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大壹神楽闇夜 1章 倭 降り立つ闇1
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「ほれほれ。よく見るのじゃ。」
と、神楽は目を広げて吼玖利に見せた。
「これこれ、そんなかわゆい顔を近づけるで無い。」
「良いから見るのじゃ。」
「何を見れば良いのじゃ ?」
「我の目じゃ。」
「目 ?」
「そうじゃ。よーく見るんじゃぞ。」
と、更に近づける。
「どうじゃ。両目の色が違うであろう。」
「おお、本間じゃ。色が違うぞ。」
と、驚いた表情で神楽の瞳をじっと見やる。
「そうであろう。我が特別じゃぁ言う証じゃ。」
そう言って神楽はケラケラと笑った。吼玖利はジッと瞳を見やり’本間じゃ、どうなっとるんじゃ ?’と、言いながらペロリと神楽の鼻を舐めた。
「全く、呆れるのう。」
其を見やっている水豆菜が言った。
「全くじゃ。しかし吼玖利も吼玖利じゃ。ようも何回も知らん振りして聴けるもんじゃ。」
榊が言う。
「あれは岐頭秘奥義聞いてる振りじゃな。」
岐頭とは女達が使う技の名称である。
「否、知らん振りかもしれんぞ。」
「真逆、吼玖利が会得しておったとはな。」
「全く、侮れん娘じゃ。」
と、二人は神楽と吼玖利のやりとりを見遣りながら花水(はなすい)を啜った。
まぁ、この二人のやり取りも側から見ている伊都瀬と香久耶にとっては何回目であろうと言う話である。
「全く。其方がいらん事を言うからじゃ。」
鬱陶しそうに伊都瀬が言った。かく言う伊都瀬も出国までの道中で既に一日二回、多い時で三、四回はこの話を聞かされている。
「我はホンマの事を言うただけじゃ。」
素知らぬ顔で香久耶が言った。既に伊都瀬のこの言葉も何十回と聞いている。
「全く何がかわゆいじゃ。かわゆいが聞いて呆れとるわ。」
「何を言うておる。かわゆいではないか。伊都瀬もよく見るのじゃ。」
と、吼玖利は神楽の顔を伊都瀬の顔に近づけ見せた。勿論このやり取りも何十回目である。まぁ、それだけ神楽にとっては特別な事であったと言うよりは、只単に無駄に自慢しているだけである。其れに、両目の色が違うからと言って特別である何て事はない。否、そもそも、卑国の民に特別などと言う物は無い。其れは日三子も星三子も同様である。だから、神楽は特別、特別とは言っているが、そもそもの意味を理解していない。
「其れより今日はやけに時間が掛かるのぅ。」
そう言って香久耶は城門の中をチロリと見やった。
「仕方無かろう。出雲の出国じゃ時間は掛かろうぞ。」
神楽が言った。この出雲の出国と言うのは分かり易く言うと日本の首都と言う意味であるが、八重御国の首都が出国にある訳ではない。八重御国の首都は迂駕耶の安岐国にある。では、首都が二つもあるのかと言うとそうでは無い。首都は安岐国にあるのだが迂駕耶と出雲は別の大陸である為、効率よく統治する為に出国に第二の拠点を置いているのだ。これにより出雲の人々の交流場所が必然的に出国に集中してしまう事になった。其に加え、毎年十月に行われる一月朝廷の場所でもある為、文化の中心地として最も華やいだ場所となっている。だから、八重御国の首都が出国なのだと勘違いしている人は非常に多い。
「そんな事は分かっておる。」
ブスッと香久耶が言った。
「まぁ、確かに今回はやけに時間が掛かるのぅ。」
そして、神楽達は卑国を出発して一月。無事出国に到着していた。
この最も華やいだ出国ではあるが、国としての明確な境界線はない。
