もう少し笑うようにしよう
ここ数日、ちょっとしたことでイライラする。怒りの沸点が下がっている。これはまずい。どうすればいいのだろう?
普通に考えれば、「自分が自分を大切にできていない」のだけど、そういうわけでもないのかな、とも思う。子どもが小さかった頃の、「やりたいことがやれない!!!!」というあのイライラとはちょっと違ったからだ。
そこで考えたのが、最近「あんまり笑ってないんじゃないか」ということだった。
強制的に笑う
私は、おととし(2019年)から、積極的に「お笑い」を見るようにしている。
それは、「笑うため」だ。
子育てをしていると、「面白くて笑う」機会が減ってくる。もちろん、子どもが面白いことをして大笑い、ということがないわけではないのだが、そんなにしょっちゅう起こることでもない。大人と話をしている方が、笑う回数は多いのではないかと思う(私は)。
子どもが幼稚園に入って、他のお母さん達と話ができるようになった時は嬉しかったのだけど、他のお母さん達との話は「情報交換」「夫のグチ」などが多く、「笑える話」というのは、そうはなかった。
「ああ、私、生活から『笑い』が無くなっていたのかな」と気づいたのはそんな頃だ。そして、意識的にインターネットで面白そうな動画を探してみるようになった。子どもが幼稚園に行っている間、自分が素直に笑える、馬鹿笑いができるようなものを探して、それをむさぼるように見続けた。
そもそもなぜ、自分には笑うことが必要なのか?
noteを始めたのは2020年の年末で、そもそもは自分の思考の遊びとして始めたものだった。それは「面白い」ものではあるのだけど、あたりまえだけど「笑える」面白さではない。良書を読む充実感のような「面白さ」。
しかしそこで、ちょっと揺り戻しというか、反動が来たのかもしれない。
noteに気持ちが入りすぎて、「笑う」時間をおろそかにしていたかもしれない。「いい記事書きたい、たくさんインプットして、たくさんアウトプットしたい」。そう思って、自分の使える時間のほとんどを、noteの記事を書くことに関連付けてしまった。しかし今考えるとそれが、なんだかわからないイライラの原因のような気がした。
以前の記事で(参照:犬の散歩のような、水槽の金魚を池に放すような)思考の遊びが自分にとっては必要だ、というようなことを書いたのだけど、私にとっては「笑い」もまた、必要なことなのだな。
そして色々考えていくうちに、「笑い」でストレスを発散していたのではないか、と気がついた。
「ストレスは体から『何か』を出すことで」解消する
昔何かで、「ストレスは体から『何か』を出すことで」解消する、というようなものを読んだ。つまり、泣くことやカラオケで大きな声で歌うことはストレス解消になる、ということだ。
そうすると、怒りを出すということも、つまりは「ストレス解消」として体がやろうとしていることなのかもしれない。今イライラして、すぐに怒りを出すということは、「ストレスがたまっている」ということに他ならない。
そして、あまり自覚をしていなかったのだけど、私は今まで「笑い」でストレスを解消していたのかな、という風に考えた。大笑いをすると、大声を出す。場合によっては涙も出てくる。そして、見終わった後は、すっきりした気持ちになる。
予定に入れちゃえばいい
「空いた時間があったら」noteを書くとか、「空いた時間があったら」お笑いを見る、とかじゃなくて、「この時間はお笑いを見る」って予定に入れよう。
体を鍛えるためにジムに行くことや、新しいことを覚えるためにセミナーに行くように、お笑いを見ることを予定に入れよう。
以前の記事と結論が同じになってしまったのだけど、
それに対して、罪悪感を持たないように。罪悪感を持つように仕向けられないように、自分自身が「これを怠ると不健康になる」という意識をしっかり持ってやっていきたい。
(参照:犬の散歩のような、水槽の金魚を池に放すような)
「お笑い」を見て馬鹿笑いすることも、今の私にとって必要なこと(ストレス解消)として、罪悪感なくやっていこう。
noteは、自分の考えをまとめられる。noteを書いていて本当に良かった。
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