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BLUE GIANT

アニメ映画『BLUE GIANT』を観た。
原作はタイトルだけ知っていたけれど、読んだことはなくて、何か作品の上映前に予告を目にして面白そうだと思っていた。

結論から言うと、凄く良かった。
観た後に残るこの熱を誰かに伝えたくて、この記事を書いている。

映画『BLUE GIANT』のあらすじ

公式ホームページからストーリーを引用する。

ジャズに魅了され、テナーサックスを始めた仙台の高校生・宮本大(ミヤモトダイ)。雨の日も風の日も、毎日たったひとりで何年も、河原でテナーサックスを吹き続けてきた。
卒業を機にジャズのため、上京。高校の同級生・玉田俊二(タマダシュンジ)のアパートに転がり込んだ大は、ある日訪れたライブハウスで同世代の凄腕ピアニスト・沢辺雪祈(サワベユキノリ)と出会う。

大は雪祈をバンドに誘う。はじめは本気で取り合わない雪祈だったが、聴く者を圧倒する大のサックスに胸を打たれ、二人はバンドを組むことに。そこへ大の熱さに感化されドラムを始めた玉田が加わり、三人は“JASS”を結成する。

楽譜も読めず、ジャズの知識もなかったが、ひたすらに、全力で吹いてきた大。幼い頃からジャズに全てを捧げてきた雪祈。初心者の玉田。

トリオの目標は、日本最高のジャズクラブ「So Blue」に出演し、日本のジャズシーンを変えること。 無謀と思われる目標に、必死に挑みながら成長していく “JASS”は、次第に注目を集めるようになる。「So Blue」でのライブ出演にも可能性が見え始め、目まぐるしい躍進がこのまま続いていくかに思えたが、ある思いもよらない出来事が起こり……
映画『BLUE GIANT』公式サイト
https://bluegiant-movie.jp/story.html

原作未読で観た時の感想(ネタバレあり)

初心者の玉田が観客と作品を繋ぐ
主人公のサックスプレーヤーの大と、ピアニストの雪祈ユキノリは初っ端からミュージシャンとして完成されていて、序盤は『こいつら天才なんだな〜』っていう感じで少し遠巻きに観ていた。言葉に出さなくても音で通じ合う感覚がスクリーンの中の二人の間では共有されているけれど、観客であるこちらには少しわからない感じ。僕自身は音楽は好きだけれどサックスやピアノの巧拙は判断できないし、これが人の心を打つ演奏なのか?ということも正直しっくりきてはいなかった。


そこに、大の高校の同級生である玉田のストーリーが交わってくる。
玉田は仙台から志望大学(劇中描写的に早稲田大学、そして授業内容的に政経っぽい。超優秀だ…)に現役合格して上京している。高校時代はサッカー部で、県ベスト8という成績を残している。つまり、文武両道で目標に向けて努力してきたヤツ。そんな玉田は、大学のサッカーサークルに入ったけれど、なんだかしっくりこない。試合開始20分で休憩したがるチームメイト。プレーの反省を軽くあしらい”社会に出るための健康維持”としてサッカーをする先輩。自分は高校時代の様に何かに本気になりたいのであり、ここはそれに適した場所ではないことに気づく。そして、玉田は潔くサークルを抜ける。
サークルを抜けた夜、玉田は隅田川沿いの大の練習スポットで初めてセッションをする。メトロノームとして空き缶を一定のテンポで叩いただけだった玉田ではあるが、大のサックスとのセッションで、自分が本気になれるのはこれかもしれないと感じ、ドラムを始める決心をする。

この玉田こそが、原作未読であった僕にもこの作品が深く、熱く心に響いたふたつの大きな役割を果たしていたのではないかと思う。

ひとつ目は演奏面。
先述した通り、ジャズに明るくない僕は大のサックスや雪祈のピアノがズバ抜けて上手いことをその演奏を聴くだけでは理解できなかった。
彼らを取り巻くキャラクターのリアクションで、これって素晴らしい演奏なんだなと後天的に理解していた。