一つ山を超え、そしてもう一つ。其を過ぎれば自然と末国に入る。そのまま末国の町で休む事もあれば、今回の様に外れの道をひたすら進む時もある。只、末国にも境界線と言う物が存在しないので外れの道を進んでいる時は自分がどこにいるのかが曖昧となる。そうなると目印となる物が役に立つのだが、これが、常に存在しているとは限らない。任意で破壊されたり、災害で無くなったり、形が変わったりと中々に厄介である。特に神楽や吼玖利が目印としているのは、その時そこにいた鳥や動物なので全く役に立たないのだ。その為、伊都瀬達は神楽や吼玖利の様に明確な目印を持てない者を先導者として選ばない様にしている。
道という道がある訳でもなく。道案内が書かれているでもない外れの道は一つ間違えれば末国を一周して二つ目の山に帰ってくる事になる。とは言え、その風景をしっかりと覚えておけば、例え間違えても間違いに気づきやすい。
だが、間違えずに進めばやがて舗装された道が神楽たちを出迎える。道は舗装されていても未だ周りは鬱蒼と生茂る茂みである。其から其れを更に進むとやがて納屋の様な家の様な建物がチラホラと姿を見せ始める。其処から更に進むと田畑が一面に広がり始め、何処かの集落にたどり着く。集落に辿り着けば其処が何処かの国に入ったという事が分かる。知っている者はその風景や方言で其処が何処の国かが分かる。方角の認識力が強い者であれば、自分の目指す国についた事が分かるとい言う事である。
其の何れにも当てはまらぬ者であっても、集落には其の国の印が何処かに刻まれている。入り口であったり、旗であったり其は様々だが分かり難い所には記していないので流石に見つける事が出来る。
だが、出国は少し違う。出国だけは誰が来ても此処が出国だと分かるのだ。広大に広がる田畑の先に僅かに壁が見える。出国の町全体を囲む世界最大級の長さを誇る第一城壁である。国の境界線は存在しないが街を囲む城壁は存在感たっぷりにその瞳に飛び込んで来るのだ。
高さ十メートル、長さ百キロ、材質は全て木材である。建設期間は三年だと豪語しているが当然三年やそこらで出来る代物ではない。実際は半世紀、否、一世紀近くは掛かっている。だから、間近で見やれば老朽化している部分も多い。所々改修している箇所もあるが、大きすぎる為改修作業が追いついていないのが辛い所である。
この立派な城壁には東西南北に格一つの第一城門があり、この第一城門は日が落ちるまで解放されている。勿論入国許可を取る必要はない。
門を潜ると華やいだ町が目前に広がる。派手に彩色された建物、山頂から螺旋状に作られた巨大水路、巨大水路に掛かった朱色の橋、宿屋、工芸品屋に飯屋、茶屋に賭場。演劇場とどれを取っても他国では味わえないと言っても過言ではない程、その豪華さは桁外れで流石は出雲一の国と言った所である。
その町中を更に先に進んだその先に新たな壁が行手を阻む。宮殿を守る第二城壁である。勿論城壁の中に更に城壁を作っているのは出国だけである。八重御国の安岐国でさへ城壁の中に城壁は設けていない。寧ろ町全体を囲む城壁など何処の国にも存在すらしていないのだ。此れには、理由も何も八重御国の統一以降、戦と言う戦が起こっていないのだから作る必要がなかったのだ。だから、この城壁は出国を治める把貞乃由肢乃神(にぎさだのゆえ)の祖父が作らせた趣味の様な物である。其れでも、この馬鹿げた城壁のお陰で一月朝廷が立派な物に見え、人が集まり華やいでいるのだから強ち無駄では無かったといえる。
そして、此の第二城壁の門は第一城壁の門と違い自由に出入りする事は出来ない。この先に有るのが神が住む宮殿や、貴族の住居、一月朝廷の為にやって来た格神や貴族、豪族等が寝泊りする寝所があるのだから致し方がない。そして、出国最大の見世物である大神殿、神矢倉(かむやぐら)がある場所でもある。
神楽達はこの第二城門で足止めを食っているのだが此れは異例である。本来なら朝廷の為に訪問している伊都瀬達を待たせるなんて事はない。到着と同時に門が開きそのまま寝所迄行きゴロンである。
