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【「極私的」韓国大衆文化論序説】第2回 早すぎたエロ小説―“変態”マ・グァンスの『楽しいサラ』をめぐって(崔盛旭)

先日、ひょんなことから『ホテル・ローズ 欲望の館』という韓国アニメーション映画を見る機会があった。原題を「장미여관(バラ旅館)」というその名から、私はマ・グァンス(馬光洙)というひとりの作家を思い出した。
 
今から30年ほど前、当時延世(ヨンセ)大学国文学科の教授だったマ・グァンスは、1992年に『즐거운 사라(楽しいサラ)』という小説を発表した。女子大生が友達、先輩から親友の婚約者、指導教授まで、ありとあらゆる周りの男たちと自由にセックスを楽しむ物語である。小説は出版と同時に「猥褻」「非モラル的」と批判され、彼は「猥褻物制作および配布の疑い」を理由に、なんと大学での講義中に教室で緊急逮捕された。懲役8か月、執行猶予2年という判決を下されると、大学は免職になった。
 
この事件は、文学における表現の自由をめぐって当時大きな社会的議論を巻き起こしたが、議論といってもそのほとんどは誹謗中傷であり、なかでも彼が属していた大学教授たち、文壇の重鎮たちの反応は酷かった。教育者として、文学者として徹底的に痛めつけられたマ・グァンスは、のちに非常勤講師として復帰してからも、陰湿ないじめを受け続けうつ病を発症、その後も詩や小説、エッセイなどを発表したが、ほとんど読まれることはなかった。低俗なエロ小説を書く三流作家の烙印を押され、生活苦の果て、2017年に自殺を遂げた。
 
彼が上梓した詩集のひとつが『가자 장미여관으로(行こう、バラ旅館に)』だったのだ。当時、軍隊を除隊したばかりでポルノ映画やエロ小説を久しぶりに享受していた私は、連日のように世間が「猥褻」「ポルノ」と騒ぎ立てた『楽しいサラ』を楽しみに買い求めたのだが、実際に読んでみると作品自体はまったくエロくなく、その意味ではまったくの期待外れであった。
 
サラが関係を持つ相手との関係性のみが反モラル的なのであって、「猥褻」という形容詞は的外れとしか思えなかった。恥ずかしながら、別の大学の国文学科の末席を汚していた私は、小説を読みもせずに悪口を言っていた同級生たちと口論になった記憶まである。では、『楽しいサラ』をめぐる韓国社会のヒステリックな反応には、どのような背景があるのだろうか。
 
1992年という年は、本当の意味で民主国家としての韓国が始まる大きな転換点であった。1987年、民主化闘争に勝利はしたものの、軍事独裁を受け継ぐ盧泰愚(ノ・テウ)が直接選挙で当選してしまったために、真の民主化まで国民は5年待たなければならず、92年に金泳三(キム・ヨンサム)が大統領に当選してようやく、約30年間続いた軍事独裁は完全に終わりを告げるに至った。熱望していた表現の自由を手にしたあらゆるジャンルの創作者たちが、自らの自由な表現を模索し始めた時期だったと言えるだろう。そこに真っ先に登場したのが、『楽しいサラ』だったのである。
 
儒教大国韓国がもっともタブーとしてきた女性に対する性的抑圧という足枷を外すことは、支配イデオロギーのタブーを象徴的に、わかりやすく可視化した形で転覆できる題材として最適だったに違いない。マ・グァンスは本作で、サラという韓国人とは思えない名前を使い、韓国の女性を性的抑圧から解放することで、象徴的に、これから迎える新しい時代への期待を込めたのである。同時に、保守的で堅苦しい当時の文壇に風穴を開け、文学界全体を刷新したいという目論見もあったようだ。
 
