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頼ることで居場所を確保

 昔から、人はなにかに頼ることで、無力な自分を保っていた。自然現象は神が起こしたもの、仏様がいつも見てくれてる、天国に必ず行ける。など頑張りが報われない人は、どんなに頑張っても結果が出なく悔しいため何かに頼って生きてきた。しかし果たしてそれでいいのか?今の社会は資本主義がほとんどだ。資本主義の世界で神に頼る人などほとんどいない。それは、神を信じている時間で結果を出すことを考え行動しているからだ。生まれつきどこかの宗教に入っているなどでは、仕方がないかもしれないが、自分から受験前日や就職面接の日にわざわざ神社に行って、お参りしたり、元日に長い列を一時間ぐらい並んで木の箱に金を入れるなどをする意味が果たしてあるのか?そんなことをしている暇があるのなら、他のことを考えていた方がよっぽど時間を効率的に使っていると思う。たしかに、宗教を馬鹿にするのはよくないが、神社に行って結果が変わるのか?例えば受験だって、神社にお参りに言ったら学力が上がるわけではない。だったらお参りに行ってる時間に少しでも数学の問題を解いていた方が、学力は上がる。結局人は特に日本人は一人が特に不安なだけなのだ。一人では何もできず、周りの人間に頼ることもできない、だから、神という目に見えないものを作り、それに頼ってきた。それらを人々は、いいこととして認識し、その認識の違いで人をたくさん殺してきた。そんな結果を神が望んでいるのか?そんな、結果になるぐらいなら、神のことを考えている間に勉強したり、働いたほうがよっぽどいい。もし、この文章呼んだ人の中で宗教に入っている人がいたら申し訳ございません。

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