皆長旅で疲れているのだから早く休みたい。だが、既に二刻は待たされている。神楽も吼玖利と戯れ合ってはいるが、早く賭場に行きたくて仕方がない。其れにゾロゾロと付いて来た三千人の三子達も既に退屈の限界を迎えている。三子達は地べたに寝そべったり、銅鏡を取り出し化粧を直したり、男に色目を使ったり、無駄な話に花を咲かせたり、文句を言ったりと煩くなって来た。何より町中で三千人もの女達に立ち往生されても迷惑なだけである。
「あらまぁ、ブツブツ言い始めてきおったぞ。」
神楽に膝枕をしてやりながら吼玖利が言った。二人は間近の木陰に入りゆったりと寛いでいる。勿論助菜山と吼玖利の愛牛力太も木陰でグッタリである。
「彼奴らは辛抱が足らんのじゃ。」
と、言った神楽を伊都瀬はジィッと見やっている。何か言いたいのだが面倒臭い。それに既に皆のまとまりは無いに近い。水豆菜と榊は門兵に何度も花水のお替りをせがみに行っているし、日梨香と馬木羅も木陰で寝そべっている。香久耶は銅鏡をジッと見やりアレコレ銅鏡を動かし、自分の顔を左右上下に忙しなく動かしている。此れは銅鏡の映りが悪いからではない。自分が一番可愛く見える角度を模索しているのだ。
そんな香久耶を見やり伊都瀬は昔を思い出す。そう、昔は銅鏡を見るのが楽しくて仕方がなかった。其れこそ一日中見ていても飽きなかった。顔の角度を変え、銅鏡を上下左右に動かし…。
「ハァァ…。」
と、溜息一つ。今は化粧をする時以外は見たくもない代物である。伊都瀬はチロチロ、チロチロと香久耶を見やりニンマリと笑みを浮かべる。
「今のうちじゃ。」
と、ボソリ。香久耶は気付かず鼻歌まじりでジッと銅鏡に映る自分を見やっている。其れは何とも楽しげな顔でありこの先の不安など何処ふく風である。水豆菜も榊も日梨香も馬木羅も吼玖利に神楽も…。後ろに控えている三子達も皆長閑である。
「危機感のない奴らじゃ。」
とは言う物の既に戦が終わり数百年。伊都瀬自身も戦の経験などない。否、誰も戦の経験など無い。危機感を持てと言っても、長く続く平和の中でどうすれば良いのか ? 結局事が起こらなければ気持ちの切り替えなど出来ないのだ。だから、あるとすれば不安。此の先どうなるのか ? 平和が無くなるのか ? 自分達は奴婢にされるのか ? そもそも本当に秦国が攻めて来るのか ? 殆ど眉唾の様な話は只、只混乱を招くだけなのである。
そんな中で一つ大きな変化があった。其れは、香久耶の神楽離れである。香久耶がこの世に生を受けて十三年。神楽はずっと香久耶を守ってきた。香久耶が強くならぬ様に、香久耶が危険な目に遭わぬ様にだ。
香久耶が産まれた年に神楽は稚子(ちこ)に預けられた。稚子とは卑国の子供が集団生活を送る場所である。
卑国の子供は五才になると稚子に預けられ二十才の年になるまで其処で集団生活をする事になる。其処で団結力を強め、岐頭を教え込まれるのである。そしてその稚子を管理しているのが奥子(おくこ)である。
香久耶が稚子に預けられた時、香久耶は五才、神楽は十才である。十才と言えばまだまだ子供も子供、大人に敵うはずなど無い年である。だが、其れでも神楽は闘争本能剥き出しで香久耶の修行を妨害しに来ていた。
奥子の三子も初めは口で叱る程度であったが、日増しに其れが強くなっていくと奥子の三子も手を出さざるをえなくなって行った。だが、香久耶を守る一心で強さを求め続ける神楽は何とも無駄に強く、華咲に似て凶暴な所があったので常に四五人で押さえつけては奥子の長である華咲に引き渡していた。その度に神楽は華咲にボコボコにされていたのだが、其れで聞く様な娘ではない。だから仕方なく伊都瀬がこっそりと毎日香久耶に稽古をつける様になった。
