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私が絵画を観ているとき。【第二弾、カラヴァッジョ】

 前回のクールベの記事で、初めてちゃんと鑑賞しているときの気持ちを言語化したんだけど、いやそれがめちゃくちゃ楽しかった。調子に乗ってまた書いてみようと思う。いつまで続くかわからないけどひとまず第二弾ということで、今回はミラノの超有名画家カラヴァッジョ。


ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571―1610)

 名前が長いし変。あ、いやいや彼の魅力はそんな所ではない。彼は喧嘩早かったそうで、なんと逮捕歴があり、娼婦の体を汚し、殺人まで犯したという。あ、またまた失礼。だから重要なのはそこではないんだって。


 彼の絵を生で観れば誰しも必ず息をのむだろう。文字通り息を呑んだまま呼吸できなくなるだ。そのリアリティと強烈な陰影のコントラストは圧巻である。観てもらった方が早い。

カラヴァッジョ「エマオの晩餐」(1606)
カラヴァッジョ「ナルキッソス」(1599)

 …めっちゃくちゃ上手くない?すごくない?どうよ。(いやお前が描いたのではない。) 最近、人間の目はまず「コントラストが強い部分」と「情報量の多い部分」の二つに行くようにできているから、その二つを上手く使いこなしている絵は上手く見えるし、リアルに見える。っていう話を聞いたんだよね。カラヴァッジョはまさにそれ。人工的で強烈な光と、そこからできる陰影の描き方、そし物体自体の描き込みが凄まじい。


 私が生でカラヴァッジョの絵を観たのは2016年の「カラヴァッジョ展」。ちなみに、2016年は日伊国交樹立150周年記念の年だった。そのため、このカラヴァッジョ展をはじめとしてボッティチェリ展やポンペイの壁画展、ルノワール展、レオナール・ダヴィンチ展などあり得んくらい豪華な展示が各所でバンバン開催されていたんだ。私は中学生だったけど、夏休みに親に懇願して東京まで毎週のように通っていたのをよく覚えている。

 閑話休題。で、彼の作品を生で見たって話だけど、美術館で作品が飾られる時ってそこにスポットライトが当てられるよね。そのスポットライトの光が本当に映り込んでいるみたいに、絵の中の光もすごく生々しく輝いていた。絵の中に吸い込まれてしまいそうで、目が釘付けになったあの感覚は今でも忘れない。
 また、前出した「エマオの晩餐」に見られるようなパンや食器、それ以外にも果物やワイングラスの描写が写真のようにリアルで、どうやって描いてんのこれってため息が出ちゃうくらいだった。息をのんだり、ため息をついたり、まったく口が忙しいよ。

 そしてもう一つ。私がカラヴァッジョの絵で凄い、と思うところ。それは「視線」だ。肖像画は別として、ちょっといくつか絵を観てもらいたい。

カラヴァッジョ「法悦のマグダラのマリア」(1606)
カラヴァッジョ「ゴリアテの首を持つダヴィデ」(1610)
※この作品は2016年カラヴァッジョ展には来ていない。

 この二つの絵や冒頭に挙げた絵を見て、視線について何か気がつくことないかな。そう、どの人物の視線も、全くこちら(鑑賞者側)に向けられていないんだよね。

 カラヴァッジョはこの視線の使い方がものすごくら上手いと思う。視線で言えば他にも、それぞれの人物の視線が上手く交差していて、画面構成が整然と締まって見える…とか色々考え出したらキリがないんだけど。

  とにかく、彼の絵を見ていて不思議に取り憑かれるのはこの「こちらに向けられない視線」の効果が大きいんじゃないかと思う。

 肖像画などの人物画って真っ直ぐ前を向いているか、体を斜めにしていても視線はこちらを見据えているものが多いよね。だから、鑑賞者も「あ、これは絵画だ。」って感じるし、絵画も「はい、私は絵画です。」(?)ってな具合でそこに存在しているから、違和感なく鑑賞できるのだと思う。

 でも、カラヴァッジョの絵は人物がみんな色んな方向を向いていて、一向に”鑑賞者”の存在を感じさせてくれない。まるで私たちが「すみません失礼します…。」って言いながら音を立てないように扉を開けて、その空間にお邪魔させてもらってるような感覚になる。

 向こうは私たちに気が付いていないのに、私たちは固唾をのんでその様子を見守っている。これって結構怖いんだよね。例えばさ、自分と目の前の人物がマジックミラーかなんかで隔てられていて、こっちからは相手が見えるのに相手は自分たちの存在を知らない状況だったとする。そこで相手が急に奇声を発したり、独り言を言ったり、ダヴィデのように斬首し出したら、どう。めちゃくちゃ怖くない?
 目の前の相手への恐怖とか、見てることがバレたらどうしよう、とか考えて震え出しそうだ。描写がリアルなだけに、よりその恐怖感に似たものを感じる、彼の絵を観るときは。だからこそ引き込まれる。目が離せない。それはその挙動を最後まで見届けたいという怖いもの見たさか、それとももう絵画の世界に引き摺り込まれてしまった後なのか…。

 やっぱり、画面や図録で見ても凄いけど、その感覚は生で見て初めて感じることかもしれない。

 カラヴァッジョの展示は今度いつあるかわからないけど、ここでぜひ観てほしい絵がある。バルトロメオ・マンフレーディの「キリストの捕縛」。この絵もカラヴァッジョ展で展示されていたんだけど、こちらなんと上野の国立西洋美術館所蔵なのだ!カラヴァッジョに負けずとも劣らない光の表現、そして巧みな視線誘導、本当に凄い作品だ。常設展にあるから、行った際はぜひ探してみてほしい。もう見たって人は、ぜひ感想を聞いてみたいものだ。


 さて、今回も絵について語ってみた。私は美術史をちゃんと勉強しているわけではないから知識は浅いのだが、絵を観て感じたり考えたりしたことは結構話すとたくさん出てくるものだな、と改めて気がついた。またこれからも行けるところまで続けてみたいと思う。


 ところで、中学生の時カラヴァッジョってどこかで聞いたことあるんだよな…どこだっけな…。って一晩悩んでたら、翌朝のテレビで「はなかっぱ」が放送されていてそこに出てきたカラバッチョっていうキャラクターのことだった、っていうアハ体験をしたんだよね。それもいい思い出。


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