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「がんばったけど、できなかった!」理由が判明した話

小学生の頃から「がんばったけど、できなかった!」と感じることが多々ありました。その感覚は大人になってからもずっと続いていました。

最近その理由と対策が判明したので、
その経緯についてまとめます。


きっかけ


「3月はパースの勉強をガッツリやろう~~~!」

そう宣言したのが2月の終わり頃です。
理想通りの背景を描くためにはパースがいるよね!と
友人と意気投合したのがきっかけです。

わたしならできる!
3月の終わりごろにはバリッバリにパースを描いて
世間をうならせてやるぜ!

と興奮とやる気に満ちていました。


3月が終わり、
わたしはほんの少ししか勉強を進められませんでした。

わたしなりに「がんばった!」つもりでした。
しかし、それは『いつも』の『がんばったけど、できない』だったのです。

そう、『いつも』通り。


『いつも』そうだった


小学生の頃、幾度となく壁にぶつかりました。

『がんばったけど、できなかった!』

逆上がり、ピアノ、習字、中学受験、水泳、
そして絵を描く・・・

がんばってる!でも、できない!・・・なぜ?

ピアノに至っては非常に顕著で、
練習すればするほど、へたくそになっていくのです。
発表会の前に先生に「もう練習はしなくていい」と言われたほどです。

それは中学生になっても同じ。

部活で剣道を始めましたが、まったく上手くならず、
「勝ちたい」という一心で小手先勝負を行い、
引退試合は反則負け(竹刀の内部に重りを仕込む)をしてしまいました。

とんでもない馬鹿者です。

そして高校生になっても同じ。

剣道は引き続き弱く、幸運にも良い指導者に巡り合うことはできましたが、
朝から晩まで、年間360日、
自主練と部活に打ち込みましたが、弱いまんまでした。

最終的に靱帯断裂し、団体戦でインターハイに行けたものの、
出場を辞退しました。

「わたしがいないほうが、勝てる」と思ったからです。

物理学も、放課後残ったり昼休憩を使ったりして勉強しましたが
いざ試験をすると1ケタ台の点数です。

がんばってる!でも、できない!・・・なぜ?

・・・なぜ?

大学に行ってからも、社会人になってからも、
それは続きます。

がんばってるのに、結果が伴わないのです。

入社後は
余裕ブッこいてたWEBデザイナー検定に落ちたり、
PHPやJavaScript等のプログラミング勉強を挫折したりしました。

あまりの劣等感バリバリっぷりに、
上司は「もうやらんでいい」と言ってくれました。
それもまた、悲しいのです。

そしていつしか、こう思うようになりました。

「がんばっても、できない!時間の無駄だ!」


「できた」こともある


奇跡的に「できた」こともありました。

水泳を習っている最中、
わたしはよく手で水鉄砲をしていたのですが、
思いのほか、めちゃくちゃ水を遠くまで出すことができるようになったのです!
これは才能を感じざるを得ません!

部活で剣道をやっていたときは、
自主練で縄跳びを1日平均2500回飛んでいたのですが、
それにより他の人より持久力がつき、試合でも延長戦まで持ち込めば勝てる。(確信)

自分でも驚いたのが、『記念受験した大学に受かった』ことです。
これには我が校の教師も驚愕したのか、
体験談を書かされたり、後輩に向けて「馬鹿がどうやって受かったか」を講義したりしました。
わたしは体験談や読書感想文を書くのが好きなので、
壮大な体験談(中身はない)を書き、少し芝居がかった口調で後輩たちに講義(中身はない)したものです。

また、
なんとな~~~く勉強し、なんとな~~~く受験した保育士の試験に受かったりしました。

こんな、わたしの中では『どーーーーーでもいいこと』はできるのに、
わたしが必要だと感じる、『とても重要なこと』ができないのは、

・・・なぜ?