卑国にとって星三子とは次の日三子になる大切な娘である。大切だからと言って過保護にする訳ではない。そう、大切の意味が違うのだ。星三子は日三子になる為に強くならなければいけない。強くなり危険な任務をこなし、戦場で一人でも多くの敵を討ちとる英雄にならなければいけないのだ。
その為には稽古は不可欠である。だが、神楽はその稽古の邪魔をしに来るのだ。
理由は分かっている。
強く成ればそれ相応の任務に行かされるからだ。
弱くても其れ相応の任務には行かなくてはならない。
まぁ、其れも結局は神楽が先回りで任務を終わらせ、香久耶達は何もせずに帰って来ていた。こんな馬鹿げた事が出来るのも神楽が強いからである。強いから神楽の言葉は真となり香久耶はずっと神楽の強さの中にいたのだ。
と、伊都瀬は左腕を見やった。六年前に神楽に噛みつかれた痕がまだ残っている。
凶暴な娘…。
されど国の宝である。吼玖利もそうだが十八で水三子になれた三子は久しくいなかった。しかも神楽は水三子の中でも上級職である万人隊長を務め吼玖利は千人隊長を務めている。此の強き二人は稚子の三子達にとって憧れであり、英雄である。現に神楽を中心とした稚子の団結力は異様な程で、そんな神楽を姉に持つ香久耶にとって神楽は憧れであり頼れる姉であった。
其のおかげで香久耶は華咲や伊都瀬の言う事よりも神楽の言う事を重視する様になっていたのだが、秦国との戦の噂がチラホラと出始めた頃ぐらいから少しずつ変化が見え始めて来たのだ。香久耶の感じた不安が星三子としての自覚を持たせたのかどうかは分からないが、卑国を立つ前に香久耶は伊都瀬に相談を持ち掛けた。
’お姉ちゃん離れをしたい。’真剣な面持ちで香久耶は言った。
その相談に伊都瀬は真剣な表情で’諦めよ’と答えた。
神楽離れをしたいと言った香久耶の気持ちは嬉しい限りではある。が、神楽が其れを快く受け入れるとは思えない。何しろ神楽は驚くほど頑固なのだ。だからと言って香久耶の気持ちを無碍にする訳にもいかない。だから、伊都瀬は華咲と相談して折りを見て神楽に話すと言ったのだが、香久耶は自分から伝えると言って聞かなかった。頑固な所は神楽とソックリと言う事である。
そして、結果は聞き入れて貰えず。其れから暫く香久耶はドヨンとしていた。
伊都瀬は’ほら、言わんこっちゃない’と思ったが、そんな事を言えば更に香久耶が落ち込みそうだったので、其れとなく宥めたのだが、その時、其方が弱いのは神楽の所為ではない。其方が弱いのは其方が弱いからじゃ。とか、其方はお頭の良い日三子になれば良いとか、神楽と同じ事を言ったので香久耶は更に落ち込んだ。
あれから一月、香久耶は嘘のようにケロットしている。
「ケロケロ、ケロケロ、其方は蛙か。」
明後日の方を見遣りながら伊都瀬が言った。
「ケロケロ ?」
と、手続きから戻って来た草三子の奈木乃が首を傾げた。
「…。な、何でも無い。それより遅かったでは無いか。」
伊都瀬が言うと奈木乃はムスッとした表情で’奴らは分かっておらん’と、言った。
「? 何じゃ。何を怒っておる。」
「我等に陣をはれ言うんじゃ。」
「陣を ?」
と、伊都瀬は首を傾げた。
「そうじゃ。いつもは皆中に入れるんじゃ。じゃが、今日は駄目じゃぁ言うんじゃ。」
「ほう。其れは又どう言う事じゃ ?」
「寝所に空きがないとか言いよる。」
「空きが ?」
「そうじゃ。我等に野宿せぇ言いよるから我は抗議しておったんじゃ。」
「其れは又難ぎじゃのう。しかし、我等に陣をはれとは如何なことじゃ。」
と、伊都瀬は牛車から降りると奈木乃を連れて門の中に入って行った。
さて、中に入ると憔悴した五六人の兵士と大老の姿があった。伊都瀬は大老の元に行き、’我等に野宿せよとは如何な事じゃ ?’と、問うた。
「おお、伊都瀬殿。ちが…。」
