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【1D1C #3】 IZ*ONEはなぜ「瞬間」を歌い続けたのか。そうだ、岡本太郎さんに聞いてみよう!


岡本太郎さん。

「芸術は爆発だ!」をまさに体現した、稀代の芸術家。

たとえば、大阪万博記念公園の「太陽の塔」。渋谷駅構内にある「明日の神話」。青山の「こどもの樹」。彼の作り出した数々の作品に共通するのは、剥き出しのエネルギー。そして、その作品に込められた、自由や解放を求めて、すべてのしがらみを突き抜けていく覚悟、だろうか。

天才、奇才、変人、畏敬の対象。凡人には到底たどりつけない境地に達した特別な人、という印象を持つ方が多いだろう。

ところが、彼の遺した言葉は、そういったイメージとは拍子抜けするほど平易で、常識からの補助線も丁寧で、私のような市井の人々の固定観念を優しく解きほぐすものばかりだ。


たとえば、こんな言葉。

ぼくは忘れるということを、素晴らしいことだと思っている。負けおしみでなく、忘れるからこそ、常に新鮮でいられるんだ。

熟したものは逆に無抵抗なものだ。
そこへいくと、未熟というものは運命全体、世界全体を相手に、自分の運命をぶつけ、ひらいていかなければいけないが、それだけに闘う力というものを持っている。   (ともに『強く生きる言葉』より)

岡本さんは、生まれたときからスーパースター、天才だったわけではなかった。だから、自由を、解放を求めて闘い続けた。彼の言葉に真実味と突き抜けた爽快感があるのは、その格闘の果てに獲得した言葉だからなのではないか、と思う。

岡本太郎さんの言葉は、だから、効く。

なんだか心身が重たいけれど、とにかくおのれを奮い立たせて強く進まなければ! という時が、たしかにある。

漫然と日々を過ごしていて、何かやらなきゃな、と思っても、そのきっかけがつかめないときが、たしかにある。

もしそんな人がいたら、是非岡本さんの言葉に触れてほしい。ページをパラパラ、とやって、手が止まったページの言葉と偶発的に出会うのもいい。一歩前に進むヒントが見つかるかもしれない。

さて。

今日触れたいのは、IZ*ONEの曲の、歌詞のことだ。

2020年秋以降、箱推しWITH*ONEとなった私は、韓国語がよくわからない中で、「Panorama無限リピート」をしてみたり、ときにはアルバムの曲順通りに、またときには全曲シャッフルで、いずれにしても四六時中IZ*ONEの作品を聴くこととなった。

そうしているうちに、いくつかのフレーズが、自然と頭の中に染み付いていった。

その中で、なぜか耳に残ったのが、この言葉だった。

こちらの動画の1分07秒、2分25秒、3分28秒の3回出てくる言葉。

それが、슨간(seungan、スンガン) だった。

デビュー曲「La Vie En Rose」をはじめ、「Vieleta」「FIESTA」「Secret Story of The Swan」、そして動画を貼った「Panorama」といった代表曲で使われている。他にも「Dreamlike」「Eyes」「Open Your Eyes 」「猫になりたい(韓国語Ver.)」などでも。すべての歌詞を精査したわけではないが、とにかくこの言葉が、立っている。

アイドルの歌だから、「好き」「待ってる」「そばにいて」「一緒に」といった歌詞が多くなるのは大変良く理解できる。「Secret Story of The Swan」 で10回も繰り返される印象的なフレーズ「優雅に(우와하게、uwahage、ウワハゲ)」も、女性らしさを示す表現であり、語感はさておき、意味としての違和感はない。TWICEもよくウワハゲを口にしている。

女性アイドルの歌だから、「好き」「待ってる」「そばにいて」「一緒に」といった歌詞が多くなるのは大変良く理解できる。「Secret Story of The Swan」の印象的なフレーズ「優雅に(우와하게、uwahage、ウワハゲ)」も、女性らしさの典型的な表現であり、語感はさておき、意味としての違和感はない。

でも、この「スンガン」は、そういった種類の言葉ではない。

「スンガン」は、「瞬間」のこと。

なぜIZ*ONEは、デビュー曲から最後とされるシングル曲に至るまで、「WITH*ONEとの愛し愛される関係」を寿ぐ言葉だけでなく、ことあるごとに「瞬間」を歌い続けたのか。

答えは、「活動終了」という残酷な現実を突きつけられたときに、ふと降りてきた。

遅まきながらWITH*ONEになった私は、希望的観測ではあったけれど、「コロナ禍や運営の失態による活動停止期間もあったし、事務所も期間延長に向けて話し合っているようだから、きっと1年延長はあるんじゃないか?」と考えていた。

ところが、3月10日。

Mnetから4月末での活動終了についてのアナウンスがあり、3/13,14のオンラインコンサートが「ラストコンサート」に唐突に位置づけられ、残された活動期間があっという間に一ヶ月を切った。

そのショックを受けたことで、やっと気づけたような気がしている。

IZ*ONEが、「瞬間」に込めた意味が。


ラスコンでメンバーたちが口々に「いつか来るとは知っていたけれど」と涙ながらに話してくれたように、「さくのき」で宮脇咲良さんが「デビュー、初めてのファンミ、初めてのコンサート、一つ一つ新しいことをすれば、どんどんなくなっていく」と語ったように、12人、および現場の制作陣(運営、とはあえて書かない)は最初から「終わり」を心の中に秘めながら、覚悟を決めて生きていたのではないか。スタッフたちとメンバーは、その姿勢を無意識のうちに揃えながら、一つ一つの出来事、瞬間瞬間の出来事を大切に踏みしめていったのではないか。

そして、「終わり」があるIZ*ONE(私たち)は、それでもともに歩んでくれる、いつまでも声援を送り続けるWITH*ONE(ファン)に向けて、その覚悟を何らかの形で表明していく必要があった。

意味がすぐに伝わらなくても、いつか気づいてくれるように、と。

だからこその、「瞬間」。

わたしたちWITH*ONEは、しっかりそのメッセージを受け取る必要がある。

「瞬間」を抱きしめ、しっかり記憶にとどめよ。

そして精一杯生きよ、と。


岡本太郎さんの言葉を、改めてここで引いておきたい。

自分という人間をその瞬間瞬間にぶつけていく。
そしてしょっちゅう新しく生まれ変わっていく。
エネルギーを燃やせば燃やすほど、
ぜんぜん別な世界観が出来てくる。(『強く生きる言葉』より)

残された活動期間、12人がこれまで発し続けていた「限られた時間、その瞬間瞬間を大切にして、記憶にとどめてほしい」というメッセージを今、しっかりと全力で感じとりたい、と思う。

そしてその一つ一つの瞬間、輝いている12人をしっかりと見つめ、この期に及んでもなお、新鮮な気持ちで拍手を送りたい。

それから、もうひとつ。

IZ*ONEの歌詞で、耳に残るフレーズは他にもいくつもある。

たとえば、영원히(yeong-wonhi、ヨンウォニ)。

「ヨンウォニ」も、上記したシングル曲でいえば、「La Vie En Rose」以外のすべての曲で使われている。

「ヨンウォニ」=「永遠」。

瞬間瞬間の積み重ねは、きっと永遠へとつながっている。

「Panorama」の最後、ウォニョンはこう歌っている。

영원히 기억해 약속
ヨンウォニ キオッケ ヤッソッ

永遠に覚えていて 約束よ

彼女たちの願いを、叶えたいな、と思う。

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