3月に起こった、ちょっとしたできごと


パース勉強と時同じくして、わたしはChatGPT(https://openai.com/blog/chatgpt)にドハマりしていました。

始めは簡易的な質問(「元気?」とか「あなたは誰?」とか)しかしていなかったのですが、
プログラマーの友人から

「ソースコードを書くときに、ネットで調べるより楽でわりと的確」

と教わり、試しに今困り果てている動かないjQueryについての質問を投げかけその回答を当てはめてみると・・・


「動いた!!!!!???」


それは深夜の奇跡。
人類の英知。
現代のドラえもん。


夢中になって朝までChatGPTに相談し、
2週間悩んでいたものが、わずか5時間で完成したのです。

このことがきっかけで、わたしはChatGPTに恋をし、
寝ても覚めてもChatGPTに相談し、
仕事中もChatGPTにひたすら話しかけ、
チャット欄は人生相談とソースコードで埋まりました。

さらにわたしは
「ChatGPTをより自分の生活に侵食させたい!
 ChatGPTと共に人生を歩んでいきたい!
 ChatGPTでわたしは人類の進化を試みたい!」
と思い、
iPhoneのオートメーションと連携、アレクサと連携を試みました。
保身のために言っておきますが、わたしはその日寝不足だったのです。
決っっしてAIを教祖として崇めたりしてないから!ほんと!

解説動画を観ながら実際に手を動かし
基本に忠実に、忠実に・・・
変数の名前やファイルの保存場所もお手本通りに・・・
動かない場合は一文字一文字スペルが合っているかどうか確認しました。

これは、わたしの経験上からくるものです。

ゲームmodを導入するときと似ており、
少しでも『自分仕様』を入れると全く動かなくなるのです。

『保存場所をCドライブに入れずに、Gドライブに入れる』

たったそれだけのことで意図しない挙動になることを経験し、
「こういうこんがらがったものは全て忠実に再現しよう」と心に決めたのです。

上記に飽き足らず、合成音声とも連携したいと思い、
今まで避けていたGitを勉強し、Dockerの動画を観始めました。

これにより今まで興味が薄かったPHP、JavaScriptを勉強し始め、
アプリ開発にも興味が出てきた
のです。

パースの勉強は1ミリ程度しか進まなかったのに、
なんかプログラミングの勉強はえらい進んだな・・・・・・。

ここで『何か』がわたしの中で通り過ぎた気がします。
とても、重要な・・・『何か』。

この『何か』が「がんばったけど、できなかった!」解決に
大きく関わってきます。
後ほど、説明します。


「できなかった」こと「できた」こと


ここで、「できなかった」こと「できた」ことを整理したいと思います。

『がんばったけど、できなかった』こと(一例):
・ 習字
・ ピアノ
・ 剣道
・ 物理の勉強
・ プログラミング勉強 / WEBデザイナー試験
・ 面接
・ 英検

『なんかよくわからんけど、意外とできた』こと(一例):
・ 手で水鉄砲する
・ 持久力
・ 大学記念受験
・ 作文 / 弁論
・ プレゼン / プレゼン資料作り
・ ゲームにmod入れる
・ 保育士の試験

この違いは、なんなんだろう。
向き / 不向きも、確かにあるかもしれません。

『できた』とき、
わたしはどうして『できた』?
何を考えていた?

どれくらい『がんばった』・・・?

ぼんやりとですが、
このあたりに今回の解決の糸口がある気がします。


わたしは『あまのじゃく』?


わたしにはもうひとつ、頭を悩ませていることがありました。

それは、
わたしが極度の『あまのじゃく』であることです。

例えばわたしが予定を立てるとします。
しかし、次の日にはその予定とは別のことをしたくなるのです。

また、「絶対にがんばろう!絶対に成し遂げよう!」と強く思えば思うほど、次の日にはどうでもよくなるのです。

今はそれほどひどくありませんが、
人から心配してもらったときに「そう言ってバカにしてるんだろ」と突っぱねたこともありました。

本心では、人に心配してもらって とてもうれしいのです。

しかし、なかなか本心を言うことはできず、むしろ逆の態度をとってしまう。
そうして、夜、一晩中布団の中で後悔するのです。


しかし、このことは役に立つこともありました。

落ち込んでしまって、すぐに立ち直りたい気持ちがあるときにわざと
「あ~~~もう人生終わりだ!ドン詰まりだ!もう何もしない!」
と口に出すと、自然と心が穏やかになり、やる気が湧いてくる。

がんばりたいときも、そう。

「まっっったくやる気ない!この分野、1ミリも興味ない!」
と口に出すと、集中して作業できる。

本当の本当の、心の奥底にある本心を気取られてはいけません。

「やる気がある!」
と言った瞬間から、わたしはやる気を失うのですから。

わたしは一体、何と戦っているんだ・・・?