だが軍事独裁の終焉から間もない韓国で、誰も民主化というものを経験していなかった当時、『楽しいサラ』を享受できる準備がこの国にはなかった。マ・グァンスの不幸は、あまりにも時代を先取りしすぎたことにあると言える。外国では、文学作品を理由に作家を拘束し足枷をはめた唯一の民主国家だと、恥ずかしい報道もされたのだが、いまだ硬直したままだった韓国儒教社会は、サラのフリーセックスを許すことができなかった。その一方で、自らの権威を乱用してハラスメントのし放題だった大学教授たち(あくまで個人の見解だが)は、うしろめたい気持ちを隠すかのようにマ・グァンスを貶め、都合良く彼を葬り去ったのである。
 
『楽しいサラ』をめぐる事件から5年後、今度は『내게 거짓말을 해봐(私に嘘をついてみて)』という小説を発表したチャン・ジョンイル(蒋正一)が、マ・グァンスとまったく同じ理由で逮捕された。この本は、女子高生と彫刻家のSMプレイを露骨に描いたもので、現在でも出版禁止のままだが、のちに舞台化、映画化もされている。(映画はチャン・ソヌ監督により『LIES/嘘』という題で日本公開もされた。主人公を引き受ける役者がおらず、素人を起用したエピソードが知られている。)実はチャン・ジョンイルは、『楽しいサラ』騒動の際にマ・グァンスを擁護した唯一の作家であった。
 
しかし、猥褻という点では『楽しいサラ』よりよっぽど露骨にエロい描写を含んでいるにもかかわらず、チャン・ジョンイルに対する世間の風当たりはあまり強くなかった。当時チャン・ジョンイルはすでに、「ポスト・モダニスト」的な作家として、実験的な作品を次々と発表していたこともあるが、マ・グァンスが大学教授という「教育者」だったのに対して、チャン・ジョンイルは「中卒」かつ「少年院」に入っていたこともあるという学歴の低さ(少年院時代に物凄い量の本を読んだ彼は、“天才”と言われていた)も大きく影響していただろう。だが何よりも、1992年/1997年の5年という時間が、韓国社会の空気を大きく変えていたことは間違いない。チャン・ジョンイルは罪は着せられたものの、マ・グァンスのような袋叩きには遭わず、今も旺盛な執筆活動を続けている。
 
日本でも、大島渚の『愛のコリーダ』や若松孝二といった監督たちの作品が知られているように、「政治とセックス」は、支配イデオロギーを打ち破るためのもっともわかりやすい手法である。だがそれは、あくまで表現の手段であり、作家自身と直接結びつけて語られることがあってはならない。
 
マ・グァンスは、実際には他のどの大学教授よりも権威主義とは程遠く、学生にも対等に接し、理知的な講義は大きな教室に入りきれないほど人気だったという。彼は、植民地時代に詩をもって日本に抵抗した「抵抗詩人」のひとりとして知られるユン・ドンジュ(尹東柱)(日本軍の生体実験の実験台にもなったと言われ、1945年2月、福岡刑務所で病死(享年27)。出身大学の同志社大学には碑が残り、韓国では“英雄”とされる。)について博士論文を執筆し、韓国におけるユン・ドンジュ研究の第一人者として知られている。だが『楽しいサラ』によって、その後の人生は破壊されてしまった。うつ病にも苦しんだマ・グァンスが、最後にそれまでの人生を自虐的に綴った詩を紹介して終わることにしよう。
 
「私が死んだあとは」
 
私が死んだあとは
私は「ユン・ドンジュ研究」で博士になったが
ユン・ドンジュのような立派な詩人として記憶されるのは難しいだろう
 
すっかり忘れられてしまうか
そうでなければ馬鹿にされ、揶揄され
変態、色魔、狂った馬として記憶されるだろう
 
だが、賞賛されようと、罵倒されようと
死んで消えてしまった私には何の関係もないことだ
ただただ私は輪廻せず、消えてしまうことを願うのみだ

プロフィール

崔盛旭(チェ・ソンウク)
映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)、『韓国女性映画 わたしたちの物語』(河出書房新社)など。日韓の映画を中心に映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

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