と、大老は横にいる奈木乃を見やりあからさまに嫌な表情を浮かべた。
「何じゃ ?」
と、伊都瀬は奈木乃を見やった。
「はぁ、だから…。その娘に何回も言っておるのだが、三千もの三子を収容出来る場所が無いんだ。だから、兵士として来ている三子には西第一城門を出た所で陣を張って欲しいと頼んでおるのだ。」
「じゃから、何回も言うておるであろうが。どうして三千全部が外何じゃ。いつもは三百の三子は中に入れておる。」
奈木乃は凄い剣幕で言った。
「だから何回も言うておるであろう。今回の朝廷はいつものやつとは違うのだ。」
「朝廷は朝廷じゃ。大体我等は女ぞ。女に野宿せえとは如何言う事じゃ。女は其方らの奴婢では無いぞ。大体そ…。」
「ちょ、ちょっと待たれよ。」
そう言って伊都瀬が奈木乃の口を塞いだ。
「ふ、ふ…。ふご。ごごご…。」
「良いから少し黙っておれ。」
と、伊都瀬は大老を見遣る。
「はぁぁ、兎に角今回は伊都瀬殿と護衛だけにしてくれんか。」
「な、何が今回はじゃ。今回もポンカンもあるか。泊まる部屋なら其処らに一杯有るではないか。」
塞いでいる手を無理やり外し奈木乃が言う。
「だからあれは、寝所ではないと言うておるであろう。」
「何を言うておる。寝所でないであれば、寝所にすれば良いであろうが。のう、そうであろう。伊都瀬も黙っておらんとガツンと言うてやらないかんぞ。」
「良いから、其方は黙っておれ。」
と、伊都瀬は奈木乃の口を再度塞いだ。
「伊都瀬殿も大変だな。」
奈木乃を見遣りながら大老が言った。奈木乃はジロリと大老を睨め付けている。
「そんな事より、我と護衛の者だけと言うのは如何言う事じゃ ? この娘等は既に誰が寝所で寝るかを決めておるのじゃ。其れなりの理由が無ければ早々に諦めんぞ。」
「其れなんだが、如何やら大神は直ぐにでも迂駕耶に兵を向かわせたいらしいのだ。」
何とも言い難そうに大老が言った。
「ほう、其れはえらい急えておるのぅ。何か良からぬ事でも ?」
「さあな。そこ迄は分からん。兎に角伝令兵がその様な竹簡を持って来よった。だから、迂駕耶に出兵する兵には纏まって陣を取ってもらっておるのだ。女だからと軽く見ておるわけではない。」
「其れは分かっておるが、其れならそうと何故言わぬ。言えば奈木乃も納得したであろう。」
「分かるであろう。こんな状況だ。出来るだけ不安を煽る様な事はしとうない。」
「まぁ、其れはそうじゃな。」
と、伊都瀬は奈木乃を見やり大神の言付けじゃぁ仕方ないであろう。と嗜めた。
「ブゥ…。我は寝所で寝たかったぞ。」
「仕方ないであろう。此れも国を守る為じゃ。」
「ハァァ、国を守る為じゃぁ仕方ないのぅ。」
と、奈木乃は再度大老を睨め付けた。
「もう良い。それより皆に報告せねばならんであろう。」
と、伊都瀬は奈木乃をあやしながら門を出て行った。其の姿を見遣りながら’何が女に野宿をさせるだ。’と、ボソリ大老が言った。
「聞こえますぞ。」
衛兵が言う。
「いや、だが、そうだろう。ここまでの道中は間違い無く野宿だ。それで今更野宿もクソもないであろう。」
「だからこそ必死だったのでしょう。」
「必死のぅ…。しかし、どうも儂はあの得体の知れん三子族と言うのは好きになれん。」
「人気あるんですけどね。」
「ケッタイな妖術を使う連中の何が良いのか ? 其れに何と言っても五月蝿い。しかも恐ろしい程に我儘だ。」
「其れが良いのでは ?」
「何が良い ? 田舎娘の分際で…。」
「大老。それ以上は…。」
と、衛兵は首をかき切る仕草を見せた。大老は其の仕草を見やり口を噤んだ。