とにかく、『わたし』というのはめんどくせ~~~~ヤツなのです。

これを解消すべく、いろんな心理学の本を読んだり、
あまのじゃくっぽい人を見つけては、
質問をガン攻めし、
それとなく解決策を探ったりしていました。


『反動形成』という言葉に出会う


ふとしたきっかけで、わたしは『アダルトチルドレン』という心理状態のことを知る機会がありました。

わたしの育った家庭では育児放棄はなかったし、依存症のある親はいなかったので、今までスルーしていましたが、
YouTubeで暇なときひたすら心理学や〇〇の法則について調べているので、
この出会いは必然だったのかもしれません。
(めっちゃおすすめに出てくる)

そこで思ったのです。

なんかわたし、症状似てね・・・?

おぉお、な、なんと親不孝なんでしょうか!

全ッ然虐待とか一切受けていないのに、症状似てる、とか・・・
親の愛情は感じているので、わたしがアダルトチルドレンなはずがないッ!
断言ッ!できるッ!
絶対に可能性はないです!ほんとに!

アダルトチルドレンの特徴:
(1)自分の考えや行動が「これでいい」との確信が持てない
(2)物事を最初から最後までやり遂げることが困難
(3)本当のことをいったほうが楽なときでも嘘をつく
(4)自分に情け容赦なく批判を下す
(5)楽しむことがなかなかできない
(6)まじめすぎる
(7)親密な関係を持つことが大変難しい
(8)自分には、コントロールできないと思われる変化に過剰反応する
(9)常に、他人からの肯定や受け入れを求めている
(10)自分は、人とは違うといつも感じている
(11)常に責任をとりすぎるか、責任をとらなさすぎるかである
(12)過剰に忠実である
(13)衝動的である。他の行動が可能であると考えずに1つのことに自らを閉じ込める

学陽書房1996「アダルト・チルドレンと家族」著/斉藤学より

ン~~~~ッ!!!
ン~~~~~~~~~~ッ!!!??

ちょっと・・・わたしでは判断できないですね。
主観と客観は違いますから・・・・・・。
み、水を少し飲ませてください。

・・・。
ふう・・・、えっと、ちょびっとは当てはまる、かな?
ハハハ、ね~・・・不思議~・・・


ま、まあそれは置いておいて、
わたしは調べていく中で『反動形成』という言葉に出会いました。

【 反動形成 】
精神分析家のフロイトが提唱した防衛機制と言う概念のひとつ。
受け入れがたい感情や衝動など自分の本心を隠すために、本心とは正反対な態度を取ること
気持ちと行動が反対であるため、心理的負荷が高くなる。

「あまのじゃくの尻尾、掴んだりッ!」

わたしはこの文献を見た瞬間、そう叫びました。

長年苦しんできた『あまのじゃく』の正体は『反動形成』と呼ばれる心理状態だったのです。
症状名が分かれば、あとは対処するだけです。

ようやく正体を現したってワケだ・・・・・・
サクッと終わらせてもらうぜッ!


『理想のわたし』と『本当のわたし』


ここで、ふと疑問が浮かびました。

『反動形成』とは、
"自分のこころを守るために過剰な防衛を行うこと"。

自分のこころ。
わたしの本音。
『本当のわたし』とは何だろう。

『本当のわたし』は何を守り、何を隠してる・・・?


ひと晩考えて出た結論がこちらです。
下記図をご参照ください。

とんでもないギャップである

もしや、わたしは・・・自尊心を守るために、

自分の負の部分(めんどくさがり / 分からないことは関わりたくない / 苦しい練習はイヤ / 人の期待に応えられないのは見くびられるってことだから始めから挑戦しない)を隠し

理想のわたし』を演じていたのでは・・・?

