リキんだ君

一瞬を穿つ

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最近の記事

旅行と暮らし

旅行 ・変わったことをする ・夜空を知らない ・スーパーに行かない ・無駄がない 暮らし ・平凡なことをする ・朝も昼も夜も知っている ・普通の夏も変な夏も知っている(できれば複数) ・無駄に溢れている ・規則性がない 2泊3日とかでも暮らせる人はいるし、2、3年どこかにいてもずっと旅している人もいるのだろう。

    • 分かれ道の無限性と横に長い私の故郷

      夜道をランニングしているといくつもの分かれ道に出会います。今走っている比較的大きな道から細い路地が分岐しているところであったり、あるいは大きい道が二方向に分かれていくところであったり。 立ち止まるという選択をしない限りは、私はそのいずれかに進むことを強いられます。それは無数の進む可能性があった道の選択肢を捨てていくことでもあります。 話は飛んで私の生まれ故郷兵庫県神戸市、それもその南部の方というのは北側に六甲山脈が鎮座し、南側には瀬戸内海が広がるという中、限られた平地に人が

      • おかえりなさい、私。

        以前に京都では常に自分はお客さんだという旨の文書を書きました。 それから暫くして、私の祖母がどうやら元々京都に住んでいた人だということが判明しました。 それは只々私の父が私の知らない祖母の出自を教えてくれたというだけの出来事なのですが、わざわざ京都でのなんとも言えない疎外感を文章の形にまでしていた私には静かに、しかしそれでいて心に衝撃を与えるようなものでした。 悪の怪人と戦い続けていたヒーローが、実は自身にその怪人一族の血が流れていたことを知ったような(別に京都が悪の一味だと

        • おこしやす、私。

          京都という街に行くとき、私は常にお客さんです。 私の生まれ故郷から電車で1時間強ほどの距離にあるあの街では、私の多くの友人たちが過去あるいは現在に生活したり、学校に通ったり、働いたりしています。 そういう訳で私もあの街には何度も遊びに行きました。 朝寝坊な私の中でのあの街の記憶はいつも、昼過ぎに電車を降りたときのものであり、夕方のあの街に住む友人たちとの楽しいものであり、夜に遊び疲れて帰路につくときのものです。 この記憶の偏りこそが、あの街に「住んでいない」ということなのだと

        旅行と暮らし

          さあ僕が決めたわけではない極端へ

           先の休みに、四国最西端愛媛県佐田岬まで行ってきました。  この春から愛媛県に越してきた私は、折角なので色々と四国を巡ってやろうと考えています。今回のお出かけもその一環です。  八幡浜で色々と名物を食らい腹ごしらえをした後、車を伊方町へと走らせます。この辺りの地理関係は地図等をご参照ください。    私はこれまでも日本の東西南北端に全て行くだの、そういった極端なことを好んでやってきました。この後も、四国の西の果てを抑えたからには次は北だ、東だ、南だとまた奔走するのだと思います

          さあ僕が決めたわけではない極端へ