人格障害者にも表現の自由はある2

 「偏向」も「依怙贔屓」も報道・言論・表現の自由。産経新聞は、実際には大袈裟太郎氏の名誉など全く傷付けてはいない。単に勝手に一方的見解のみを取材し或いは取材せず、証言者の私見を伝聞のまま裏も取らずに公開し、自らの取材能力の低さ・精神的未熟性・節操の無さを晒して「全てのマスメディアが中立性を保てる訳ではない」「メディア関係者全員に十分なメディアリテラシーがある訳ではない」という事実を身を以て世間に警鐘を鳴らしたに過ぎない。
 つまり実態は「アホが欲しがるニュースに応じたアホなマスコミが自分たちの無教養を露呈し、自覚なく自身の名誉を棄損した」だけ。良識ある人々は、彼らを見て「ネトウヨ界隈に悪評を流されて大袈裟さんもお気の毒に(˘・ω・˘)」と思うだけだ。

 実際に、胸倉を掴み脅す者が現れ大袈裟氏に”実害”が生じているが、それは「大袈裟氏側の言い分よりも流言飛語を信じ暴行・脅迫した実行者(の情報分析力や人を見る目)」の問題である。そこで初めて「一部報道を鵜呑みにするのは内心の自由だが、具体的な違法行為に移すのは論外」などと訴えれば良い。スーパーで絡まれたのなら目撃者を確保し録画・録音などで証拠を残し、その場で通報・現逮する手もあっただろう。
 勿論、再発防止のために産経新聞を訴えるのも表現の自由ではあるが、勝てる見込みは薄い。訴えるなら直に暴行を働いた者を訴えるのが筋だ。産経新聞だけがその加害者の情報源だったとも限らない。尤も、犯罪者に真に必要なのは「処罰」ではなく「精神治療」だが。

 ともあれ今回の裁判には、トンデモ右翼思想に被れたネット上の百鬼夜行を多少は鎮静化させる効果はあるのかも知れない。だがこれまで他人への誹謗中傷・揶揄・風刺・罵詈雑言などで解消されていた彼ら人格障害者の不満やストレスは、今後一体どこへ向かうだろう。ネトウヨの表現の自由を奪えば、ガス抜きや捌け口の機会を失ったその矛先が形を変え、ますます片寄った報道や世論調査・リコール署名の捏造といった姑息で陰湿な不正、更にはパワハラや体罰やヘイトスピーチ等で、裁判を起こす知力も気力も財力もない、より弱い者へ向かわない保証はない
 論拠詳細は今後別記する予定だが、結局のところ情報規制は偽善者の自己満足だ。
 因みに、上記引用のニュース記事では産経新聞を全国紙と称しているが、実際には奈良・大阪・和歌山だけで販売部数の4割を占める「全国紙の顔をしたがる一地方紙」に過ぎない。

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