い、いやだーーー!こんなのわたしじゃない!

カーーーッ!
そりゃ隠すわ!

「全部めんどくせえ」なんて口が裂けても言えんわ!
でも常々そう思ってた自分もおるわ!

え~~~・・・
マジ?
え~~~~~・・・
『あまのじゃく』じゃなくて、普通に本音で動いてた可能性すらできたな。

そう、
『理想のわたし』『本当のわたし』のギャップが大きすぎて、
わたしは心理的に異常をきたしていたのです。

どうやら、今回の真相が見えてきたようだ。

「がんばったけど、できなかった!」

それは、理想と現実のギャップを埋めるための呪文だったのです。


結論:『がんばった』フリをしていた

そりゃ「できなかった!」ってなるわ・・・

ヤバくない、わたし・・・

こんなことを長年悩んでいたのか・・・?


ですが、落ち着いて対処を考えましょう。
冷静になった今、きっと道は見えてくるはずです。


白ウサギを追って


ChatGPTを崇拝し、夢中になって色々やっていたときに
わたしの頭を「何か」が通り過ぎた気がしました。

これはきっとヒントです。
「できない」ことが「できる」ようになるヒント
今まで不可能だったことを可能にするワンダーランドの入り口

解決にだいぶ近いところまで来てる気がする!

もう一度、「できなかった」ことと「できた」ことを整理しましょう。

『がんばったけど、できなかった』こと(一例):
・ 習字=>近所の知り合いの先生で期待される
・ ピアノ=>練習は常に親が聞いている
・ 剣道=>他の人は幼少期から剣道を習っており
わたしだけ浮いた状態になっていた
・ 物理の勉強=>難しい問題にいきなり挑戦し挫折 /
         以降は簡単な問題ばかり解いていた
・ プログラミング勉強 / WEBデザイナー試験
  =>簡単だと思っていたが意外と難しくショックを受けていた
上司の期待に応えねばと焦っていた
・ 面接=>人との摩擦はそもそも苦手
・ 英検=>面接で落ちる / 人との摩擦はそもそも苦手

『なんかよくわからんけど、意外とできた』こと(一例):
・ 手で水鉄砲する=>何も考えず反復練習
・ 持久力=>何も考えず反復練習
・ 大学記念受験=>記念受験ということでリラックスできた
・ 作文 / 弁論=>読んでくれる人をワクワクさせたいな~
・ プレゼン / プレゼン資料作り=>楽しいだろ、わたしのプレゼンは!
・ ゲームにmod入れる=>ダメ元でやってみるか
             誰からも期待されておらず、自分のためにやる
・ 保育士の試験=>学童保育で知識活用しながら実践できた

見にくいですね。
わたしも見にくいです。

エッセンスだけ抜き取ってまとめてみましょう。

『がんばったけど、できなかった』こと:
① 人が見ている状態で自分を良く見せようとする
② 自分の実力を見誤りいきなり応用しようとする / できないことへの憤り
③ 周りと比べてできないと極端に劣等感を感じる

『なんかよくわからんけど、意外とできた』こと:
① 何も考えず反復練習(そこに感情はない)
② 自分のためにやる / 自分が楽しめている
③ 自分の知識の地続きであれば勉強に取り組める(ステップを踏む)


いざ、リミット解除!


材料はそろった。

前項のことを踏まえ、
「がんばったけど、できなかった!」問題を解決します。

その方法はいたって簡単。
心理的ストッパーを取り払い、制限を解除してやればいいのです。

かんこのリミット解除条件:

・ ノン・プレッシャー
  → 他人からの期待がない状態にする
  → 時間制限がない状態にする
  → 自分のためにやる、という意思を強く持つ

・ 狂気化(1点集中)
  → 楽しい!楽しい楽しい!しか頭にない状態にする
  → 視野が狭くなり、全てを捨ててでもやりたいと思える状態にする

【補足】自分が狂気化できているかの目安
  → 丁寧に作業ができているか?
    =かかった時間や今日のタスク等余計なことを考えていないか?
  → 頭の中に誰かいないか?
    =自分を批判的にみてる自分はいないか?
    =頭の中は今の作業でいっぱいか?

