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やりたいことはトラックの中で見つけた〜手形見屋〜①
「手形見」
話は前に戻りますが、私は7年間葬儀社に勤務していた経験があります。まだ、今までお話したような仕事以外に何かに取り組むといった前のことです。
葬儀社の仕事内容についてあまり詳しく書くつもりはありません。ご想像におまかせします。
ただ、あの職業は毎日「死」が目の前にあるということです。死に対する家族の「悲しみ」があるということです。死も様々です。
事故、災害、病気、自死、事件、自然死など。
生きている人がそれぞれ違うように、ご遺体もそれぞれ違います。その方に合った納棺、葬儀の形があります。それを導き出してご遺族に提案して形にしていく、そういう仕事でした。
すばらしい仕事であり、誰かがやらなければいけない仕事です。しかし事実として、人々がやりたいと思う仕事ではないことも否めません。
私もいまだに脳裏に焼き付いてしまっている光景や情景がいくつもあります。ただ、この7年間がないまま今に至っていたらと思うと、どんな世間知らずで常識知らずの大人になっていたかと少し恐ろしくなります。
それくらい私は二十代半ばまで何も知らない人間でした。この仕事のおかげでなんとかまともな大人になれたのです。
そしてこの頃から頭に浮かんでいたこと、
それが手形見(てがたみ)です。
手形(手型)と形見で手形見です。
日本の場合、一部を除いて土葬という文化は消滅しつつあり、その殆どが火葬という形で埋葬されます。
そして、火葬を終えると人は形を無くします。
振り返られるものは写真や映像、遺品。そして残された人々の記憶だけとなってしまう。
私は観光地や記念館などに展示されている、文化人や芸能人、いわゆる有名な方々の手形が当時から気になっていました。
もっと身近な家族や大切な人の手のひらの形を残すことで、自分も含め、時が経ちいずれ天国への階段を昇る時に、その手形が、残された人にとってきっと大切なものになるんじゃないだろうか。
そう感じていたのです。
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