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ファッションから見る環境問題

最近、サスティナブルやSDGsという言葉をよく耳にする。
サスティナブルは、特に地球の自然環境の維持に役立つ事業や開発、自然環境に配慮した行動を表現する時に使う言葉で、SDGsは持続可能な開発目標というわけで、とても詳しく書いている方が多いので、ここでの説明は端折る。

90年代後半に在学中、ファッションショーと環境映画の上映会を学園祭で企画し実行した。
当時も一種の環境ブームで、エコという言葉が良く聞かれた時代だった。環境イベントに学生代表のパネラーとして呼ばれたこともあった。

私としても環境問題に関心があったわけだが、その後、アパレル業界に入り、販売員として服を売る仕事をする中で小さな矛盾をずっと抱えることになる。

服を売って売って売りまくっても、お店には服はいつでもいっぱいあったし、私自身、社員販売という名のもとに大量の服を購入していた。
毎シーズン大量に買っても、もう次のシーズンでは店で着ないので、家は服で溢れかえっていた。

妹の友人に好きなの持って行っていいよ、とあげたりもしょっちゅうで、当時は売るところもないし、身近な人にあげるしかなかった。服の状態はとても良かった。

こういう仕事をしながら環境問題なんて絶対に口に出来ないな、と悟り、環境問題とかそういうことに夢中になっていたことは封印していた。

それでも、やっぱりどこかおかしいという気持ちもあった。矛盾を感じ続けていた。そして、だんだんと大量の服を売ることに疲弊していった。

それともう一つ、学生時代に圧倒的な先生に出会っていた。
アイトワの森孝之先生。

ビジネス界に身をおく一方で、若い頃から京都の小倉山山嶺の荒地を開墾、半自給的でエコロジカルなくらしを一貫して続けておられ、荒地に植えた1,000本の木々の中で、生ゴミや屎尿を還元する菜園を作り、薪で風呂も炊く省エネ、自然エネルギー利用の家づくりをされている。
この先生の授業を聞いて、逆に、中途半端なエコとか環境がなんて言えないわ、と思ってしまった。
衝撃的だった。
最近ブログで80代になられた今も当時のままの生活を送っていらっしゃると知った。

環境問題を気軽に話すことなんて本当に出来ない。だって私は今でも大量生産された服を買っているし、プラスティック製品も使うし、マイ箸なんて持参して店に行かないし、スタバのマイボトルだって持っていない。

だけど、私も本当はまだまだ関心がある。
最近ファッション業界の大量廃棄が問題になって、突然、いや今更悪者にされ出した。まあ、ファストファッションが流行し、大量生産が拡大したことも事実だが。
でも別に今にはじまったことではないのに。
そして、いかにもそういうことに配慮してます、とか、関心がありますよ、というブランドや会社が増えている。

逆にそういう風に言わないといけない、というぐらいになっていると思う。
そういうことが、服を売るための道具ではなく、そんなことは当たり前で言うまでもない、という世の中になることが理想だなと思っている。

子どもたちの未来はそうなるように願い、私も出来ることをコツコツと積み上げたい。
私が出来ることは、好きな服をより長く着ること。

そう。未来は一人一人の手からしか変えられないのだから。

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