「妊娠してる?」を嫌う心理

>育児などの情報を提供するFamilyeducation.comは、妊娠について尋ねるべきでない5つの理由を紹介している。
1)あたなには関係ないことだから
2)不快だから
3)その人の通常の体型かもしれないから
4)その人が子どもを望んでいると思い込むのはおこがましいから
5)その人は過去に流産などを経験しているかもしれないから。


うーん、これは酷い🤔。1)の「あたな」の辺りに翻訳した記者の憤りも透けて見えるがそれはさておき、順に反論してみよう。

1)関係がなくても関心があれば、質問も表現の自由。目の前の相手の健康問題に気を使うのも愛のうち。
2)己の不快感を理由に相手の言論を封じるのは傲慢。そもそも不快感は自業自得・自己責任である(論拠詳細は幣サイト)。
3)ならば堂々と「これが通常の体型です」等と答えれば良い。己の体型は相手の言論を封殺する理由にならない。
4)「子供を望まない人は妊娠に関する話題を望まない」或いは「相手はその人が子どもを望んでいると思い込んでいる」と思い込むのも、烏滸がましい。
5)「流産の経験者は妊娠に関する話題を望まない」と思い込むのも、また烏滸がましい。


結局のところ、「妊娠してる?」という質問を毛嫌いする人は、その人自身が心のどこかで「お腹が弛んでいるのはみっともない」「子無しや流産は恥ずかしい」等々のコンプレックス(裏を返せば差別心)を抱いていて、その内部矛盾を認識させられるので怒るに過ぎない。
その上、根が真面目で無意識的に「常に正直に答えなければ」等と自縄自縛している為、率直で不躾な質問に上手く対処が出来ない。だから、自分を気まずくさせる相手を批判して言葉狩りするしかない。

マナーの押し付けや表現狩りも表現の自由だが、その前に自分自身を省みるべきではないのだろうか。

・・・等と当人に伝えると大概、怒り出して自分の殻に閉じこもるのだが🙄


以下、弊サイトより抜粋。

どんな情報もその取捨対処は受信者の自由。解釈の自由にも責任が伴う。解釈の結果(誤解不快等)の原因は発信者にはない。
未熟な解釈者ほど己の選択結果を表現者に責任転嫁。他者に不自由(規制等)を与えるから自らも不自由(怒り等)を得る。

自由度多様性の高さは精神成熟の証。最大限保障し問題の早期発見等に活用が吉。民度の低い集団ほど不都合な存在を嫌悪排除。
雑言等は不遇な未熟者の自己投影・同属嫌悪。表現狩り等で自由奪えば却って暴発。必要なのは排除処罰ではなく治療教育。

反差別の裏には差別心が潜む。例えば異属性間の収入格差を論うのは「高給者ほど偉い尊い」等の職業差別拝金主義の表れ。
差別を批判する人ほど差別している5 note.com/kanjoj/n/n1a0fcd14f9b8

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