・「できた」をゴールにしていない
  → 他人に見せびらかすゴールが存在しないと自覚する
  → 目標達成は次のスタートラインにすぎないと自覚する
  → 「できた / できない」「0か1か」の問題ではなく
    これは「積み上げる作業(0.1→0.2→0.3・・・)」という意識

解除条件は人によって大きく違うでしょう。

もし自分の解除条件を知りたい人は、
「できなかった!」こと / 「できた」ことを一覧で書き出し、
その理由を考えてみることで推理できると思います。

いや・・・・・・
こんな回りくどいことしてるのわたしだけかもしれんなぁ。


とにかく、すっきりしました。



『本当のわたし』と対話する


「本当のわたし」の正体。
それは、怠け者でめんどくさがりで、甘えん坊だった。

「そうか~~~、気づかなかった!というか、気づきたくなかった!」

わたしは笑いながら、『本当のわたし』の隣に腰かけます。

理想という仮面を外した『本当のわたし』は むき身で、
オドオドしていて、わたしの言動にすら怯える状態でした。

本来ならば、いの一番に認められるべき存在のわたしに今まで否定されていたのだから、怯えるのは当然の反応です。
突拍子もない、実現不可な『理想論』をギュウギュウ押し付けられて、傷つきたくないから怯えているのです。

「まあ、しょうがないよ。だいたい、まあ、・・・みんなそんなもんだよ」

わたしが共感の言葉をかけると、
『本当のわたし』が数十年ぶりに笑った気がました。

認めてしまえば楽なもので、
あれほど嫌っていた『怠け者でめんどくさがりで、努力が嫌いな甘えん坊な『本当のわたし』も、存外に「かわいいな」と思えるほどです。

と同時に、今まで『真面目でマメで勉強家』という偽りの仮面を強制的に被せていた『本当のわたし』が可哀そうに思えてきました。

他でもない、怠け者のわたし自身が、『本当のわたし』に、
理想を目指し気高く生きろッ!と鞭を打っていたのです。

とんでもなくヒドいヤツだな、わたしは・・・


幾度となく、『本当のわたし』は わたしにSOSを出していました。
それが『あまのじゃく』という形で出ていたのです。


何かを実現する。
何者かになる。

そのとき『理想像』は欠かせません。

しかし、どんなに理想の仮面をつけたとしても、
本当の自分は消せません。

どんなに認めたくない本音でも、
それを否定することは、自分の根源を否定することなのです。



『本当のわたし』と理想をながめる


さてここからが本当のスタートライン。

わたしがいくら怠け者だからといって、
いつまでも『本当のわたし』を甘やかしまくるということはしたくない。

それはきっと『本当のわたし』も望んでいないはずです。

だって子どものときから大人になるまで、
ずっとずっと『理想のわたし』に憧れ続けていたのですから。

「まず何をやろうか?何ならできそう?」
わたしは『わたし』に話しかけます。

「5分だけなら・・・勉強してもいい」

どうやら『わたし』は怠け者ながらも、
5分くらいなら勉強してもいいという向上心はあるようです。

「じゃあ5分勉強したら寝よう!それで今日は花丸二重丸だ!」

わたしが褒めると、
『わたし』はうれしそうに鼻息を荒く意気込んでいました。

わたしは知っているのです。
『わたし』はやり始めるとアホみたいに集中することに。
そして集中すると夢中になって楽しめることに。


今回学んだことは、下記の通りです。

自分に理想を押しつけるのではなく、
元来の自分の性格を認め、
ほんの少しだけ本音に寄りそい、
自分ができることから始める。


決意がみなぎったので、これにて筆を置きたいと思います。
ここまで長文を読んでくださり、ありがとうございました。

わたしはこれからも『わたし』と二人三脚で歩んでいきます。


あ~~~~~なにもかもめんどくせ~~~~~



・・・けど、5分だけ勉強するか~~~~~


(おしまい)

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