妖艶で何とも不思議な技を使う卑国の娘達。美しい舞を披露し、男を魅了する色気を持つ。しかし其の実態は人を殺す技を熟知し、国政を脅かす者達や謀反を企む者達を暗殺する殺人集団である。八重御国の貴族や豪族が必要以上の力を有せず、長い年月の中で外戚が国政を壟断する様な事がなかったのも娘達が裏で暗躍していたからこそである。だから娘達は、どの国の人間よりも八重御国の内情を熟知しているし其れは今も変わる事は無い。
娘達の目は全国にあり、娘達の耳は全ての話を聞き漏らす事がないのだ。そして不適格とみなされた者は例外なく其の喉をかき切られ殺される。衛兵が見せた仕草はまさに其れである。只、だからと言って人殺しが好きな理由ではない。此処にはちゃんと明確な理由が無ければならない。だから、その理由が有れば例え大神であろうと皇后であろうと殺すのだ。
何故なら娘達が忠誠を誓うのは大神にではない。当然八重御国にでもない。娘達は、古代日本その物に忠誠を誓っているからだ。娘達のこの様な思想や独自文化の起こりを遡れば矢張り周代の時代にまで戻ってしまうが、娘達が今の様な力を持つきっかけとなったのは三代大神の時である。
初代大神である伊波礼毘古は戦乱の世を平定した英雄である。既に口伝のみの英雄ではあるが、様々な逸話を世に残し天照の称号を得た唯一の大神である。天津を照らす存在として彼を崇める者は多く、今現在でも非常に人気の高い大神である。その証拠に演劇の約半数以上が彼を題材とした物であり、その他の大神や英雄を題材とした演劇は其れ程話題にはならないのだ。
そんな伊波礼毘古は、ハナ国を滅亡させる事なく存亡させた。此れは、当時としては破格の待遇である。当時は敵対する国を滅亡させる事が当たり前だったからだ。
伊波礼毘古はハナ国を八重御国の属国とし迂駕耶八国、出雲六国と一国とした。ここでの国と言うのは都府県の様なもので、其れらを収める神は知事の様なものである。
伊波礼毘古迂は駕耶八国の内六国を自分の息子達に治めさせ一国を当時大将軍職を務めた者に、そして最後の一国を伊波礼毘古自身が治めた。其れが八重御国の首都安岐国である。そして出雲六国の内五国を功績、名声を上げた者達に与え、一国を自分の息子に治めさせた。伊波礼毘古の息子が治めた国、其れが出国である。勿論その他の功績を挙げた者達にも貴族や豪族と言った地位を与えた。そして、八重御国の属国として存亡を許されたハナ国。其れが今の卑国である。
伊波礼毘古の時代はこの取り決めが功を成し上手く機能した。だが、二代大神となった神沼河耳(かむぬなかわみみ)の時代で其れは大きく変わった。国力が上がり皆の生活水準が上がったのだ。確かに、未だ天煌国は脅威である。だが、国が荒れ周代の力は無いに等しいのも又事実である。朝責も伊波礼毘古が統一する以前から行ってはいないし、すでに交流も途絶えていたので周代の脅威は既に口伝として伝えられる恐怖であった。そんな事もあり多くの神や貴族、豪族などは更なる地位の向上を求める様になる。所謂外戚である。此の外戚の横行により国の安定性が失われ崩壊の危機にまで陥ると分裂の兆しが見え始めた。
勿論、神沼河耳も其れを黙って見ていたわけではなく、其れに対して政策は取って見たものの其れが見事に裏目に出てしまい状況をさらに悪化させたのだ。其れにより神沼河耳の信頼は失墜し大老、老公が政治を取り仕切る様になった。その事に対し危機感を覚えたのが三代大神となる御真津日子訶恵志泥(みまつひこかえしね)である。御真津日子訶恵志泥は悩んだ挙句卑国にその悩みを持って行った。当時の日三子であった須咲(すざき)は直ぐに三院朝廷を開きその事に対して協議する事にした。
此の三院朝廷と言うのは、卑国全土を統括する正子(せいこ)の長である日三子、月三子、稚子の教育や、謀反などを取締る奥子の長である日陰、月影、間者の教育や諸国の情報を収集する役目を担う別子の長である闇三子、夜三子が出席する三子で行われるものである。此の三院朝廷には御真津日子訶恵志泥も出席し協議は七昼夜続けられた。そして、此の朝廷により卑国はある権限が与えられる事になる。
