精神の自粛 東京から灯りが消える日
明かりは公証である。社会の一員として認められ、法的に認められた存在を示すものは、お店の看板である。お店は、その看板に明かりを灯すことで、都会の暗闇の中で、公然たる存在となる。
明かりを消せというのは、すなわち、その店から公然性を奪うということである。それは時短営業が物理的に営業することを奪うよりも強烈である。明かりを消せというのは、精神に対する規制なのである。
一度も入ったことのないお店に入れるのは、ぼんやりとした明かりの中に、信頼を見いだすからである。この店は入ってもいいと安心させるのは、お店の暖かい看板そのものである。
あるいは常連客であっても、今まで通り、入店するには心理的な障害に直面することになる。明かりのない店は今までとは違う非公然なものであり、いつもの「あの店」ではないからである。
明かりを奪うことは世間で指摘されている「パフォーマンス」「やってるかん」以上の効果を持つだろう。しかし、お店から公然性を奪う権利は誰にあるのだろうか。私は疑問を抱かずにはいられない。
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