一方で玉田のドラムは、明らかにたどたどしい。
リズムがもたついていたり、バリエーションも少なかったり。
そして初心者の玉田は、当然さまざまな壁に直面する。
初ライブではスコアが飛んで全然叩けなくなってしまったり、演奏終了後の拍手が自分だけ小さかったり。
それでも、玉田は成長する。
ジャズに精通していない僕にも、ライブを重ねるごとに玉田の演奏が成長していく様子が伝わってくる。
ラストライブの玉田のドラムソロは、彼の成長を観てきたファンとして胸に込み上げるものがあり自然と涙が頬を伝っていた。
玉田のわかりやすい技術的成長は、回を重ねるごとに熱を帯びる彼らのジャズに観客をスムーズに乗せる役割を果たしていたはずだ。

ふたつ目は玉田がドラムに打ち込む理由。
これも先述した通り、玉田は大学生活のハリのなさに嫌気がさして何か熱中できるものが欲しいとドラムを始める。
これは、大との空き缶セッションでジャズ自体の熱さ・激しさの一端に触れたこともあるが、ジャズに本気で取り組んでいる大(そして雪祈)と同じ時間を過ごしたいという思いがそれ以上に大きな理由だったと感じている。

劇中で雪祈のスランプを契機に3人が衝突する場面がある。
大と雪祈にはジャズプレイヤーとして名を馳せたいという夢があり、そのためには今のスランプを奏者として自力で乗り越えなければならないと考えている。
一方で玉田がジャズを続ける最大の理由は、バンドとしてジャズをすることでありメンバーの苦境はバンド全員で乗り越えるべきだと考えていた。
この衝突自体は3人の絆に大きなヒビが入るほどのものではないのだが、大・雪祈と玉田の立ち位置の違いを明確に示したシーンであり、きっと観客の大半は自分が玉田側の人間であることを感じたのではないだろうか。
少なくとも僕は、自分が玉田側であると感じていた。

また、この映画は構成上ユニークな点がある。
要所要所で、主人公を取り巻く登場人物たちが現在進行形の大を振り返るという未来のインタビュー映像が挟まれるのだ。
このシーンがあることで、観客たちは大が将来大物になっている予感を抱きながら、その黎明期の目撃者になっているという感覚になる。
このインタビューに、社会人になった(そしておそらくジャズを続けていない)玉田が登場し、自分にとってバンド活動をしていた1年半は本当に大事な時間あったと語る。つまり、観客は今まさに目撃している3人の活動が限りあるものだと知らされる。

この構成により、僕の玉田への感情移入がさらに深まった。

生きていると『あぁ、きっと今この瞬間はすごく大切な時間で、でも永遠ではないんだろうな』と感じる瞬間がある。
僕の場合それは高校3年の一時期で、とある友人と過ごす時間がきっとこの先の人生の何にも代え難いものになるだろうという予感があった。
玉田にとってそれはまさにスクリーンで流れているこの瞬間で、大学を留年した際に自分がドラムに打ち込んでいること、そして今はドラムを優先したいことを母親の留守電に吹き込むシーンは、僕自身にも極めて似た経験があり『他人から見たら合理的でなくても、自分自身が今この瞬間が大事だと自覚しながら過ごす時間は、とても大切で貴重なことだよな。』と激しく共感した。
そして、同時に僕にとってもあの学生時代はインタビュー中の玉田と同様に懐かしむ過去であることを痛感して猛烈に悲しくもなったのだった。

劇中終盤のライブのアンコール前、雪祈はバンドを解散することを告げる。
解散の理由は大がこの瞬間に立ち止まることなく世界を目指して前進し続けるため。それを何より理解しつつも、自分にとってかけがえのない熱い時間が終わりを告げる事実に玉田は号泣する。

これが最後なんだと胸に抱きながら聴くアンコール曲”First Note”は、演奏の巧拙がわからず少しの戸惑いがあった2時間前の自分が信じられないほど、ダイレクトに心に響き、演奏する3人の姿が滲んでしまった。

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