其れが殺す権限である。
勿論、無闇矢鱈に殺して良いわけではない。国政を脅かす者に限り大神の承諾を得る必要なく速やかに殺す事を許可されたと言うものである。此の仕事は間者を統括する別子が受け持つ事になった。
当時の闇三子である鹿目(かなめ)は、此の大役を引き受ける時には既にある考えが頭の中にあった。其れは敢えて人目に付く殺し方をすると言う事である。暗殺は常に人目の多い場所を選び、髪は高く結、真赤な紬を纏い、天煌国から伝わった鬼(き)の面をつけ実行に移るのだ。此れにより周囲の人に底知れぬ恐怖を与え’国政を脅かす事するなかれ’と、言う無言の圧力を同時にかける事が出来たのだ。
此れにより更なる地位を求める者は減って行ったが、人々の不満は日増しに強くなって行った。其処で御真津日子訶恵志泥は天煌国の脅威を改めて皆に伝え贅沢を悪とした。当然それだけで納得するほど民衆は愚かではない。其処で出来たのが出国で開催される一月朝廷である。此の朝廷には各国の神や貴族、豪族が招かれるのだが、朝廷としての議題などはなく贅沢三昧の大宴会が昼夜続くだけの場である。
毎年十月に始まりその月の終わりまで続けられるのだが、此の月に限り朝廷に出席できない全ての民にも贅沢をさせるのだ。此れにより民衆の不満は和らぎいつの間にやら十月に贅沢するために我慢する。節制すると言う様な考え方に変わって行った。
そしてもう一つ此の朝廷には意味があった。其れは暗殺を行う三子族に対して三子族=恐怖と言った考えを払拭させる事である。其れを払拭させるために御真津日子訶恵志泥は三子族には宴会での酒の相手をさせ、舞を披露させた。勿論三子族の女達は子作りの為と進んで床の相手もこなしたのだ。此れにより三子族に対しての恐怖は薄れ、回を増すごとに三子族は当時のアイドル的存在となっていった。
彼女達の容姿を真似たり、舞を踊る者まで現れ始めたのだが本家を超えられる者は誰もいなかった。何しろ一万はいる三子族の中でも選りすぐりの三子が選ばれるのだから当然である。
選ばれる三子の数は三百人。正子、奥子、別子問わずである。彼女達にとっても此の一月朝廷に選ばれると言う事は一つのステータスでもある。当然、伊都瀬や華咲、水豆菜や榊、吼玖利も何回か出場を果たしているし、奈木乃に関して言えば、既に十回程出場しているのだ。だが、神楽は一度も無い。良い所までは行くが残念。などと言うレベルでは無い。毎年予選敗退、しかも必ず一回戦負けと言う不様さである。
神楽が踊れば皆が声を揃えて猪の舞だと馬鹿にする。
猪、猪…。
猪、猪…。
と、ケラケラと笑う。
その度に神楽は舞を演じる事が嫌になった。
だが、本当に下手であった。三子族の舞は体の柔らかさを活かした柔軟でバネのある動きが特徴なのだが、神楽が舞うと其れは重くのっそりとした唯の動きでしかなかった。
舞に合わせ袖と裾を大胆に羽ばたかせ、見る者を圧倒する其の舞は時には両足を広げ高く舞上がり、垂直に広げた足を軸にクルクルと舞うのだ。そして袖を多用した腕の動きはまるで羽が生えたかの様に見え其れは正に天女そのものであった。
しかし神楽が舞えば話が変わる。袖は唯バタつき、足を広げ跳び、垂直に広げた足を軸に回っているだけなのだ。しかも動きが非常に鈍く其れは正に猪であった。
猪、猪、何が猪じゃ。と、神楽はいつも不貞腐ていたが、いつしか踊らなくなった。だから、神楽にとって一月朝廷とは只々贅沢が出来る一月なのである。
まぁ、神楽は其れで十分満足だった。食い意地の張った神楽にとって其れは至高であり、強さを求める神楽にとって舞は必要のないものである。だが、多くの三子に取って其れは違うと言えた。
