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「あかね色の空」から一句

あかねさす空に一羽よ秋のとび


貴重な17文字、「あかね空」も考えましたが、「あかねさす空」を譲れませんでした。理由は、タイトル画像のような空を表現したかったからです。

以前『軽微なお知らせ』でも紹介した雑誌『楽しむ!フォト五七五入門』の中に、先に写真ありきの「先写後句せんしゃこうく」か、五七五が先の「先句後写せんくこうしゃ」か?という項目がありますが、今回はまさに先写後句スタイル。

秋の夕暮れから、茜色は秋の色と思い込んでいましたが、茜色は「茜色」だけでは季語ではなく、鳶も「鳶」だけでは季語とはならないため「秋の鳶」と詠みました。

そして、「空に一羽よ」の7文字には、以下の和歌を連想して、古今東西、空を飛ぶ鳥への憧れを込めています。

世間を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

<現代語訳>
世の中を辛く耐えがたいものだと思うけれど飛び去ることもままならない。鳥ではないのだから。

山上憶良
万葉集五巻893首目

名古屋にいた頃に仕事場で知った和歌です。
電話の伝言もメモではなくチャットで送るペーパーレス体制の中、当時の次長が気になる新聞記事のコピーを回覧に供されることがあり、それがきっかけでした。とある新聞の一面コラムだったと思います。
万葉の時代の和歌に好きだった合唱曲『翼をください』の歌詞とを重ね合わせ、山上憶良の名前とともに記憶に深く残っていました。
残念ながらお得意の青い手帳には記しておらず、先ほど「山上憶良  鳥」で検索して<和歌>と<現代語訳>を確認したしだいです。


鳶で懐かしく思い出したこともあります。

小学校3年生か4年生のどちらかでした。
夕暮れどきの帰り道、いつもの通学路とは違う橋の上、私は友だちと空を見上げていました。友だちと私の二人だったのか、複数の友だちと一緒だったのかは覚えていませんが、そのとき一緒にいた友だちから「空を飛ぶとんびに向かって指で「の」の字を書くと、とんびが「の」の字を描くように空を飛ぶ」と教えてもらい、半信半疑で茜色の空に指で「の」の字を書いてみたのです。

すると、どうしてなのでしょう!

とんびが本当に「の」の字を描くように空を舞ったではありませんか。
私はもう、夢中になって空に向かい指で「の」の字を書きました。
そのたび、とんびは「の」の字を描くように茜色の空を舞い……。
私は夢中で「の」の字を繰り返しました。

それは、いつもと違う学校帰りの出来事。

お楽しみ会の準備か何かのための寄り道で――。
橋の上で「の」の字を書いたのはその一回限り。
その後、いつもの通学路、いつもの橋の上で私が立ち止まることはありませんでした。

子どもながらに無意識に「日常」「非日常」を区別したというのは深読みで、ただ単に、いつもの通学路でいつもと違うことをしなかっただけの話なのですが――。
もう一度、試しておけば良かったと今になってちょっと後悔。

旋回して飛ぶとんびの習性から、「の」の字がなくてもとんびは弧を描きますが、ひそかな機会があればもう一度、とんびに「の」の字を試してみたいと目論んでいます。


最初に「写真ありき」の句作でしたが、鳶から記憶が派生して、私に子ども時代のひとコマを思い出させてくれました。

自分にもそんな子ども時代があったと不意に思い出すことは、なかなか乙で良いもので、俳句にはこのような効果もあるのだと新発見。
――俳句の愉しみが一つ増えたと意気込む私です。


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