傲慢な日本芸術文化振興会

ピエール瀧氏の違法行為を理由に、彼の出演していた作品の助成金を打ち切る。これは、一俳優のプライベート(私)とパブリック(公)、そして個性と属性を混同した、差別的な行為だ。作品やその制作に関わった人々に罪はない。

そもそも、「薬物使用者が出演する映画を助成しないことで薬物乱用を防止できる」或いは「薬物使用者が出演する映画を助成すれば薬物乱用に繋がる」という発想は論理飛躍している。
一体どこの誰が、「おお、ピエール氏が出ている映画に日本芸術文化振興会が助成金を出しているのか、では私も薬物をやろう」と考えるのだろうか。人はそのような理由で薬物に手を出さない。自分たちの助成金交付にそこまでの影響力があると考えるのは、傲慢というものだろう。
百歩譲ってそう連想する人物がいたとして、それはその個人の解釈・素質の問題である。助成金の有無を動機付け・自己正当化に利用するジャンキーの口実・言訳を真に受ける方が、おかしい。

他罰的傾向の強い保守界隈からの圧力があったのだろうが、連帯責任を是とする全体主義は時代遅れだ。
当然の判決。

因みに、原告側の「表現の自由が守られた」は仰々しい。守られたのは「助成金を受け取る自由・権利」に過ぎない。助成金を貰えない他の数多の作品に「表現の自由がなかった」とは言えないし、振興会の「交付しない選択」もまた広くは表現の自由の範疇である。


以下、弊サイトより抜粋。

一部個人個性と全部集団属性を同一視する「森を見て木を見ず」やその逆は差別の一大特徴。排除の論理では問題解決しない。
差別ヘイト蔑視は共感力適応力問題解決力の低いコミュ障の内集団バイアス。目的は劣等感情緒不安の払拭。原因は低水準教育。

あらゆる社会問題に共通する根本原因は無知思い込み勘違い誤解視野狭窄。解決に必要なのは適切十分な高水準教育(≠高学歴)。
義務教育で哲学や心理学を教えないから、先見力協調性適応力自制心倫理観論理力EQ各種リテラシー問題解決力等が低くなる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?