神楽は十四の年から日三子の護衛として舞は踊らぬが毎年出国に赴いている。しかも護衛を務める三子には豪華な寝所が与えられ、贅沢な料理が提供される。しかも護衛の仕事の大半は出国までの道中であり、入国してしまえば護衛の役目など殆ど必要なく神楽は隙を見つけては好きな演劇をちょくちょく観に行っていた。
只、こう言った護衛の仕事は実力が無ければ任される事は無い。当然、国の長を護衛するのだから当たり前の話である。だから大半の三子は舞の名手として出国に招かれる事を選ぶのである。其れに舞の名手として招かれると驚く程に歓迎されるのだ。其れはもうこの世の男性が皆自分を見ている。自分を特別な存在として扱っってくれると言う気分に酔いしれる事ができたのだ。奈木乃は既に其れである。だから、奈木乃は必要以上に抗議していたのだ。
ブゥブゥ、ブゥブゥと不貞腐れた顔で奈木乃は水豆菜を見やる。
「何じゃぁ、なんかあったんか ?」
と、水豆菜が首を傾げる。
「我等は野宿じゃ。」
不機嫌な声で奈木乃が言った。
『野宿 ? 如何言う事じゃ其れは。』
声を荒げ榊が言う。
「我等は出兵じゃぁ言うて、野宿なんじゃ。」
「其れはどう言う事じゃ。我は全然わからんぞ。」
と、水豆菜が問う。
「じゃから野宿じゃ。寝所は無いんじゃ。」
と、言いながら奈木乃は皆の所に歩いて行った。
『寝所がない ! 何じゃそれは。其れで其方は納得して戻って来たんか。』
更に声を荒げ榊が言った。
「そうじゃ、そんな横暴は許されん。我が言うて来てやるぞ。」
と、中に入ろうとする水豆菜の腕を掴み’良い…。少し落ち着かれよ’と、伊都瀬が言った。
「何じゃぁ、伊都瀬も一緒じゃったんか。其方がついておってどうなっておる。」
後から出て来た伊都瀬を見やり水豆菜が問うた。
「大神の言いつけじゃぁ仕方なかろう。」
「大神の ? 其れはどう言う事じゃ。」
「どうやら大神は出兵を早めたいそうじゃ。」
「早める ?」
と、水豆菜と榊は首を傾げた。
「我等は朝廷が終わり次第じゃと思うておったが、そうでは無いらしい。」
「なんぞ迂駕耶であったんじゃろうか ?」
榊が問う。
「否、そんな報告は受けておらんぞ。」
水豆菜が答える。
「焦っておるのじゃ。」
唐突に草葉の影から出てきた娘が言った。
「誰じゃ。」
と、水豆菜はその娘をジッと見やる。
「おお、空理(そらり)ではないか。」
伊都瀬が言った。
「空理 ? 別子の空理か。」
と、榊が娘を見やる。
「おお、本間じゃ空理じゃ。何じゃぁ、化粧もせず汚れた顔じゃから誰か分からんかったぞ。」
水豆菜が言う。
「仕方ないであろう。我等は陰ぞ。町の住民に溶け込むが我等が務めじゃ。」
と、言った空理は出国の民と同じ服を着用し、出国の女と同じ様に化粧はおろか生毛を剃る様な事もしていない。勿論髪の結い方も出国の流行りの結い方を真似ている。
「何じゃぁ。ずっと其処におったんか ?」
「其方らが立ち往生しておるから様子を見に来ただけじゃ。大体三千もの三子を町中で立ち往生させておっては迷惑じゃろう。」
「まぁ、そうじゃが。」
と、水豆菜が言った所に奈木乃が大慌てで戻って来た。
「如何したんじゃ ?」
面倒臭そうな表情で伊都瀬が問うた。
「大変じゃぁ。」
目を丸く見開き奈木乃が言った。
「何じゃ、何が大変なんじゃ ?」
「だ、誰もおらん…。」
「誰も ?」
と、伊都瀬は首を傾げる。
「そうじゃ。誰もおらんようになっとる。」
「な、何を言うておるのか我には理解できんぞ。」
「じゃから、三千の三子がどこにもおらんのじゃ。」
と、奈木乃が言うや否や今度は伊都瀬が大慌てで皆の所に駆けて行った。そして、其処には文字通り誰もいなかった。
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