のうなずきや相槌、応答も声に出した方がよいような気がしてきて、気を張り喉が詰まる。ずっと表情を見られているような緊張感もある。

私の場合だが、話せるようになった今は電話やビデオ通話より直接会話する方が良い。相手の表情や場全体の雰囲気、言葉のニュアンスなどが確実に感じられて安心感が持てる。

Zoom会議では、声でのうなずき、(ルールにはないが自主的な)挙手など、コミュニケーションが巧みな人の方が、やはりうまく話せるようだ。画面越しには上半身しか映らず、その人の身体全体が物語るものが見えない。場面緘黙の人の微細な表情の変化や身体のこわばり具合、ほんの小さなうなずき、ちょっとした動きなどは、読み取ってもらえないことが多いのかもしれない。リアルな対面の場では、場面緘黙の人のそういったノンバーバル(非言語)な表現を見つけて接してくれていた人もいたはずだし、その方がお互い接しやすい点も多いように思う。コミュニケーションはバーバルな要素だけではないから、自分も相手も無意識のうちに非言語で通じ合っている部分があるはずだ。

「皆が同じ不安を抱えているからこそ、リアルの雑談が大事」「同僚とおしゃべりできなくてつらい」と聞くと、場面緘黙者の苦しみの本質は今後もとくに変わらないのかという気持ちになる。ちょっとした不満や愚痴を吐き出し合うことで安心するという効能があり、人間にそれが必要というのは分かるけれど、場面緘黙などの理由でそれができない人もいる。オンラインでの関わり方、学び方、働き方による恩恵もそれなりにあると思うし、これまでになかった選択肢が増えることは場面緘黙の人を生きやすくしてくれるとは思うけれど、根本解決ではない。むしろ場面緘黙であっても、話せなくても、あるいは話さなくとも、他者とリアルで関わり合うことができる場所をつくっていくことが必要なのかもしれない。場面緘黙で話せずとも、人は人と関わりたいという本能がある。また、話せなくても関われる安心感から、逆説的に話せるようになる可能性もあると思う。

また、場面緘黙児が長時間学校で過ごすことで緊張し神経をすり減らしていることを考えると、自宅でオンライン授業が受けられるのは、かなり肩の荷が降りるとは思う。話せないことで、休み時間など自由に過ごす時間が拷問のように感じられ、日々自己嫌悪が募ってしまう場合も少なくないと思うからだ(悲しいことに、からかいやいじめの標的にされてしまっている場合もあるし、理不尽な対応や叱責に耐え続けている人もいる。それらが、二次症状や後遺症につながることもある)。それは、仕事や働き方についても言える。学校や職場は、授業や業務のためだけでなく、人と関わるためにも必要不可欠な場だと考える人もいるのだが、その捉え方は場面緘黙の人にとってはしんどいものだ。ひとりひとり自分に合った方法を選べる選択肢のひとつとしてオンラインがあり、現場に行くこと・居ることの重要性や必要性が今より薄れることを期待したい。話せるようになる過程には実際の人との関わりも不可欠だと感じるが、場面緘黙の人が長時間その場(場面緘黙について周囲の理解がないことも多い)にいなければならないことで生まれる苦しみが軽減されることを願う。

今後も、場面緘黙の人たちならではの、オンライン=間接的対面における交流について考えていきたい(結果的に、コロナ禍における人々の関わり方にも目的外使用的に役立てるかもしれない)。





皆さまからのサポートをいただけましたら幸いです。 今後の活動資金として活用いたします。